第66話 慟哭を届けん・壱

文字数 2,878文字

 翌日、重実は親房の案内で江戸の牢屋敷を訪れた。
 吉住の調べが行われるのは広い土間のような部屋で、一段高くなった奥に重実と親房は通される。
「伊豆守様より承っております」
 調べを担う目付が重実に挨拶し、吉住の現状について説明を始めた。
「既にご存知の事でしょうが、吉住には公儀転覆の罪により死罪が言い渡されております。首謀者の由井正雪が駿府にて自刃、他の主立った者らも磔刑に自決と、片は付きました。残るは大した役目も担わなかったような小者が幾人か残るばかりで、吉住もまぁその一人といったところです。今更沙汰がひっくり返るような事はありません故、果たして藩主殺しの件を何処まで吐くか……」
 目付は嘆息する。
「吉住の調べをして感じたのですが、どうせ死罪から逃れられんのならば俗世の罪を全て吐き捨て身を軽くしてあの世に……などという殊勝なところは、あの男にはありません。とかく最上に置くは己の保身、やたらと手下や関わった他の者たちの名を挙げては己は体よく利用されたとばかり。あの男が暴露したおかげで関わった者たちは次々と捕縛されましたが。斯様な者故、ここに来てただで藩主殺しの罪を認めるとは思えません」
「……でしょうな」
 重実も忌々しげに眉根を寄せた。
 そんな彼に、目付が提案する。
「とはいえ、それでは濡れ衣を着せられた元旗本家のご息女があまりに不憫というもの。そこで、死罪を覆しはせぬとも、少々の『餌』をぶら下げる事については伊豆守様からもお許しを頂いております。清平様も、何より旧朝永藩主殺しの真相を暴きたい筈、ここはひとつ堪えて餌を振ってはみませぬか?」
 減刑せずとも、何であれ紘子を痛めつけた男に利を与えるなど本来ならば許したくはない。
 だが、横に座る親房の視線を感じ、重実は頷いた。
「ここに来て大局を見誤るわけにはいきますまい。その『餌』とやら、この清平に預けて下され」

 重実らが目付と話し合い手筈を整えたところに、「揚屋(あがりや)」と呼ばれる牢で死罪の時を待つ吉住が調べの場に姿を現した。
 酒の後の小便のようにするすると自白したのだろう、吉住はやつれてはいるものの拷問を受けた形跡もなく痛々しい様子など微塵もない。
(ひろを半殺しにしておいて貴様は傷のひとつも負わんとはな……)
 殺気立った視線を感じた吉住が重実の方を見て、その目を僅かに見開く。
「旧朝永藩家老、吉住是直。これより旧朝永藩主鬼頭貞臣殺害の件について調べる。なお、この調べには鬼頭貞臣の妻であった旧旗本八束秀郷が娘、幹子の預かり人を務める峰澤藩主清平重実殿が立ち会う」
 目付はそこまで告げると重実に後を促した。
 重実は一段高い畳の上から土間に正座する吉住を見下ろし、口を開く。
「まずは、弟が世話になったな」
「……あの白洲においでになった御家人が、よもや一国の主であったとは。弟君に良く似たお顔立ちだとは思いましたが……あの時見抜いていればこうはならなかったものを……げに口惜しい。されど、恐れながら、盗っ人猛々しいとは貴方様のようなお方を指すのでしょうな。貴方様の弟君は我々に藩の金を横流ししようとしていたのですよ。それがご公儀に知られればどうなるか……」
「何を今更」
 重実は鼻で嘲笑った。
「弟はそもそも伊豆守様の配下の息が掛かった間者だったのだ。その事は信州で明らかにされた筈。よもや忘れたか。あれはなかなか機転の働く男でな、やけに江戸と峰澤を頻繁に行き来する浪人だと言って随分前から貴様に目を付けていたぞ。八束幹子が姿を消した後も、背後に貴様らがおると気付くまでそう掛からなかったという。金の件も、貴様が金を欲していると知り、あえて取引に乗ったと。我ながら出来た弟を持ったものだ。貴様は俺の弟を見くびった、故に今そこに座らされているのだ。いい加減己の能のなさを認めよ」
「くっ……」
(こうもあれやこれやとでっち上げて吉住に返す言葉を与えないとは……重実、やはりお前は肝が座っているというか何と言うか……)
 重実のハッタリは実に見事で、これには親房も舌を巻く。

「だが、俺も武士の端くれだ。一時は一国の家老を務めた者の首を無碍に落として晒すは忍びない」
(全く……我ながら反吐が出そうだ)
 心にもない台詞をすました顔で転がしながら重実は内心辟易した。
 吉住の首など泥水に斬り落としても足りぬ、晒しても足りぬ、踏みつけても蹴飛ばしても足りぬ。
 だが、これも全ては真相を明らかにするためだ。
 そして、重実はいよいよ「餌」をちらつかせる。
「そこで、だ。朝永藩主殺しの真相を偽りなく全て明かすのであれば、内々に多少の情けは掛けたい。あまり楽な道は選べぬが、遠方に発ってもらうという手もある」
「それはつまり、遠島、でございますか……」
 吉住は一瞬口角を上げた。
「……」
 重実は何も言わず表情も変えない。
 目付と親房は吉住からさり気なく目を逸らす。
 それはひどく不可解な様であるというのに、己の命が助かるやもしれぬと思った吉住は舞い上がっているのかそれに気付かない。
「……よろしいでしょう。全てお話しいたします」

 吉住は遠くを見つめるような目をしながら当時の事を話し始めた。
「殿は元服前からお酒を嗜まれ、藩主になられた頃には既に酒を手放せなくなっておいででした。大名家の姫を嫁に迎えた事も二度ございましたが、一人は心を病んで自害され、もう一人は子が出来ぬのを理由に離縁なされております。この離縁した姫の父が随分後になってから殿の乱心ぶりをご公儀に密告したばかりに、朝永は減封の沙汰を受け、所領を一万石に減らされたのでございますが……ええ、幹子様がご正室としておられた時でございます」
「八束幹子は、何故鬼頭家に嫁ぐ事となったのだ?」
 重実が表情を殺して淡々と問えば、吉住は重実の内で燃え盛る憤怒などつゆ知らず滔々と答える。
「大名家の姫を二度も迎えておきながら二度とも失ったとなれば、もはやどの大名家も鬼頭家に姫を嫁がせようとはいたしませぬ。鬼頭家が生き残るにはもはや旗本家から妙齢の姫を迎え入れるしかなかったのでございます。そこでご公儀に申し入れたところ、ちょうど八束家に年頃の姫がいると。八束と言えば旗本家の中でも別格、大名格に等しい。しかも公家との繋がりも深い。お家存続のためにも是が非でもこの縁組みを成立させなければと思った次第にございます。そこで、八束家と交友のある左山(あてらやま)藩主佐野瀬見守様にご公儀を通じて仲立ちを願い出たのです」

「左様か。白洲の場では八束幹子に対する鬼頭貞臣殿の酷な仕打ちも語られたが……あれは真か」
 この時ばかりは重実の眉間に一瞬皺が寄った。
「恥ずかしながら、真にございます。殿のご乱心ぶりは日に日に酷くなり、幹子様は大層お辛かったかと」
(何が「大層お辛かったかと」だ。白々しい奴め)
 重実はそっと瞼を閉じ懸命に怒りを押し殺す。
「成程……その辺りはよく分かった。では、鬼頭殿が如何にして殺められたかをそろそろ話してもらおうか」
「ええ……あれは、私が会合に出向いた松代から帰った後でございます……」
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