第110話

文字数 587文字

 名前を呼ぶ。プレゼントを受け取ると、杏さんは空っぽになった手のやり場に困ったように、カップに戻した。カプチーノが沸いてくるとでも思っているみたいに、カップの底を見つめている。肩に首をうずめて体を固くしている杏さんを見たら、たまらなくなった。
 ギュっと抱きしめたい。でもそれよりも……。
 小さな包みをテーブルに丁寧に置く。中身が割れたら大変だ。

 僕は杏さんの手を上から両手で包み込んだ。ほんの少し杏さんの手に力がこもったのを僕は手のひらで感じた。杏さんが逃げようとしても逃げられない。ギュっと手を握りしめてしまえばいい。
 僕よりもずっと小さな手。いや、大人の女性の手にしても小さい気がする。そういえば、初めてアプリコットコーヒーをメニューに見つけて、キュっと指さした爪も小さくて、桜貝のように染まってたな……。
 気が付くと杏さんの指の間に、自分の指を滑り込ませていた。僕を感じて欲しくて、指先でふっくりやわらかな指をなぞる。驚かせたくないから、そっと。だけど杏さんがちらりと視線を上げた時、その泣きそうな黒い瞳に僕の心は全部持っていかれてしまった。
 僕がアドバンテージを握っていると思っていたのに、視線ひとつで崩れ去る。
 カップから杏さんの手を引きはがし、加減できなくなってしまった力で握りしめる。顔を寄せかすかに唇を感じた時、カランカラン、とドアベルがさえぎった。

    
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