第31話 夫殺しの手配人

文字数 4,934文字

 峰澤城。
 上座に座る重実に相対しているのは勝徳だ。
「来るなら来るで文のひとつもよこせば良いものを……って、お互い様か」
「そういう事です」
 二人は軽く冗談を飛ばし合う。
 それは、これから始まる話がひどく重いものになるであろう事を互いに悟っていたからであろうか。
「こうして殿の元に直接お伺いしましたのは――」
 勝徳は改めて居住まいを正した。
「――文にしますと、万一外に流れた際に色々と厄介な事になりそうな話でしたので」
「そうだろうと思った。まぁ、こっちは覚悟は出来ている。聞かせてくれ」
 重実の顔からも笑みが消える。

 数秒の沈黙の後、勝徳が口を開いた。
「恐れながら、あの娘の確たる素性は掴めませんでした」
 まさかの報告に重実はがくっと肩をずらす。
「おいおい、お前ともあろう者が……。などと言って、転んでただで起きるお前じゃないだろう?」
「それはまぁ、もちろんでございますよ」
 勝徳は区切りにふっと息を吐き出した。
「確たる証はございませんが、あまりに揃い過ぎている事柄を並べた結果、もしや……という推測は立ちました。あくまで拙僧の見立てではございますが、あの娘は鬼頭 幹子(きとう みきこ)なる者やもしれません」
「……そいつは何者だ?」
 重実の問いに、勝徳の顔が険しく歪む。
「……朝永(ともなが)藩主殺しの下手人でございます」
「藩主殺し……だと?」
 重実の端正な顔がぴくりと引きつった。
「はい……」
 勝徳は声のトーンを落とす。
「先日寺で遠目に拝見したところ、あの娘の齢は恐らく十五から二十辺り、しかも殿の見立てではそこそこの家柄の武家の娘で、何者かに追われているのでは……との事でございました。調べましたところ、その年頃の武家の妻子でお尋ね者になっている者はそれなりにおりました。美人局(つつもたせ)に物盗り、商家の番頭から金をだまし取った者もいれば、火付けなんぞも。いかに凋落(ちょうらく)した武家が増えたかがこれだけでも見えてくるというものですが、そんな事はさておき……」
「中でもひと際目立ったのは、先に申しました『藩主殺し』です」
「……詳細は?」
「只今お話しします。二年と少し前、信州にある朝永藩藩主の鬼頭 貞臣(きとう さだおみ)が、寝所で何者かに腹を刺されて亡くなりました。寝所には、奥方である鬼頭 幹子(きとう みきこ)(かんざし)が落ちており、当時家老であった吉住 是直(よしずみ これなお)はこれを証拠の品とし、幹子を藩主殺害の下手人として奉行所に届け出ております。当時、幹子は十五歳の幼妻、藩主の遺体が発見された時には既に行方を眩ませていたそうです」
「二年前か……」
 幹子が生きているとすれば、今は十七歳だ。
(ひろの齢は聞いた事がないが……それくらいでもおかしくはないか……)
 重実が「二年前」というフレーズで紘子の年齢を気にしているのに対し、勝徳の着眼点は少し違った。
「以前、殿に信州の僧から聞いた噂話をした事を覚えてらっしゃいますか?」
「ああ、確かひとりの僧が大名の奥方を(かどわ)かして姿を消したと……」
 勝徳の目がすっと細められる。
「……時期と場所が一致するとは思いませんか?そして、その頃殿はひとりの尼僧をお見かけになったと。その尼僧が、実は信州の方から逃げてきた幹子だった……と考えるのは、突飛過ぎますでしょうか?」
 勝徳の推理に、重実は首を傾げた。
「勝徳、それでは肝心の僧がどうなったか分からないじゃないか。大名の奥方を拐かした奴がその奥方を放ってどこに行ったと言うのだ?」
「周囲に怪しまれないようにするために二手に分かれたという事は十分あり得ます」
(勝徳の言う事も分からなくはないが……それだけじゃ、幹子と尼僧、それからひろがそれぞれ繋がらないな)
「鬼頭家の事は何か調べていないのか?」
 重実が問うと、勝徳はひとつ頷き言葉を続ける。
「ええ、調べましたとも。まず、この鬼頭貞臣ですが、とんだ酒狂いで毎晩酒に溺れては奇行蛮行に走っていたと。お家の名に傷が付きやしないかと家臣たちは常に肝を冷やしていたそうです。そのような男でしたので幹子との間には当然子もなく、死後は跡継ぎがいないとの由で取り潰しに。それでも家老の吉住は主を手に掛けた幹子を捕らえようと今も諸国を渡り歩いているとかで、朝永の地では家臣の鑑と言われているようです」
「毎晩奇行蛮行か……」
 ふと、淳庵に聞いた紘子の体の刀傷を重実は思い出した。
(繋げようと思えば繋がるが……まだ弱いな。仮にひろが幹子だったとしても、何かこう……決定的な「何か」を見逃しているような気がしてならない)
 重実は勝徳に依頼する。
「幹子に近い人間を捜し出して話を聞いてくれないか?幹子の親、親類縁者、仕えていた女中、誰でも構わない」
 すると、勝徳は頷きながらも渋い顔をした。
「承知しました……しかし、幹子の親は無理です。幹子に夫殺しの嫌疑が向き、簪が証拠として奉行所に差し出された直後、斬首されています」
 重実は目を丸くする。
「何だと?親が片棒でも担いでいたのか?」
「いいえ……拙僧が耳に挟んだ限りでは、ろくな調べも行われず問答無用だったと」
 それを聞き、重実は「見逃している何か」が見えるような感覚を得た。
 思い出されるのは、これまで紘子と親の事について交わした会話だ。

「私も、十五の時に親を亡くしました……」
「生き残った者が生を楽しむのは、先立った者に許される事でしょうか」

(ひろが十七歳だとすれば、親を亡くした時期が一致する。それに、あいつは親の死に何か責めを負っているようなところがあった。もしも、藩主殺しが親の死に関わっているとすれば、ひろが気に病むのもおかしくはない……)
 重実が見ようとしている「見逃している何か」……それが何かはまだはっきりしないが、今明かされている事をそのまま全て鵜呑みにすると大きな誤りを見逃す……そんな気がしてならない。
 重実は次々と思考を巡らせる。
(問答無用に斬首とは……それはつまり、急いで親を消す必要があったという事だ。だが、それは何故だ?藩主殺しを早々に解決する事で藩の威信を保とうとするならば、当然幹子の身柄を確実に押さえる必要がある。幹子が実家に逃げ帰ろうとする事を考えて先回りしたという事か?いや、先回りしたならば親を人質に取り幹子に出頭を促すのが定石だろう。親の首を斬るならばその後、幹子の沙汰が決まってからだ。幹子を捕えていないうちから親を始末するなど下策でしかないぞ。だのにその「下策」に出たのは何故だ……?)
「……何らかの理由で、朝永藩側には幹子の親の口を封じる必要があった……とか?」
 重実の呟きに、勝徳も頷いた。
「幹子は元々(きょう)尾張(おわり)の中程に居を構える旗本八束(やつか)家の一人娘にございました。八束家は先祖が公家だったようで、そのお陰で公家と武家双方への人脈も広かった故に、幕府と朝廷の間を取り持つお役目を代々担っていたようです。旗本とはいえ、当時石高二万石の朝永鬼頭家に嫁ぐには相応の家柄だったかとは思いますが……」
 勝徳の言わんとしている事に重実が気付く。
「それだけ由緒ある家柄ならば一人娘に婿を取り存続を優先すべきだよな」
「左様にございます」
「何故嫁になど出したのか……」
 そこまで口にして重実は一つの推測に至った。
 大名家の者でなければ大凡(おおよそ)辿り着かないであろう推測だ。
「……違う、望んで嫁に出したのではない。大名の家格を突きつけられ、引き下がらざるを得なかったんだ。藩主が乱心者でご公儀に睨まれれば終いだ、家臣の中に頭の働く奴がいれば人脈ある有力な旗本家の娘を引きずり込んで御家の存続を図ろうとするに違いない。どれ程の家柄であろうと旗本は所詮旗本、藩主たる大名に比べれば力関係では下にならざるを得ない。そこを突かれたとすれば嫁に出すより他なかったのだろうな」
「……不本意な輿入れの末にその相手が不穏な死を遂げたとなれば、娘の身を案じその人脈で真相を探ろうとしてもおかしくはありません。それが親心というものでございましょうから」
「そして、そうされては困る事情が朝永の方にはあった……故に、先に親を始末した」
 「見逃している何か」がいよいよ形を帯びて重実に見え始めた。
(仮にひろの正体が幹子だとすると……)
 あくまで「仮定」として重実は筋道を立ててみる。
 「窮鼠猫を噛む」という諺があるように、追い詰められた人間は何をするか分からない。
 夫の蛮行に苛まれ続けた若妻が精神的に極限状態となり夫を手に掛ける事もあり得るだろう。
 だが、重実が知る紘子は「猫を噛める」気質ではない。
 思わぬ刃を身に受け死ぬやもしれぬ極限状態にありながら、たきの心を慮るあまりそれをひた隠し、相手を咎める事さえしない女だ。
「なぁ勝徳……鬼頭貞臣が死んでいたという寝所に簪とは、随分と都合が良過ぎるとは思わないか?」
 勝徳は考え込むようにしながら、
「……確かに。夫の褥に入る妻がいつまでも簪を頭に差しているのは些か不自然でございますな」
 と答えた。
「だよな……」
(まさか……)
 勝徳の返事を聞き、重実は我ながら恐ろしい筋書きに辿り着いてしまう。
 だが、それこそが「見逃している何か」の正体だった。
 恐ろしさのあまり、つい声に力が入りやや早口にもなる。
「何の証もないが……勝徳、これは何者かが簪を放り幹子を下手人に仕立て上げようとしていたとは考えられないか?いいか、嫁いだ身の幹子にとって頼れる先が実家の両親しかいなかったとすれば、濡れ衣である事を真っ先に訴えに帰るだろう。だが、幹子を下手人に仕立て上げたい者からすればそれは避けたい事の筈だ。幹子の親から方々に無実を叫ばれれば己の立場も危うくなりかねないだろうからな。故に、それを阻むために両親を始末したのではないか?」
 勝徳は思わず身震いした。
「それが真であったとすれば、殿……これは大変な事にございますよ……」
「ああ……思いの外途方もない話になってくるぞ……。勝徳、俺が思うに鬼頭家側の人間がどうもきな臭い。簪を奉行所に差し出した吉住とかいう元家老について調べを進めてくれ」
「承知しました」
 勝徳は頭を下げて部屋を後にする。

 勝徳が帰ると、重実は部屋を出て縁側に腰掛けた。
 「ひろは……鬼頭幹子と見てまぁ間違いないだろうな」
 今となっては、勝徳が言った「あまりに揃い過ぎた事柄」を否定出来る根拠を探す事の方が難しい。
 鋭い視線のまま庭の緑を眺めながら顎に手を添える。
(夫殺しは重罪、捕まれば死罪だ。幹子――ひろ――が真の下手人ならば、捕らえなければ俺たち清平家にもご公儀から嫌疑の目が向けられる。濡れ衣であっても、捕まればこのままだと一方的に死罪を言い渡される。清平家が殺しの下手人を匿っているなどという面倒な噂が立つ前に真の下手人を暴きひろの潔白を証明する必要があるという事か……確かに、文でのんびりやり取り出来る内容じゃないな)
 重実はすくっと立ち上がり自室に戻ると、「重之介」の着物に着替えた。
 だが、腰に差す刀は「清瀬重之介」が普段ぶら下げている安物ではなく、鞘に椿紋の入った「清平重実」のものに替える。
(勝徳は、俺が以前会った尼僧が幹子ではないかと言っていた。勝徳の思惑通りとなれば、ひろがあの尼僧だったという事にもなる。それを明らかにするには、この紋を見せた時のひろの反応を見るに越した事はない……)
 ただ、紘子が二年前の尼僧であり、椿紋を知っていたとなれば、それは重之介があの時の「若殿」であることを暴露する事にもなる。
 正体を明かす事になるかもしれないと思うと、刀を握る手が汗ばんだ。
(何を恐れている……今更だろう。怖気付いていられる状況じゃないんだぞ)
 重実は己を奮い立たせながら呟いた。
「……先手を打つ」
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