第54話 白洲の逆転劇・弐

文字数 2,049文字

 重実が堪えきれず身を乗り出した時。
「恐れながらお奉行様、お待ち下さい」
 と木戸の向こうから声がする。
 声の主に、重実ははっと我に返った。
(この声は……勝徳!)
「何事だ?」
 面倒臭そうに訊ねる奉行に、木戸の向こうにいるであろう勝徳が答える。
「その簪につきまして、(まこと)出所(でどころ)を知る者を連れて参りました」
 途端に吉住の双眸が剣呑に細められた。
 奉行にとっても想定外だったようで、彼はしきりに吉住の顔色を窺う。
 すると、親房が機に乗じて打って出た。
「真の出所とは興味深いな。奉行、これは藩主殺しの重大なる裁きである。後々禍根を残さぬよう、調べは丁重にすべきでは? 私もご公儀にぞんざいな報告は出来んのでね」
 親房が上手い具合に幕府の権威をかざすと、奉行は声を上ずらせながら
「と、通せ」
 と告げる。

 奉行の許しが出て開いた木戸からは、案の定勝徳が姿を現す。
 彼は昨晩重実に知らせた通り、「証人」を引き連れていた。
 その数は四人。
 一人目は商人らしき中年の男性、二人目は浪人とも農民ともつかぬ男性、そして三人目と四人目は紘蓮と老齢手前の女性だ。
 順に白洲の筵に座ると、勝徳が切り出す。
「拙僧は勝徳と申します。江戸関八州の内にございます峰澤なる領内にて寺を営んでおります。信州から旅の途中に拙僧を訪ねた友より鬼頭家の夫殺しの噂話を聞きまして、どうにも事の次第を知りたくなり、方々にて話を聞いて回っておりました。こちらにおりますのは――」
 勝徳は中年の男性を指した。
「――証の品と言われる簪を当時取り扱っておりました商人にございます」
「なっ……」
 吉住が初めて目を剥く。
「ほう……その簪について、よくよく聞いてみたいものだ」
 親房が奉行に圧力を掛けながら、商人に言を促した。
 商人の男性は座したまま一礼した後、風呂敷包みを前に差し出す。
「私は朝永から少し離れた宿場町で小間物屋を営んでおります。ここにお持ちしましたのは、二年ほど前からの帳簿にございます。こちらには、その簪を所望したお客の事も、買われた日付けも値も控えてございます。恐れながら、念のためお手前の簪をしかと拝見したく……」
 商人の願い出に、奉行は仕方なく同心に命じて簪を渡した。
 商人は目利きをするかのように角度を変えながらじっくりと簪を確認したのち、やはりと頷く。
「この細工の癖を持つ職人を良く存じております。これは当方がその職人から買い付けお客に売ったものに相違ございません」
「……その客とは?」
 奉行が恐る恐る訊ねると、商人は吉住の方に顔を向け、手で指した。
「そちらのお武家様でございます」
 その場の誰もが瞠目する中、吉住は急くように咳払いをして反論する。
「何という世迷い言を。私が斯様な女物の小道具を買うなど……」
「いえいえ、お武家様は確かに……」
 商人は暫く帳簿を捲った後、
「おお、ございました」
 と手を止めた。
「大久保様……とございます。朝永の御殿でお殿様の奥方様に所望されて買いにいらしたと書き添えも」
(大久保……吉住の偽りの名だ!)
 重実は親房と顔を見合わせる。
 ここで親房は
「奉行、何故そこの吉住とやらはわざわざ偽りの名を用い、しかも城に商人を呼ぶでもなく領外の宿場町まで足を運んだのであろうか? この私には解せぬ事ばかりだが、奉行は如何か?」
 とすかさず口を挟んだ。
「そ、それは……」
 口ごもる奉行を尻目に、親房は商人に尋ねる。
「商人よ、帳簿の日付けを教えてはくれぬか?」
「ははぁ。二年前の弥生二十六日とございます」
(弥生の二十六日だと……!?)
 重実は勝利の予感に秘かに唾を飲み込んだ。
 だが、打ち出す機を誤ってはならない。
 それひとつで、紘子の命はどちらにも転ぶ状況には変わりないのだ。

「お奉行様、二年前の弥生二十六日とその前後数日についてよく覚えている者が此方の男にございます」
 ここで、勝徳は二人目の証人を紹介した。
「この者は、二年前まで朝永藩士として城門の前で毎日番をしておりました。藩がお取り潰しになった後は農民として暮らしております」
 紹介された男は、確かに武士であった事を彷彿とさせるような凜々しい所作で頭を下げる。
「お、覚えている事を申してみよ」
 奉行は進退窮まったとばかりに男に問うしかない。
「恐れながら、申し上げます」
 男は頭を下げたまま告げた。
「某、弥生二十四日に城から出ていかれる御方様を拝見しております。御方様は、それきりお城には戻られておりません。城の門は、ご公儀の命により一箇所に減らされており、御方様が城に出入りするには必ず某の前を通らねばなりません」
「つまり、弥生二十四日より後には、鬼頭幹子様は城にはいらっしゃらなかった……という事で相違ないですな?」
 勝徳が念を押すと、元門番の男はしっかりと頷く。
「はい、仰る通りにございます」
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