第92話 再会・弐

文字数 2,078文字

 忠三郎との話を切り上げ、重実は雪と話す紘子の元に歩み寄った。
 重実の姿を間近に見た雪はその場に跪こうとしたが、重実はそれを制して声を掛ける。
「雪と申したな。ただ今忠三郎から聞いたが、ひろとは旧縁があるそうだな。こいつが気兼ねなく頼れる者が傍にいてくれるのは心強い。頼んだぞ」
「有り難きお言葉にございます。誠心誠意務めさせて頂きます」
 言葉遣いに所作ひとつ取っても、雪は武家に仕える女中としての最低限の素養を持っているのは明らかだった。
(ひろがこんなにも再会を喜ぶ相手だ、さぞ朝永では世話になったのだろうな。素人と違いそれなりに女中働きも心得ているようだし、従重が身請けしたのも間違いではなかったか)
 重実は安堵を覚えながら雪に頷くと、紘子に背を向けて再び屈む。
「さて、挨拶はそれくらいにして。ほら、行くぞ」
「あ、あの……重実様、雪の前ですし……」
 紘子は雪の目を気にしながら重実の背中から小さく一歩後退った。
「だが、お前……辛いんじゃないのか?」
「それは……」
 縋るようにきゅっと杖を両手で握る紘子の顔はやはり少し青い。
 すると、二人のやり取りを見ていた雪が上手く入る。
「奥様、私は先にお部屋と寝床の用意をしてまいります。恐れながらお殿様、奥様をよろしくお願いいたします」
 空気を読んだ雪に重実は内心感心しつつ、
「それは助かる。では、俺の部屋の隣が空き部屋になっている故、そこに用意を頼む」
 と彼女に命じた。

 それから暫くの後。
 紘子は重実の私室の隣室で雪が淹れた茶をイネと一緒に飲んでいた。
 室内では雪が紘子の寝床を整えたり着替えを用意したりと動き回っている。
 そんな彼女を見つめながら、紘子はふと考えた。
(雪とは朝永で別れて以来だが……ここまで今の私を見ても戸惑う様子がなかった。私の足のことを何も訊かずにいてくれているが……ご家老様にでも知らされたのだろうか)
 再会の感動が先に立ちすぐには考えが及ばなかったが、ここに雪がいることも、彼女がまるで最初から今の紘子が抱える事情を全て知っているかのように自然に振る舞うことも、紘子にはあまりに偶然の過ぎた話に思えてならない。
「雪、貴女がここにいるのはどういった縁なのだ?」
 紘子はせっせと働く雪に問う。
「ああ、それは……」
(参ったねぇ、それを訊かれた時の答えは授かってないよ。従重様(あの旦那)はこういうところの詰めが甘いというか何というか……さて、正直に話していいものかどうか……)
 雪は手を止め暫し言葉に詰まった後、
「……朝永から流れてきた後、峰澤(ここ)の飯屋で住み込みの下働きをしておりましてね。偶々お客でいらしたお武家さんがここのお殿様の弟君だったんですよ。お殿様が奥方を迎えるとか何とかで女手が欲しいので、女中働きの腕があるなら城で働かないかと勧められたのがきっかけです」
(……まぁ、偽りじゃないからね、これくらいなら話しても大事ないでしょうよ)
 と答えて笑ってみせた。
「何と、従重様が……」
「それより、奥様」
 湯呑みを手にしたまま瞠目する紘子の言葉をあえて遮り、雪は話を変える。
「こうして床の用意も出来ましたし、夕餉までの間、暫しお休みになられては如何ですか? お体が優れないようでしたら医者様をお呼びしますけれど……」
「かたじけない、雪。けれど、これは体がどうこうでなく気の持ちようなのだと思う。どうにもここが朝永の城に見えてしまって」
「……まぁ、確かにこのお城は朝永のお城と似ているところが多々ございますね。然程大きくないところといい、漆喰の壁といい」
 雪は紘子の言葉を聞くと成程と頷いた。
 しかし、その後紘子の隣に正座し身を乗り出すようにして話を続ける。
「ですが奥様、中身は大層違いますよ。お加減が良くなりましたら、お供しますから是非ご覧になって回ってみて下さいまし。所々古くなってはおりますけれど、古い物を大切になさっているのが良く分かりますよ。掃除も行き届いていますしね。彼方此方の床板が抜けていた朝永のお城とは大違い! それに、何よりお城の中の人たちがまこと良く出来たお方ばかりで。通いの女中も皆穏やかですよ」
「そうなのか? ならば……」
 紘子は雪に正対した。
「頼みがある。今から従重様のところへ案内してはもらえないだろうか」
 紘子の頼みに雪は眉間に皺を寄せぱたぱたと手を振る。
「いやいや奥様、お疲れの上にお加減もよろしくないのですからご無理なさらずとも。明日明後日でも良いではございませんか」
「私を気遣ってくれるのは有り難い。だが、雪の話を聞いて、こうして貴女と私の縁を結んで下さった従重様に早くお礼を申し上げたくなったのだ。そうでなくとも、従重様にはお礼を申し上げねばならぬことが他にも数多(あまた)あって……。それに、貴女がそこまで言うならこの目でしかと城の中を見たくなった。ここに来るまでは重実様に甘えてろくに周りを見ていなかった故」
 余計なことを喋り過ぎたかと雪は少々後悔したが、事ここに至っては仕方ない。
「うーん……そこまで仰るなら……」
 雪は渋々立ち上がり、紘子を連れて従重の私室に向かった。
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