祈りと流れ星

文字数 1,378文字

先週、母が入院した。自宅で7年間、祖母の介護を続けてきた疲れが出たのだと思う。

今夜は近所のチベット仏教寺院でPuja(なんて訳せばいいんだろう、法要かな?)があるので、私も参加して母の回復を祈ってこようと思っていた。そのための祈祷も尼僧さんに頼んでいた。

だけど月曜日はママ業が週で1番忙しい日。午前中のうちに仕事は終わらせて、息子と一緒に日本語のプレイグループに参加した後、娘の小学校へお迎えに行って、そのまま水泳教室へ連れていく。帰ったら直ちにお風呂に入れて、夕食の支度をして食べさせて、メェの宿題を見てやっているうちに、あっと言う間に就寝時間になってしまう。私は子どもたちが生まれてから生活習慣を早寝早起きに切り替えて早朝4時には起きるので、夜は子どもたちと一緒に寝てしまうもので。

Pujaは6時からだから、もう無理かなぁ…などと夕食の用意をしながら考えていたら、ムゥがやって来た。
「ママ、きょうは、プージャにいくんでしょう。おばあちゃんのこと、おいのりするだよね」と、にこにこしながら言っている。

たぶん今朝プレイグループに行く途中に仏教寺院の傍を通ったとき、「ママは今日おばあちゃんのことをお祈りしたいから、ここに来ようと思っているんだよ」と話したことを覚えていたんだろう。

それでも息子の唐突な言葉は、「まいっか、子どもたちを置いていくのは可哀想だから、子どもたちが寝た後にでも家で一人でお祈りすることにしよう」などと思い掛けた心を、さぁっと吹き飛ばしてくれたのだった。もしかしてこれはシンクロニシティかも、行けってことかもしれないな、と。

夫がその間は子どもたちを見ると言ってくれたので、夕食を食べさせると、「さあ、後は任せた!」でどたばたと支度をして家を出た。

尼さんを入れて7人ほどの小さなプージャだったけど、ゴンパ(瞑想の場を意味する、行の広間)で瞑想をして、法要に加わることができた。母はもちろん、今は施設にいる祖母や、母が入院してしまったので家に一人残されている父のことも祈った。

家に帰って、子どもたちにプージャでもらった「トン」をあげ(お供物のお裾分けの菓子袋で、うちの子たちは「Puja Bag」と呼んで心待ちにしているの)、一息つきにベランダへ出た。そのとき夜空に明るい閃光が流れた。

初めはそれが流れ星だとはわからなかった。

あ、流れ星、だったら願いごとを…などと思う間もなく視界から滑り落ちていた。

今更かなぁ…とは思ったけれど、その光の先へ願をかけようとしてハッと気づいた。

もしかして、あの流れ星は、祈りが届いたというサインだったのかもしれない、と。法要に参加して母のことを祈祷した、その祈りが天に届いたという。

その夜は、息子と病院にいる母を訪ねる夢を見た。それから母も一緒に3人で今度は施設にいる祖母を訪ねた。祖母のベッドサイドでみんなで談笑した。

ハッと目覚めたら、横ではムゥが寝ぼけて笑っていた。夢の中で体外離脱でもしていたような感覚の夢だった。

時々思うことがある。私たちがかけるほとんどの願いや祈りは、実は少しも天へは通じていないんじゃあないか、と。私に向かって何か頼むメェの声が小さ過ぎて聞こえないように、私たちの念が小さ過ぎて届かないんじゃないのか、と。

今度こそ、祈りが天へ届いていると嬉しいのだけれどもな。


2008/8/11
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