第32話

文字数 499文字

 僕はなんとかポーカーフェイスを保ったが、蒔田は驚いて振り返った。そして毛足の短い、小さな尻尾のようなキーホルダーを見ると、そーっと体と視線を戻し、カウンターの中に立っている僕を説明を求めるような目で見た。

 (蒔田……。残念だけど、僕にもわからないよ。)

 鹿の毛皮で作った尻尾の形のキーホルダー。なぜ……、杏さんがなぜ、そんなに嬉しそうに話すのか? いや、そもそもなぜ鹿の毛皮でキーホルダーを作ろうと思ったのか? そうだそれよりも、鹿の毛皮をなぜ杏さんは持っているのだろう。
 僕にもさっぱりわからない。

 「皮専用の糸で縫うんですけど、皮が硬くて」

 杏さんは僕のどの質問にも、答えにならないことを瞳さんに話していた。キーホルダーを返してもらうと、杏さんはいそいそと再びリュックに取り付けた。

 「杏さん。あのー」

 瞳さんはやや宙に、自分の目の方の瞳をさまよわせた。何か感想を言わなければならない、と思っているんだろうな、と僕は同情を感じた。

 「えーっと。か、可愛い……ですね。」

 瞳さんは世の中でおそらく一番無難な褒め言葉を口にした。確かにキーホルダーは動物の尻尾のキーホルダーのようで可愛い。
    
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み