第71話 一途過ぎるお殿様・参

文字数 2,876文字

「重実様が、私に?」
 紘子はちらりとイネに視線を送った。
「私も何も伺っておりませぬ。はて……」
 寝耳に水といった様子の二人に、佐原屋が答える。
「清平様は、『旅支度』と仰せでございました」
 それを聞いてイネは納得したのか、「ほぅ」と小さく声を上げた。
「姫様、よくよ考えれば姫様こそ着の身着のままで、今でさえ何もお持ちではないでございませんか。お殿様はそれを案じておいでだったのでは?」
(『お殿様』とは……やや、清平様はどこぞの藩主様であろうか)
 イネが何の気なしに口にした「お殿様」の一言に、佐原屋が僅かに目を見開く。
 そこそこの家柄と身分の武士であろうとは思っていたが、それどころかどうやら一国一城の主なのかもしれないと察したのだ。
 これはいよいよ上客だと、佐原屋は実に朗らかな面で最初の風呂敷を外して中身を差し出す。
 よくある長方形の丈夫な和紙の包みを見た途端、紘子とイネにはそれが着物であるとすぐに分かった。
 確かに今の紘子には着物は有り難い。
 最低限の襦袢や寝間着は城代家老の厚意で古着を譲り受けたが、外に着て歩くためのものは一着も持っていないのだ。
「どうぞ、お品をご覧下さい」
 佐原屋に促され包みを解くと、中には白藍の附下が一着。
 若い姫が着るには少々寒々としているようにも見えたが、紘子にはそれがいかにも重実らしく感じられた。
 
「思った通りだ、清楚なお前に良く似合ってる」

 いつぞやあづまで紘子の髪に櫛を差した時に重実が口にした言葉が紘子の耳奥に甦り、紘子の頬がうっすらと淡紅に染まる。
「生憎当方の本分は小間物屋、着物はとんと門外漢にございます。しかしながら、清平様のたってのご依頼でございましたので、知り合いの呉服屋を当たりまして、ご用意させて頂きました次第にございます」
 「類は友を呼ぶ」とはよく言ったものだ。
 それなりの眼力を持つ佐原屋の知り合いというだけあって、この着物を用意した呉服屋も良い職人を取り込んでいるらしく、生地の織りから縫い方まで実に丁寧な仕上がりになっていた。
「清平様は、お召し物の柄に大層強い拘りをお持ちでして……どうぞ、広げてご覧になって下さいませ」
 言われるがまま附下を広げると、裾から上へと見事な珊瑚色の芍薬が描かれている。
「何と美しい……」
 白藍に珊瑚色の芍薬が映えて、実に綺麗な一着だ。

 着物に加えて帯など一通りの品を添えて差し出した佐原屋は、続いて二つ目の風呂敷包みを紘子の前に置いた。
 風呂敷を解き、佐原屋はそれを手で促す。
「こちら、着物と色合いを揃えて作られた頭巾にございます。どうぞ、お取り下さい」
「では……失礼いたします」
 紘子が手に取った頭巾の裾にも花が描かれていた。
「おや、柄も揃えられたのでございましょうか」
 横から覗くイネは感心したが、紘子は何かに気付き首を横に振る。
「いいえ、これは芍薬ではない……色といい形といい、着物の芍薬と大層似ているが……」
「さすがは八束様、お気付きでございますか」
 佐原屋は笑みを深めた。
「はい……これは牡丹ですね?」
 紘子が問うと、佐原屋はゆっくりと頷く。
「左様でございます。そちらの柄も、清平様がどうしても牡丹にするようにと仰せになりまして。さて、こちらが最後のお品にございます」
 佐原屋は最後の包みを前に出した。
 風呂敷を広げる前から明らかにこれまでの二品とは違った類の物だと分かる形状は、細長い直方体だ。
 現れたのは桐箱だが、その長さはおよそ四尺程はあろうか。
 刀にしては長過ぎるが、そもそも女性の紘子に刀を授けることはないだろう。
 紘子が慎重に桐箱の蓋を開けると……。
「これは……」
 箱の中にあったのは杖だった。
 材質は恐らく外箱と同じ桐だろう。
 持ち手の辺りには綿入りの布が被せられ、小さな鈴がつり下げられている。
 その布の柄に、紘子は目を瞠った。
「白百合……っ」
 布には小さな白百合の花が描かれており、紘子はそれっきり言葉が出ない。
(重実様、これは……これは、つまり……)
 重実の「真意」に気付いた紘子の端正な顔は当惑に歪み、ぶわっと紅潮する。
「姫様、如何されましたか!?」
 紘子のただならぬ様子にイネは動揺するが、佐原屋は微笑んだままだ。
「八束様、そのご様子ですと清平様の『お言葉』に気付かれたようでございますね」
「重実様は……お戯れが過ぎる……」
 困ったようにふるふると首を振ったり視線を彷徨わせたりと、紘子は完全に狼狽した。
「恐れながら、清平様はお戯れなどございませぬよ」
(大層しっかりされているお方だが、年頃の娘らしいところもおありのようだ。斯様な可愛らしいところも、清平様はお気に召されたのやもしれぬ)
 佐原屋はゆったりと目を細め、杖を注文した時の重実について語り出す。

――重実、松代を発つ前日。
「清平様、桐ではすぐに先が削れるか、はたまた折れてしまいましょう。箪笥には最良でございましょうが、人の重みを支える杖となると些か心許ないのでは?」
 店を訪れ着物や頭巾と一緒に桐の杖を注文する重実に、佐原屋は苦言を呈した。
 しかし、重実は確信を持って返す。
「桐でいいんだ」
「はい?」
(人の歩みを助ける杖は頑丈であってこそ価値があろうに、清平様は一体……)
 怪訝そうにする佐原屋は納得する答えを聞かなければこの注文を受けないだろう……重実はそう感じて口を開く。
「桐はとにかく軽い。細腕のおなごが持ち歩くには軽い杖でなければいかん。損ねたら損ねたで結構、何度でも新しく作り替えればいい。そのための被せ布だ」

 佐原屋は紘子を穏やかに見つめ、当時を振り返りながら続ける。
「被せ布は紐を解けば新たな杖に付け替えられるようになっております。清平様は、八束様が杖の重みに疲れる事なく永く共に歩んで下さる事を切に願っておいでなのです。それこそ、何本も何本も杖を替えねばならぬ程の長い年月を。そして、それぞれの品が揃って成す意味……当方、長らく商いをして参りましたがこれ程まで想いを込めた贈り物をなさる御仁には出会った事がございません」
「それぞれの品が揃って成す意味……? 私にはとんと……姫様、その心は一体何でございますか?」
「そ、それは……」
 口を噤んでしまった紘子の代わりに、佐原屋がイネの方を向いた。
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花……でございます。清平様にとって、八束様は斯様な姫君であらせられるという事でございます。とはいえ、それを贈り物でお伝えなさるとは……いやはや、品を揃える当方まで何やら気恥ずかしく落ち着かぬ心地でございました」
「まぁ……」
 イネは唖然とし、品物と紘子を交互に見やる。
「イネ、あまり見てくれるな……いたたまれぬ」
「何を仰せにございますか! お殿様にここまでして頂いているのです、八束の姫君として誇らしくなさって下さいませ!」
「恐れながら、当方も乳母殿と同じく。凛と輝いてこそ、清平様のお心に応えられるというものでございましょう」
「……私は」
 紘子の顔がようやく柔らかく緩んだ。
「私は、日の本一幸せな女子やもしれぬ」
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