第68話

文字数 2,740文字


源三郎江戸日記(弟三部)68

浪人に払わせれば、浪人対策にもなります、費用を使っても元はとれ、冥加金は増えますと言うと、なる程それは良い方法じあ、町方支配は本多じあな、仕組みを考えて直ちに実行せよ、
と言うと、本多がハハハッと返事したのです、岡っ引きは町名主に推挙させれば良いでしょうと付け加えたのです、後は治世を磐石にする為に地方にいる代官の見直しじあ、4年以上赴任、
しているものは交代させよ、

任期は4年とするのじあ、長くいれば癒着する者が増えるじあろう、全国に800人程度いるが、石高に関係なく人材を選択するのじあぞと言ったのです、源三郎ほかに言う事はないかと聞、
くので、幕府の金蔵には今50万両の金寸がありますが、これは何も産みません、タダ幕府の威光を知らしめる為にあります、この半分25万両を希望する商人に貸し与え、年に5分の利息を、
冥加金として納めさせるのです、

貸す相手は事業計画書を提出させて吟味して許可するのです、さすれば年1万2千500両が増える事になり、金蔵の金が減る事はありません、と言うと、勘定奉行が幕府が金貸しをやる等、
とはと言うので、これは世の中の金を増やして、商いを活性化するための政です、商人が儲かったら返してもらい、違うものに貸し付けるのです、こうすれば世の中の金の周りが活性化、
するのです、

減ったら又貨幣改鋳をやるのですか、頻繁にやれば金の価値が下がります、すなわち物価が上昇する事となり、民、百姓は難儀します、幕府自体も蓄財を増やす工夫が必要なのですと言、
うと、なる程勘定奉行すぐにとは言わんが、よくよく検討するのじあと言うと、ハハハッと勘定奉行が返事したのです、ところでその書物のなかには、我が国をとりまくロシア、シナ、
ルソン、ジヤワ、シヤム、インドの事も書いてあるのかと聞くので、

ハイ、秋元様の下された書物は、オランダから見た東洋の事情を始め、色んな事をまとめた、我が国の言葉に直すと百貨書物と言う本です、それによりますとロシアは、シナの北の国境が、
はっきしていないので海側まで占拠しているそうです、西洋ではオランダ、ポルトガル、イスパニアの力が衰えて、エゲレス、フランス、プロシア、イタリーの力が増しているそうです、

特にエゲレスはインド、ジアワの南の島々を占拠して、シナにせまりつつあるそうです、イスパニアはルソン、オランダはジヤワの南半分、フランスは北半分を占拠しているそうです、又、
メリケンは北はエゲレス、南はイスパニアが占拠しているとの事で、これらは植民地として現地人は奴隷の如く働かされているそうです、我が国は鎖国をしてオランダのみ長崎で交易して、
いますが、

そのうちに北からはロシア、南は列強が開国を要求してくると思いますが、武力による侵攻はしないでしょうというと、何故だと聞くので、鉄砲に御座います、東洋の国々はまだ弓、刀槍、
が主な武器で鉄砲を作る事は出来ませぬ、関が原の戦いがあった時にはまだ鎖国はしていませんでしたが、数万丁の鉄砲がある事を南蛮人は知ったのです、しかも外国が売ったのではなく、

我が国で作っている事に驚いたのです、それらは飛ぶ距離が、300間に改造してあり、外国の鉄砲は250間がいいところなのです、我が国を武力侵攻するには、数万丁の鉄砲と兵が要ります、
あの遠い西洋から船に乗せてここまで沢山の兵を連れて来る事は不可能です、東洋はその鉄砲がなかったので少人数の兵に占拠されてしまった訳です、しかし、船と航海術が発達すれば、
可能になりますが、

後100年以上はかかるでしょう、その間も外国の事情は、知っておく必要があります、又鉄砲の改良も必要なのですが、藩の持つ鉄砲の数は今まで通り、規制すべきだと思いますと言うと、
なる程鉄砲を本格的に戦に取り入れた、信長公に感謝しなければ、いかんと言う事かと言うので、我が国に鉄砲が伝来した時の、偶然がこの国に鉄砲が広がる事に、なったのですと言うと、
ほうそれは何なのじあと聞くので、

鉄砲の事は種子島と言いますが、その名のとおり薩摩が支配している種子島にポルトガル人が漂着した事に始まります、土地を支配していた種子島の土豪がそれを助けて丁重に扱った事で、
ポルトガル人が鉄砲を譲ってくれたそうです、タダではなく大きな金寸を払ったそうですが、当時は九州の博多、大阪の堺の商人がさかんに交易をしていました、紀伊の根来寺は多くの、
僧兵を抱えており、

戦の旅にこの僧兵を貸して金寸を得ていたのです、種子島は丁度黒潮の道が直ぐ傍を通っているのです、この道は遠くルソン沖から琉球、奄美大島、種子島から薩摩半島にぶつかり裏と、
表の我が国の海を北上しているのです、一時に二里の早さで流れています、薩摩半島から日向灘を通り、土佐を経由して紀伊湾に入り、紀伊半島を回って北上して駿河湾に入り迂回して、
房総沖に出て、

さらに北上を続けて南部の石巻から外海を、メリケンまで続いているのです、根来寺は堺とは深い関係があり、当時種子島には根来寺の者が、交易の為頻繁に訪れていたそうなのです、
島の鍛冶職人にそれを分解させて、作る方法を調べさせたそうです、構造はいたって簡単でそれに使う火薬も、作るのはそう難しくない事がわかったそうですが、わからないのは鉄身、
の一番したにある、

ネジだそうで、なぜかこんな物があるのか聞くと、塞がっていては火薬の燃えカスがそこにたまりすぎると、暴発して銃身が破裂するので、ネジをあけて掃除する為だと教えてくれた、
そうです、しかしオスネジは作れても、内側の溝を切る方法がわからないので、聞くと、本当は東洋人には鉄砲は売らないのだが、親切にしてもらい、船まで修理してくれたので特別、
に譲ったのだが、

そこまでは教えられないと言うので、その土豪は自分の娘をやるので教えてくれと頼んだそうです、ポルトガル人は喜んで銃身より堅いオスネジを作り、はめ込めば溝が切れてピタツと、
会うようになると教えたそうです、しかもねじ込んであるので火薬の衝撃でも外れる事はないと言ったそうです、元々刀は焼きいれして鋼にするので、簡単にネジは作れたそうです、

丁度種子島に来ていた根来の者が、それを欲しがったので、その土豪は根来寺を通して、堺の商人と交易していたので、日ごろのお礼にと1丁と作り方の、絵図面を渡したそうなのです、
一丁は主家である薩摩の殿様に献上したそうです、しかし、その時代の戦は騎馬が主戦力だったので、最初の一発は打てますが、次の球込めに時間がかかるため薩摩も重要視しなかった、
のです、

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