第35話 幹子の昔語り・壱

文字数 1,220文字

 京と尾張の中程に、私の家はあった。
 旗本、八束家。
 当主は父の八束 秀郷(やつか ひでさと)
 母の名は孝子(たかこ)
 
 両親の間に子は私だけだった。
 親類縁者は父上に側室を持てと盛んに勧めたらしいが、父上は頑として首を縦に振らなかったそうだ。
 娘の私から見ても、確かに両親は仲睦まじい夫婦だった気がする。

 父上はきっとこうお考えだったのだろう。
 おなごは子を産むための道具ではないと。
 共に労り、愛し合うからこそ夫婦なのだと。
 故に父上は側室を迎えなかったのではないだろうか。
 きっと、父上には母上が誰よりも愛しい人だったに違いない。

 父上は勤勉実直な人柄で、決して人様に恨まれるような方ではなかった。
 おかげで父上はいつも沢山の人に囲まれ、度々相談事を持ちかけられていた。
 皆、父上を信頼していたのだろう。
 一旗本でしかないというのに、ご公儀から礼状が届く事もあった。
 真面目に粛々と任をこなし、周りの人々を大切にする父上を私は尊敬していた。
 
 母上は些細な事には動じない凛とした方で、母上が感情を剥き出しにしたところを私は見た事がない。
 女中さんや仕える武士の方が何か粗相をしても、声を荒げた事はない。
 そういう時の母上の口癖は、
「『何故ああしなかった、こうしなかった』と過ぎた事を責めたところで何も変わりはしないのです。大切なのは、『これからどう動き過ちを正していくか』ですよ」
 だった。
 私はそんな母上がとても誇らしかった。
 母上のようになりたいと、いつも思っていた。

 八束の家は、何代か前のご先祖が良く知られた何処ぞの公家の遠縁に当たるとかで、武家にありながらも公家との繋がりも深かった。
 それ故、ご公儀と朝廷のやり取りをお助けする任に長年就いていたそうだ。

 高い教養を持つ公家と渡り合うため、父上も母上も読み書きに連歌や算術、医術に天文学、果ては蹴鞠まで熱心に身に付けられていた。
 当然、娘の私も幼い頃から様々なものを教わった。
 武家であるが故に、父上には乗馬まで習った。
 けれど、何ひとつ嫌だったものはない。
 元々勉学が好きだったのかもしれないが、それ以上に両親からそれらを学ぶ時間はとても楽しく、あの頃は毎日が満ち足りていた。

 そういえば、ある時父上とこんな会話をした。

「みき、お前は真に立派な娘だ。父としては少々寂しいが、いずれはお前にこの家を継ぐ婿を迎えてやらんとな」
「父上、みきは父上のようなお方と夫婦になりとうございます。父上のような婿様がいらして下さると良いのですが……」
「全く、お前という奴は……欲がないのか?」
 苦笑いする父上に、あの時の私は満面の笑みを浮かべていた。
「父上のようなお方がいいという願いは、かぐやの無理難題に等しい我が儘にございます」

 だが、私たち一家のそんな幸せな日々は突然終わりを告げる。
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