オシメ替えも菩提心で決意表明

文字数 1,259文字

デイビッド・ミチー氏の「気づきの旅」を読んだ。

「オーストラリア・パース在住のベストセラー作家による自伝的・実践的チベット仏教入門書」と帯に書かれていたので、この間日本に帰ったときに買ってきたのだった。

久しぶりにすご~くいい本を読んだなぁって、感動。その日はミチーさんを倣って、行動の前の動機付け、とりわけ利他的な動機付けを明確にしてから半日生活してみた。

仏教では動機が重要だ。私たちが日常で習慣的にしている行為にもいちいち明確な動機付けをする。

まだ娘が幼稚園に通う前、たまぁにメェと一緒に電車に乗って、二人で小さな旅に出た。幼い娘は電車が大好きで、電車がホームに滑り込んでくるのを見ただけで小さな手を叩いて歓声を上げて喜んでくれたから、それは私の胸をも温かくしてくれた。電車に乗るなんて、それまでは何てこともなかった行為がキラキラと輝き出す、冒険になった。

なのに、「ほら急いで、メェ。電車に乗り遅れちゃうでしょう」などといつの間にか娘を急かしている自分に気がついた。当時は今よりもっと忙しかったせいもあるけれど、私は喜びであるはずの貴重で限られた娘との遊びの時間にまで「効率性」を持ち込んでいた!のだった。

それからは娘と駅に向かうときには自分に言って聞かせるようにした。「私は娘と楽しい時間を過ごすために今日半日を使おうとしている。電車に間に合うということは、全く重要ではない」、と。

焦りとか不安とか、染み付いてしまった習慣的な思考のせいで、何かをするとき肝心の、本来の目的を忘れてしまうってことが多々ある。

メェとたまのお出かけとかイベント的なことはもちろん、小学校に迎えに行くとか息子の歯を磨いてあげるとか日常のささいなことでも、いちいちその動機、目的を明確にする。

ミチー氏の本に感化されたこの日は、それをもっと大乗仏教的に推し進めて菩提心、より利他的な視点に立てるような動機付けをしてから祈りを捧げた。

たとえば、ムゥのおしめを替えめるときも心の中で宣言する。ムゥと、ひいては世界中の子どもたちが、快適な環境ですくすくと育てるように、私は今おしめを替える。私のこの行為によって世界中の人たちが幸福に恵まれますように、と。

ミチー氏も言っているけれど、私がムゥのウンチを拭いたからといって、アフリカの子どものお尻が快適になるわけでもないし、もちろん人類が幸福になるわけでもない。

それでも確かに、私の心理にはプラスになった。かなり。実際その日はすばらしく充実した気持ちで1日を終えることができたのだった。

これを毎日毎日、なにか行動するごとにやり続ければ十年後、いや1年後でさえかなり他者のニーズや幸せを気にかけることのできる人になっているんじゃなかろーか。

けれど翌日ムゥの風邪がひどくなり、熱が39度台まで上がって、薬を飲ませても胃が痛いと転がりまわるにいたっては、ほぅら、また。気がつけば、私はこうして闇雲に走り回っているじゃあないの。

それでも、継続は力なり。気づくたびに実践していくしかないですね。

 2008/8/13
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