第82話 左山奇縁・参

文字数 3,927文字

 茂みの中から姿を現した五人の男は、切っ先を突きつけながらじりじりと距離を詰めてくる。
 重実と三木助、そして小平次は即座に腰の刀を抜き、三木助は重実を庇うように前に踏み出した。

 一触即発の空気の中、イネは紘子に駆け寄り、紘子は胸元にしまっている櫛に着物の上から触れる。
(先走って下手に動けば重実様や皆を危険に晒す。命じられたらそのように動く、それが最善だ)
 紘子はお守り代わりに櫛の感触を確かめながら重実を黙って見つめた。

 頭数も状況も不利な中にありながら、重実は冷静だ。
この間にも彼は素早く考えを巡らせる。
(刀の手入れ具合、握り、構え……ろくに鍛錬も積んでいないのは明白だ。道場の童の方がまだまともな動きをするだろう。だが、こいつらの目は危ない。悪事を働くことに、それこそ人を殺めることに何の躊躇いも感じておらん。先の言動からも恐らく……いや、間違いなくここの富樫を斬ったのはこいつらだろう。剣の腕なら小平次の方が遥かに上だろうが、こういう連中は卑怯を卑怯とも思わん。殺すと決めたら如何な手も使ってくる。あまり相手にはさせたくないな。それから、何より……)
 重実は三木助の存在に頭を痛めた。
(……三木助は、この場では使えん)
「三木助、人を呼んでこい、出来るだけ多くだ。この際役人でなくても誰でも構わん。とにかく急げ」
 背後からの重実の命令に、三木助は思わず振り向く。
「何をっ、殿の御身が危うい時に――」
「故に急げ! この場でそれを任せられるのはお前だけだ、躊躇っている刻はない!」
「……っ」
 三木助は唇を噛みながら刀をしまい、横に駆け出した。
「野郎、どこに行きやがる!」
 賊の一人が三木助を見て追おうとするが、即座に重実が賊の進路を塞ぐ。
(三木助殿は賢く真面目ゆえ、縁なき人からも信を得やすいだろう。助けを呼ぶには最も適したお方だ。けれど、たったお一人では賊に追われた時が心配だ)
 紘子は枇杷丸の口縄を引いた。
「枇杷丸、三木助殿と共にお行きなさい! お前は良い子だ、出来るね」
「ぶふんっ」
 枇杷丸は一瞬ぶるると震えて後退ったが、紘子の真剣な眼差しに後退する足を止めると、三木助の元に駆ける。
「紘子殿!?」
 驚く三木助に紘子は叫んだ。
「枇杷丸に乗れば人の足より速いでしょう! お願いいたします!」
「――っ、承知!」
 三木助は枇杷丸に跨がると、
「すぐ、すぐ戻ります故!」
 と駆け去っていく。

 枇杷丸の手綱を握り先を急ぐ三木助の脳内では、紘子の叫びが何度も繰り返される。
(紘子殿……あのような場に居合わせさぞ恐ろしいであろうに、あれほど気丈に……)
 紘子こそ、万一の際に逃げられるよう枇杷丸を傍に置くべきだ。
 しかし、彼女は重実の意向を尊重し、三木助に命運を託した。
 それが三木助の肩に重くのしかかりながらも、不思議と心を奮い立たせる。
「どうか暫しご辛抱を。この三木助、必ずや!」
 
「畜生め、退きやがれ!」
 立ちはだかる重実に幾度となく刃を弾かれ、賊は苛立ちを見せた。
 すると、頭目らしき男が仲間に指示を出す。
「こいつは俺らで引き受ける、てめぇらは先に女を狙え!」
 五人の賊は二手に分かれ、二人は重実を挟み撃ちにし、三人は小平次に向かった。
「小平次、ひろとイネを守れ! 指一本たりとも触れさせるな!」
「はっ!」
 小平次は背後に紘子とイネを庇いながら、三人の賊の一挙一動を凝視する。
「弾き返し遠ざけることだけを考えろ、深追いはするなよ!」
 正面から振り下ろされた刀を受け止め、背後から来た賊を後ろ蹴りで押しのけながら重実は小平次に叫んだ。
「手加減しろと!? 何故ですか!」
「今は黙って従え!」
 さすがに殺す気で来ている賊を二人同時に相手取れば重実とて余裕はない。
 いつもならば小平次の反論を短い言葉で封じたりなどしない重実が、一方的に、力任せに会話を切った……まだ心根に幼さの残る小平次には、慕っている主君に拒絶されたようにも思え、悲しさと悔しさが沸き上がる。
 しかし、今それに気を取られれば己のみならず紘子とイネも無事では済まない。
 小平次は奥歯を強く噛みしめながら刀を構えた。

 三人の賊は少年の小平次を完全に侮った様子で、
「尻尾巻いてとっとと逃げてもいいんだぜ? 後ろの女さえ置いてきゃあな」
「小便漏らす前に帰ったらどうだ?」
「童が勝てる訳ゃねぇんだからよ」
 とめいめい侮蔑の言葉を投げると、二人が童子に小平次に斬り込みその間に残りが回り込み紘子とイネに迫る。
 賊たちはそれで万事上手くいくと思っていた……が。
「でやあぁぁぁっ!!」
 甲高い声で気合を発した小平次の刀が瞬時に閃き二人の賊の胴を薙ぎ払い、そこから小平次は
横に駆けると刀を返し逆袈裟に腕を斬り上げる。
 いずれも致命傷には至らぬよう浅く刻まれた傷だったが、賊の意気を削ぐには十分な斬撃だ。
 しかし、腕を斬られた賊は
「このガキが、つけ上がりやがって!」
 と片手で刀を振り回した。
 小平次は苛立ちを顔に滲ませながら、賊の乱れた剣筋を一つ一つ見切って弾く。
 剣の腕の差は誰が見ても明らかだった。

 だが、武士の心をとうに捨てた賊連中は、道端の小石を拾い小平次に振りかぶる。
 それにいち早く気付いたのは小平次の後ろにいる紘子だった。
 紘子は右手で杖を強く掴み、槍に見立てて賊に投げつける。
「紘子殿!?」
 紘子の突然の暴挙に驚いた小平次だったが、軽い音を立てて賊の前に転がる杖に目をやり初めて賊が投石しようとしていたことに気付くと、怒りに顔を紅潮させた。
「この――卑怯者!!」
 小平次は一歩間合いを詰め眼前の賊を瞬時に斬り払って横に蹴飛ばす。
 倒れた賊は呻いて藻掻くばかりでもはや立つことさえ出来ない。
(小平次殿が、手加減を忘れている!)
 紘子は重実の方を見るが、今の彼にはそれに気付く程の余裕はなく、頭目格の賊二人を抑えるのに精一杯で小平次を止められそうにない。
(本来、このような場では士分ある者が刀で人を殺めても咎を受けることはない。だのに重実様が小平次殿に不殺を命じたのには、必ず何かわけがある。きっと、小平次殿のための何かが――)
 そう気付いた時には、紘子は小平次の袖を掴んで引いていた。
「小平次殿!」
 紘子はありったけの声で小平次の名を叫び、小平次ははっとして紘子を振り向く。
「なりません!」
「なれど――っ」
 小平次には理解出来ない。
 相手は間違いなくこちらを殺す気だというのに何故この姫君はこんな生温いことを言うのか、と。
「お放し下さい! 死にたいのですかっ!!」
 小平次は喚きながら紘子の手を振り払い石を持つ賊の方を向いたが……。
「殿……?」
「重実様……」
 風に乗って漂ってきた血の臭いに、紘子はびくりと肩を上げた。
「うああ……痛ぇ、痛ぇよ……」
「ううぅ、ううぅ……」
 重実を挟撃していた賊二人はいつの間にか太腿を押さえて呻きながらのたうち回り……
「石が飛ぶ前に貴様の首が飛ぶぞ。それでもいいと言うなら、好きにしろ」
 重実の刀の切っ先は、石を持つ賊の首筋に突きつけられていた。

 重実の脅しに血の気を失った賊の手からぽろりと石が転がり落ちたところに、
「捕らえーっ、捕らえーいっ!」
 という掛け声とともに大勢がどかどかと駆けてくる。
「殿ー! 紘子殿ー! 三木助ただ今戻りました!」
 三木助が助っ人を呼んできたのだ。
 三木助の後ろには、羽織に二本差し姿の役人と思われる武士や腕っぷしの良さそうな職人風の男衆がそれぞれ数人と野次馬連中と思われる男女が数人、合わせれば賊など囲んで一網打尽に出来る頭数だ。
 これにはまだ辛うじて動ける賊も完全に戦意を喪失、賊は重傷を負った者も含めて全員役人に捕縛される。

「ひろ、イネ、怪我はないか?」
 刀を納めた重実が紘子に駆け寄った。
「はい、小平次殿のおかげで私たちは無事です」
「そうか……小平次、三人相手によくやってくれた。やはりお前は凄――」
「またですか」
 紘子の答えに安堵した重実が小平次を労おうとした時、その小平次が剣呑に重実の言葉を遮る。
「小平次?」
「殿は肝心なところでいつも私を子供扱いなさります! 殿の中では私はまだ『あの時』の幼子のままなのですかっ!」
 小平次が発した怒号は、酷く悲しげに聞こえた。
 「あの時」という一言に顔色を変えた重実は返す言葉を失い、暫し呆然とする。
(重実様と小平次殿の間には、かつて何かあったのだろうか……?)
 立ち入るに立ち入れず、紘子はイネと顔を見合わせた。
「そんな、つもりは……」
(……駄目だ、これじゃただの言い訳だ)
 重実は俯き加減にぽつりと
「……すまん」
 とだけ口にする。
 あまりに彼らしくない歯切れの悪い態度に、ついさっき小平次を止めた紘子の胸も痛んだ。
(何が理由かは分からないけれど、小平次殿は重実様の(めい)に承服しかねる様子だった。重実様の意を汲んだ私も、小平次殿の逆鱗に触れたに違いない)
 項垂れる重実と紘子の姿を前に、感情を爆発させたもののいたたまれなくなったのか、小平次は
「口が過ぎました。暫し頭を冷やしてまいります」
 と言って離れ、近くの畑の畦道に腰を下ろして下を向く。

 そこに、役人からの聞き取りを終えた三木助が戻ってきた。
「殿、あの富樫なる用人との経緯(いきさつ)については私の方から申し上げてまいりましたが、この場での賊との応酬について殿から直々に伺いたいとのことにございます。こちらに通してもよろしいですか?」
「……いや」
(俺も、少し頭を冷やした方がいいかもしれんな)
 重実は力無くかぶりを振り、
「俺が行って話してくる」
 と答えると役人のいる方へと歩いていく。
 その背中がどこか切なげで、紘子はきゅっと唇を噛んだ。
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