第29話

文字数 2,720文字


源三郎江戸日記(弟三部)29

畳針に馬の毛をつけて消毒して、ブスリと刺して2針縫って糸を結んだのです、さあいいぞと言うと口から木を外し、痛かったかと聞くと、ええ、目から火が出ましたと言うのでこれで治、
りが早いのじあ、動く場所だからあのままだと膿を持ち、中々なおらんのじあよ、女将5日で治るので傷が塞がつたらこの糸をはさみで2箇所切り抜けば痛みはなく抜ける、後は塗り薬を、
ぬつておけば直ぐになおるぞ、

そなたはと聞くと、高崎で呉服屋を商っている、丹波屋十兵衛で御座います、沓掛の親戚の法事の帰りに御座います、出るのが遅うなりましてと言うので、歩いては帰れんぞと言うと、
籠を呼びますと言うので、新之助この娘を馬に乗せ高崎まで行き、1泊して戻れるかと言うと、ハイ、大丈夫ですと言うので、どうだと聞くと、それなら助かりますと言うので、それ、
では、

いいか傷口が塞がったら、はさみでここと、ここを切るのじあ、ひっばれば直ぐに抜ける、小さな穴があくが、塗り薬をぬれば3日で完治して傷は殆どのこらない、わかったかと言うと、
ハイと返事するので、これが塗りくすりじあ、一日一回塗り替えろ、湯には入ってもいいが湯につけてはいかんぞ、暫くは歩かぬ事じあが、そうもいかんじあろう、杖をついて下につけ、
なければ動いても良いぞと言うと、

ハイ、有難う御座りますと言うので、腹も減っているじあろう、片足で立つてみろと手を出すと立ち上がったので、女将がこちらにと一階の部屋に連れて行き座布団に座らせて、今食事、
をもってきますと言ったのです、治療代はと聞くので、今回は良いぞ、その代わりここを通る時はここに逗留してくれと言うと、ハイ、是非使わせてもらいますというのでそれではと言、
うと、

有難う御座いましたというので、困った時はお互い様じあと言って部屋を出たのです、部屋に戻り、早速役に立ちましたねと言うので、あれくらいでは眠り薬はいらぬのじあ、痛いの、
は一瞬じあし、熱も出らんじあろうと言ったのです、女将が入って来て適当に縫えば良いのですねと言うので、裁縫みたいにきちんとは縫わんでも良いのじあよ、塗り薬は籠に入って、
いる葉っぱを潰して練り状にすれば良い、

それも本に書いてあるぞ、2針までは眠り薬はいらんし、熱もでないが、それ以上は眠り薬が必要で、熱もでるじあろう、2針でも激痛をともなうので、舌を噛まぬようにするのじあよ、
と言うと、ハイ、良い見本を見せてもらいました、張り合いが出てきましたと言ったのです、ところでなぜ上松藩を退散したのじあと聞くと、私の父上は150石取りの郡組頭をしてい、
たのです、

主人はその組下の50石取りの藩士の次男坊だったのです、主人が15才の時に大雨が降り、木曽川が氾濫しそうになったのです、堤防を決壊させて水を何処かに流さなければ下の方の、
水田が全滅すると言う事である村の傍の堤防を決壊させる事になり、郡方と百姓が集まったのです、しかし、そこを決壊させればその村の水田は全滅します、主人の父上が後学の為、
として主人を現場に連れていったそうなのです、

その村の庄屋がここを決壊させれば村の水田は全滅します、もう少し上流に代えてほしいと嘆願しましたが、適当な場所を探す暇はないので仕方ないじあろうと父上が言うと、主人が、
この上半里行った所に野原があり、一段低くなっているので、そこを決壊させれば緩衝池代わりになりそこに水が溜まります、野原のは端は1間程段々高くなっているので、下に水が、
流れる事はありませぬ、

この状態では2時もあれば水は引きますと言ったそうなんです、父上が主人の父親にその者の言う事は本当かと聞きましたら、本当にございますと答えられたそうで、もし水が引かず、
水田が流失した場合はそなたとわしは腹を切らねばならんが、覚悟は出来ているかと聞くと、勿論ですとおうせになったので、上流に行きそこを決壊させたそうです、主人が言ったと、
おり、

そこが大きな池となり2時で水位が下がり、何処も水田は流失せずに済んだそうです、それから、そこは緩衝池となり、その後の水害は最小限に留まったそうです、父上は主人を認め、
られ、我が家には男がいなかったので、格下なれど私の婿にする事にして、許婚にして元服が過ぎたら婚姻することにしたのです、しかし婚姻がせまった時に国家老の次男との縁談が、
持ち上がったのです、

相手は国家老の次男です、断れば我が家には、災難が降りかかりますが、父はすでに婚姻を約束している者がいると、お断りなされて、私の主人新太郎を婿にして婚儀を上げたのです、
父が隠居して主人が郡組頭になったので、主人の実家の兄様は主人の組下になったのですが、そんな事は気になさらずとても中の良い兄弟でした、そして新之助が生まれて2才になっ、
た時、

跡目相続のお家騒動が起きて、国家老の推挙する国松君と江戸家老の推挙する国久君との跡目争いで家中が二分したのです、100石以上はいずれかに加担しなければならなくなり、過去、
の経緯から主人は国久君擁立に回られたのです、実家は50石ですからいずれにも加担しなかったのですが、まもなく国久君が病気で急逝され幕府には国松君を嫡子として届けられたの、
です、

そして今度は次の年に殿が急逝され、わずか12才の国松君が綱道と名を変えられて藩主におなりになり、年少ゆえ国家老が後見役になり政をおこなう事になり、国久君擁立者の粛清が始、
ったのです、江戸家老は隠居させられ、郡奉行は切腹をおうせつけられ、主人以下10名はお家断絶領内追放となったのです、殿は毒殺されたのではないかと主人は疑い、前々から調べ、
られていたのです、

それに気ずいたのか、領内を出る為に実家に挨拶に行かれた帰り、覆面をした者に襲われたのですが、切り抜けて蓄えが50両程ありましたので、急ぎ私と新太郎をつれて国を出て江戸、
に向かったのです、しかし、ここで追っ手に捕まり谷川で切りあいとなり、伏兵の弓に足を射抜かれたのですが、2人を切り伏せたので追っては退散したのです、それからは追って来、
ませんでした、

宿場で傷の手当をしたのですが、医師はおらず、高熱を発したので沓掛宿に行き医師を連れて来たのですが、医師の見たてでは矢の先に毒が塗ってありそれが全身に回ったということで、
手の施しようがなかったのですと言うので、そうか、お家騒動はいつも犠牲者がでるのじあ、おそらく、国久君と藩主は国家老に毒殺されたのであろう、しかし、それを訴えればお家は、
改易となり、

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