第66話

文字数 484文字

 「あの、これ……?」

 人差し指が、新メニューを指差した。僕は頷いて、なるべく淡々と説明する。気を付けないと緊張で声がうわずってしまいそうだ。

 「そちらは新メニューのアプリコットコーヒーです。コスタリカ産の豆でビジャサルチという品種です。やさしく上質な酸味と、ブラックで飲んでもあんずのような甘みの余韻が楽しめますよ。」

 杏さんは顔をあげて僕を見た。そう。このコーヒーは杏さんのログハウスで一緒に飲んだコーヒーだ。杏さんと共犯者のほほえみを交わしたかったのに、僕の頬は勝手に緩み、照れ笑いになってしまった。

 「じゃあ、これ」

 メニューに再び目を落とし、人差し指でメニューをキュッと押さえた。小さな丸っこい爪が、杏さんの血でポッとピンク色に染まった。

 「マスター。待っていてくれる場所って……、いいですね」

 そう言って杏さんは顔をあげて僕を見あげた。返事をしようと口を開けた時、無粋なドアベルがカランカラン、と音を立てた。

 「いらっしゃいませ」

 「よう、惣一郎。あっ! 杏さん! 」

 蒔田は当然のように側に寄って来た。カウンター席に行け、と目で合図するが、無視された。
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