第13話 重之介の内なる企て

文字数 2,900文字

「早文、ですか?」
「ああ。飛脚を手配するには金が足りんという事でな、ふらふらしてる浪人に馬でも貸して安い駄賃で届けさせようっていう……浪人が増えたこのご時世じゃままある話さ」
 かっぽかっぽと小気味良いリズムに体を揺らしながら、重之介は紘子に事の次第を説明していた。
「そういうわけだから、途中届け先の寺に寄って……飯はそれからだ。豪華なもんは奢ってやれないが、味は保証する」
「……ありがとうございます」
 礼を言う紘子が今どんな顔をしているのか……後ろの重之介には見えない。
 それが僅かばかり彼にはもどかしかったが、声色から嫌がってはいないと思える事で己を納得させる。

 二人の乗った馬は林道を抜け、山間の寺に到着した。
 重之介は紘子を降ろすと、木に馬を繋ぐ。
「それじゃ、文を渡してくるから、ひろはここで待ってろ」
 重之介の姿が門の向こうに消えた後、紘子は周囲を見渡した。
 人気は殆どなく、生い茂る草木の匂いと鳥のさえずりが紘子を包む。
 その清々しさに紘子は深呼吸した。
(こうして自然の中にいると、現実を忘れてしまいそう……)
「夢では……ない」
 確かめるようにぽつりと零れた一言に、紘子ははっとする。
 「夢ならいいのに」と思うような事は今まで何度もあったが、「夢でなければいい」などと考えたのは……そうだ、重之介に背負われたあの時くらいだ。
(思えば……)
 紘子は馬をそっと撫でる。
(父上以外の殿方と馬に相乗りなど、これが初めてだ……。それに、こうして出掛ける事も。この二年近く、東町の隣町くらいにしか行った事がない。峰澤のこんな外れにまで足を伸ばした事はなかった。重之介様は、初めてお目に掛かってから沢山の「お初」を私に下さる……)
 馬の相乗りは勿論、同じ海老天を齧り合った事も、手を繋いで出掛けた事も、広い背中に背負われた事も。
 幼い頃に父や母を相手には経験した事もある。
 しかし、父親以外の男と……まして、それが知り合って間もない何処の者ともつかぬ浪人など初めてだ。
(重之介様の傍にいられたら、私はこれからも様々な「お初」に巡り会えるのだろうか?そうなったら、どれ程心躍る毎日を過ごせるだろう……)
 距離を置くべきだと内心では思っていても、紘子の胸の奥底ではどんどん彼の存在が大きくなり始めていた。

 一方、寺に入った重之介は、完全に紘子の視界から外れた事を確認すると、
勝徳(しょうとく)、いるか」
 と玄関に小声を投じた。
 間髪を入れず廊下を小走りに駆ける音がして、間もなく袈裟姿の僧が姿を現す。
「と、殿!?」
 素っ頓狂な声を上げて重之介を「殿」と呼んだ僧を、彼は慌てて
「しっ!」
 と黙らせた。
 重之介が「勝徳」と呼んだ僧はこの寺の住職のようだが、重之介とそう齢の変わらない容貌の若僧だ。
 背丈こそ重之介より低いが、袖口から覗く腕は太く、筋肉が盛り上がっている。
 質素な着物と袴姿で町人風情の髷を結う重之介の風貌を見て、勝徳は嘆息した。
「全く、お忍びで直々にいらっしゃるなど……驚かせないで下さいよ」
「ああ、急ですまなかった。急ぎ、調べてほしい事があってな」
 重之介は懐から文を取り出した。
「詳細はここにある」
 恭しく文を受け取った勝徳は、中身を確認して困ったように眉根を寄せる。
「町娘の素性を暴けとは……しかも本人に察される事のないようになどと……はあぁ」
 嘆息、再び。
「恐れながら、手掛かりが足りのうございます。せめてどのようなおなごなのかこの目で拝見しなければ何とも……」
「それなら下にいる」
「……は?」
 唖然とする勝徳に、重之介は手招きした。
 寺を囲む生け垣の合間から石段の下をこっそり覗くと、繋がれた馬を撫でる紘子の姿がある。
「あのおなごでございますか……何処ぞの後家さんですか?」
「そんなわけがなかろう。独りもんだ」
「いやいや……」
 生け垣の陰で男二人が声をひそめて話しながら娘を覗き見している光景など何とも見苦しいものだが、幸い他に人はない。
「独りもんの娘にしては……髪が短うございませんか?」
「そうか?俺は然程気にも留めなかったが」
「あれぐらいですと……」
 勝徳は目を細めた。
「ここ一、二年の内に一度は切り落としておりますよ」
「へぇ……」
(日々の生活に事欠いて髪を売ったとか……そんなところか?)
 いずれにせよ、重之介はその辺りに限ってはとんと疎いのか、勝徳の推測にも大して反応しない。
 だが、この後の勝徳の言葉にはそうはいかなかった。
「それにしても、目鼻立ちの整った見目(みめ)良い(おもて)をしておりますな……馬を撫でる仕草ひとつ取っても品がある……」
「手、付けるなよ」
 即座に切り込んできた重之介を見て、勝徳は
「ははぁん……」
 と意味深長に重之介を見る。
「……そういう事ですか。あのおなごが御正室に相応しいかどうか、探りを入れろと」
「当たらずも遠からず」
「え、当たらずでございますか?」
 そっと生け垣から身を離した重之介は、勝徳もまた生け垣から離れるのを待って口を開いた。
「文にも書いたが、あれは恐らくそこそこ格式の高い武家の妻子だ。両親が既に亡いと言っていたから、家ももうなかろう。だが……それだけならば己の素性をひた隠しにする必要もない筈だろうに、これまでの経緯はおろか身分すら決して明かさない」
「よもや、何処ぞの間者ではございませんか?ああ見えてくのいちとか……」
「馬鹿を言え」
 重之介は勝徳の二の腕をぱしっと叩く。
「あんな細っこい手足で忍び稼業が出来るものか。下働きがかさんで熱を出すような奴だぞ」
「成程……では、何故己の事についてだんまりを決め込むのでしょうか」
 腕をさすりながら小首を傾げる勝徳に、重之介は呟いた。
「俺の勘でしかないが……何者かに追われているのかもしれん。その由は分からんがな」
「追われている者が寺子屋など開きましょうかね?」
 勝徳は重之介からの文を開いて読みつつそう返す。
「だから、その辺りも含めて調べてもらいたいのさ」
 坊主頭を掻き掻きしながら、三度目の嘆息。
「……承知しました」
「恩に着る。では、頼んだぞ」
「あっ、そういえば……」
 踵を返す重之介を、勝徳は咄嗟に呼び止めた。
「つい先日、信州の方から来たという旅の僧を拙僧の寺に泊めたのですが、その僧から興味深い噂を聞きまして。二年程前、その僧と旧知の仲にあった僧が大名の奥方を拐かしたきり、すっかり行方を眩ませたとか。今なお彼らを見かけたと言う者はおらず、まるで神隠しにでも遭ったかのようだと囁かれているそうです」
「二年前……僧……」
「以前、参勤からお帰りの後に旅の僧から怪我の手当てを受けたと仰っていたではございませんか。確かそれも二年前でしたでしょう?何かお心当たりはございませんか?」
 重之介は記憶の糸を手繰り寄せるが、かぶりを振る。
「いや、その時俺が逢ったのは女連れの僧じゃない……一人の尼僧だ」
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