祖母とモモとのお別れ

文字数 1,532文字

ほぼ5カ月ぶりのブログアップになってしまった。慌しい半年だった。

結局娘は去年、以前通っていたモンテッソーリ・スクールに転校した。試しに1週間の体験入学をさせてみたところ、初日に「こっちの学校で学びたい!」と本人が宣言したのだった。今は、3歳になった息子もモンテッソーリ・スクールの幼児部サイクル1に通い始めたので、毎朝姉弟一緒に和気あいあいと通学している。

7月から8月上旬は、日本に帰っていた。両親が揃って手術入院をすることになったので、その留守番も兼ねての一時帰国だったけど、思いもよらず花火や海水浴、温泉まで楽しむことができた。お陰さまで両親は無事に退院し、今はまた元気に暮らしている。

小説『Tamago』も4月に出版を果たした。日本に帰ったときに本屋で自分の本を手にしたときはやはり嬉しかった。周囲の皆さんにもお世話になった。知人の放送作家さんが朝日ニュースターのHP上で取り上げてくれたり、作家仲間のご厚意で全作家協会の講演に呼んでもらったり、日本ペンクラブにも入会できた。これからも細々とでも活動を続けてゆこうと思っている。

だけど、9月1日に祖母が亡くなった。

百歳だった。年齢が年齢なので、いつ逝ってもおかしくはないと覚悟していたものの、やはりそのときが来れば動揺してしまう。私は祖母に育てられたようなものだったから。昔の思い出が次々と蘇ってきてパンクしそうだった。日本から戻ってまだ一月と経っていなかったけど、翌日急遽家族と一緒にまた日本へ帰った。成田空港から直行しても告別式には遅刻してしまったけれど、翌日のお葬式には出ることが叶った。満月の仏滅で、お葬式には良い日だったと思う。

祖母が亡くなったとき、残念ながら私は傍にいることができなかったけれど、祖母が亡くなったことは判ったのだった。昼間なのに急に瞑想がしたくなって、瞑想していたら祖母が出てきたのだ。気になって、その後母に電話をしたら、祖母が亡くなったことを知らされた。それから初七日が終わるまで不思議な体験が続いた。祖母の存在を感じることができた。きちんとお別れを告げることも叶った。

そうしてメルボルンに戻って来た翌日に、今度は愛犬モモが急逝してしまった。

モモの死はまったく予期しておらず、あっという間だった。モモちゃんはその日の明け方、突然に具合が悪くなって、救急病院に連れて行ったときにはもう手遅れだと言われた。そのまま家に戻ることなく逝ってしまった。

せめてもの救いは、モモを腕の中で逝かせてあげることができたということだった。3年前、日本に一時帰国中に、愛犬ロリィちゃんが脳卒中で亡くなってしまった。預かってくれていたドッグマインダーのMさんが私たちの代わりに看取ってくれたのだけど、やはり後悔は残った。だから今回モモちゃんを看取ることができたのは、とても大切なことだった。

そうしてモモちゃんが死んだ日に、あろうことか、唯一残された愛犬ムムが末期の肺癌であることがわかった。そのうえムム君は、モモちゃんが死んだ日から暫く何も食べなくなってしまった。最近また食欲を取り戻してくれたのでホッとしたけれど、獣医からはいつ病状が悪化してもおかしくないと言われている。

3年前、私たちには3匹のかわいいワンちゃんたちがいたけれど、残されたムムも年内にいなくなってしまうだろう。モモは17歳だった。ムムも15歳、老犬だから自然な流れではあるのだけれど…。

それでもムムは、死がわかっているぶん、心の準備をすることができる。ムムの残された生を、彼にとっても私たちにとっても悔いがないように生きるチャンスを与えられたんだろう。そう思えば、ありがたい。

ムムとの1日1日を大切にしていこう。

 2009/9/28
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