熟年離婚 

文字数 1,273文字

ダディンの従姉妹夫婦が別居した。

正確には先週の日曜日、夫の方が一方的に家を出て行ったのだった。ミッドエイジクライシスどころか50歳で、彼は家族と別れて別の女性と人生を生きてゆくことにした。

ダディンの従姉は5週間前に突然、別居宣言をされたのだそう。つい数か月前まで、今年はヨーロッパ旅行に出ようとか、そろそろ新しい家に引っ越そうかなどと言っていた、その同じ口で! そう彼女は嘆き混乱していた。

夫婦には息子が二人いて、下の子などまだ10歳になったばかりである。家から父親を突然失ってしまった子どもたちの精神的ショックって…。

突然、家族が壊れる。
しかも夫のせいで―

これって間違いなくママたち共通の悪夢だろう。

オーストラリアの離婚率は高い。3組に1組が離婚するとか以前ラジオで言っていたっけ。私の周りにも再婚者が多くて、長女のときのマザーズグループのメンバーなんて、半分が再婚ママだった。だから赤ちゃんたちのお姉ちゃんお兄ちゃんは当時でさえ二十歳近かったんだ。

ダディンと私も時々喧嘩をする。子どもが生まれて極度の睡眠不足のせいか、下の子が2歳になるころまでは喧嘩が絶えなかった。2週間に1度はかなり派手な大喧嘩をしていたような…。まあ、バイオレンスじゃなく怒鳴り合いの言い争いなんだけど。

娘が泣きながら、やはり泣きじゃくる弟を連れてバスルームに隠れてしまったこともあったっけ。朝っぱらから怒鳴り合いを始めた私たちに脅えて、メェが通学前だって言うのにパントリー(食品庫)に隠れて出てこなかったことも…。

バカ親である。反省した私たちは以来、子どもたちの前で喧嘩はしないように努めているけれど。

それでも子どもたちは私たちが大好きで、よく家族の絵を描いている。メェが小学校で描いた「My Family」というタイトルの絵を見たときには目頭が熱くなった。そこには家の中でニコニコ笑うメェとムゥ、ダディンと私の姿が描かれていた。

ああ、この子にとっては、この家が「ホーム」なんだ。

そう今更ながらに思ったのだった。メェのおうちで私たちが笑ってあげなければ、この子を誰が笑顔で迎えてあげるんだろうか、と。

夫婦は、違う価値観を持ち生きてきた、生きている人間同士だから、ぶつかり合うのは当然である。一緒に子育てという大役を担い、人生を共有しているのだ。世界にたった一つの「我が家」で毎日顔を突き合わせているのだから、自然エゴもぶつかり合って、お互いを批判してしまう。

それでもやはり、別れたくはないと思う。この家庭を壊したくはないし、家族をばらばらになんて決してしたくはない。子どもたちを失うなんて考えられない。

だけど時間が経ったら状況も変わって、そんな思いも変化してゆくのだろうか。

仏教で4Noble Truthの 第1の真理は、苦諦。Life is suffering-本質的に人生は苦であるというけど、生きていくってやっぱり大変だ。生きていると、そりゃあ確かにいろいろとありますよねぇ…。

どんな形であれ、ダディンの従姉家族に笑顔が戻ることを心から願う。

2008年6月20日


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