第24話 城に見る悪夢・参

文字数 2,114文字

淳庵(じゅんあん)殿、待たせてすまない」
 重実は淳庵の控える部屋の襖を開ける。
 齢四十前の藩医・須藤淳庵(すどうじゅんあん)は恐縮した面持ちで頭を下げた。
「何と。此方から出向くつもりでおりましたのに。殿に足を運ばせてしまうとは」
「止してくれ、俺と其方の間柄ではないか」
 重実がまだ幼い頃から淳庵は先代藩医の弟子として城に出入りしていた。
 その後、両親の死を次々と看取り心揺れる重実の相談にも乗っていた淳庵を、重実は年の離れた兄のように慕っている。
「……して、話とは?大方、ひろ……あの町娘の事だろうが」
 真剣な顔で尋ねる重実の前で、淳庵は声をひそめながら話し出す。
「はい。まず、此度の傷ですが、そう浅いものではございませんし何より血を失い過ぎております故、暫くは満足に動けないかと。決して無理はさせませんよう。それと、申し上げにくいのですが、手当ての折に着物を剥ぎましたところ、その……脇腹や背中に幾多も古い刀傷の痕がございまして」
「……刀傷?」
 重実は怪訝そうに眉根を寄せた。
 武士が腰に刀を下げていたこの時代、刀傷を持つ者などごまんといた。
 だが、それはせいぜい武家の者か、戦を知る者や巻き込まれた者に限られる。 
 そもそも刀を持たない町娘が、幾つもの刀傷を負っているなど不自然極まりない。
「はい……よもや、くノ一や隠密の類ではないかと危惧しまして……」
 淳庵の推測に、重実は思わず軽く吹き出した。
「ははっ!いやはや失礼、勝徳も似たような事を言っていたと思い出し、つい。それに、あの草の根っこみたいに痩せ細ったひろが隠密稼業をする姿がどうにも思い浮かばなくてな。そもそも、忍びの類であれば町人の振り回す包丁くらい軽く躱すだろう」
「それもそうですな……はははっ」
「だが……気になるな」
 笑いを封じた重実に合わせるかのように、淳庵も真顔に戻る。
「はい……脇腹や背中は、腕や足と違い着物を脱がぬ限りは露わにならぬもの。しかも、脇腹はまだしも背中など己で傷を付けるのは難儀にございます。加えて、傷はどれも浅かった様子。あの娘がくノ一などでないとなれば、私には何者かの、それもあの娘と余程深い仲にあった者の悪意があの娘に向けられていたと感じられてなりません」
「悪意……か。確かに、浅い傷を幾多も付けるというのは、ある種の拷問に近いものがあるからな」
「仰る通りです……」
 それきり黙り込む重実に淳庵は尋ねる。
「殿、今何をお考えですか?」
「いや……ひろの体をそうも痛めつけた者は一体何者なのかと思ってな」
「ただの町娘ならば、そのような物騒な者と関わり合いになる事はまずないでしょう。売られた先から逃げ出してきたのであれば、追っ手に傷を負わされたり買い主の折檻を受けたりといった事も考えられましょうが……」
「淳庵殿、例えばの話だが……仮に旗本格の武家の娘が斯様な傷を負うとしたら、如何な事情が考えられるだろうか?」
 重実の問いに淳庵は僅かに目を細めた。
「全く見当も付きませんな……。そのお家に余程の乱心者がいるか……私にはそれくらいしか思い付きません」
「乱心者……」
(ひろの父親がおかしくなって、思い余ったひろが父親を手に掛けた、母親は止めに入ったところ巻き込まれた……なんていう筋書きか?)
 淳庵の答えで一つの仮説を立ててみるも、重実にはどうもしっくり来ない。
 心の中で首を横に振る。
(そんな理由ならあの時あんな事を俺に訊いたりしないだろう)
 重実が思い出したのは、茶屋で紘子が問うたあの一言だ。

「生き残った者が生を楽しむのは、先立った者に許される事でしょうか」

 父か母が乱心していたのであれば、そして幾度となく痛めつけられてきたとすれば、仮にそんな親を手に掛けたとしても「許されるかどうか」など気にはしない。
 しかも、忠三郎の聞き取りによれば、紘子はたきの代わりに借金取りにその身を捕らわれる事さえ厭わなかったというではないか。
 そればかりではない。
 母親が刃傷沙汰を起こした所をたきに見せまいと、身を盾にして隠し、のぶを必死でその場に留まらせたのだ。
 怪我を負った事はさておき、のぶが乱入してこなければ今頃紘子は由作の借金のかたに何処ぞに売られていたであろうし、たきとて残酷な母親の姿を見ながら引き離されるという悲惨な結末を迎える事となっていたに違いない。
(そもそも、そんな奴に親殺しなんて大それた事が出来るか?)
「全く、一体どんな乱心者と一緒にいたんだ?」
 悩ましげに呟かれた疑問に、淳庵は
「殿、そこまであの娘に拘るのは……」
 とまでは言葉にしたが、「何故にございますか?」と問いの最後まで言い切ることは出来なかった。
 何となくではあるが、その「答え」を淳庵は悟ってしまったのだ。
 そして、暫く言葉に迷った後、
「……相当難儀なお方でございましょうな」
 とだけ告げる。
 重実には、その一言に淳庵が何を込めたかが分かった。
 分かったからこそ、まさに図星を突かれたこの状況にどうにも寂しい苦笑が漏れる。
「ああ……全くだ」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み