第69話

文字数 2,739文字


源三郎江戸日記(弟三部)69

一方根来寺に渡った鉄砲は、たしかに騎馬戦では威力は発揮できないが、城に篭り打ちかければその城を落とすのは難しいとして、堺の商人に作る事を依頼して絵図面を渡したので、堺、
では盛んに鉄砲を作る事になったそうです、根来寺の僧兵は総て鉄砲を装備して訓練しているので腕は抜群な命中率を誇り、あちこちの要請で傭兵として雇われたのです、あの信長公も、
この者達は殲滅する事は出来なかったのです、

それでことさらに鉄砲を取り入れたのです、それが国内に広がっていったわけです、総ては黒潮の道のお陰です、船乗りはこの道を利用して上方、江戸に航海しているのです、ただ浮い、
ているだけで人の倍の速さで北にいけるのです、風がなくても進めるわけです、但し西国に行くにはこの道を外れて、風を利用するしかありませんがと話すと、なる程その道のお陰なの、
じあな、

中々物知りじあなと言うので、これはその本に書いてあったのではなく、根来の者と船乗りに聞いた話しですと言うと、みなの者為になる話であったな、色々知っているからこそ改革も、
出来るわけじあな、知識は学者だけが知っていても何の役にも立たないわけじあな、荻生徂徠どう思うと綱吉が聞くと、それがしは儒学には詳しいのですが、そのような事は知りません、
でした、

学者も色んな学者を作る必要があります、上様が奨励されて、私設の学問所を江戸に、沢山作られれば良いと思いますと言うと、源三郎どうすれば良いかと聞くので、まずは読み書きで、
御座います、寺子屋を奨励なさり、浪人にやらせて、少し補助なされば宜しいかと思います、さすれば、商いも増えて、上様の触書なども、自分で読めるようになり、読み書きが出来る、
者が多くなれば、

上様のめざされる法治の考えも、国の隅々までいきわたると思いますと言うと、なるほど、幕府がめんどう見れない分は、民にやらせるのか、それは良い、これも勘定奉行の差配じあな、
これも検討せよと言うと、何か別の役所、学問方を作られてやらされたほうが良いと思いますと言うと、そうじあな、吉保何か考えてくれと言うと、承知仕りましたと返事したのです、

源三郎が適任じあが、これ以上押し付けるわけにはいかんからのうと笑ったのです、色々為になったぞ、まあ、ゆるりと休めと言うと、御座所を下がったのです、相変わらず物知りじあ、
のう、ところであれから、間部はどうしたと聞くので、陰は消えましたが、どうしているんですかと聞くと、暫くは謹慎しておったよじあが、最近は又西の丸に詰めているぞと言うので、

配下を50叩きにしたのが利いたのですかね、行って様子を見てきましょうと言うと、あまり脅かすなよ、そなたの顔を見ただけで、震えがくるじあろうと笑うと、秋元が奴は狡猾じあぞ、
気をつける事じあと肩をぽ~んと叩いたのです、土屋が良い話であった、料理屋で一献傾けながら、話を聞かせてくれと言うので、ハイ、いつでも声をお掛けくだされと言うと、みなは、
御座所を下がったのです、

最後に残った勘定奉行が、さて、どうゆうふうにすれば、宜しいのでと聞くので、それは両替商の若狭屋と相談なされませ、金貸しが本業みたいな物です、良い方法を知っておりますよ、
と言うと、そうですな、餅は餅屋ですなと言うと、傍を離れたのです、茶坊主が西の丸に案内しますと言うので、立ちあがりついて行き、綱豊の元に顔を出すと、おう、源三郎戻ったか、
上様より祭りの事は聞いたぞ、

明子が蹴鞠が江戸で見られると喜んでおったぞ、わしも一緒に見物する事にしょうと言って、間部がまたしてもそなたの邪魔をしたそうじあな、配下が高崎藩で、50叩きに会ったそうで、
間部がそなたは千里眼じあと驚いていたぞ、暫く謹慎させていたが、今は出仕しておる、いかようにも罰を与えるが良い、わしは、かばい立てはせぬと言うので、呼んでくだされと言う、
と、

小姓が呼びに行き傍に来て座り、申し訳御座らぬと頭を下げるので、頭をお上げなされ、綱豊様からいかにようにも、処罰せよと許しを貰いましたというと、切腹でござるかと言うので、
いや、もっと辛い罰に御座いますと言うと、それより辛い罰とはと聞くので、これより玄海屋の船で蝦夷に行き、かの地がどうなっているか調べて来るのです、代変わりには蝦夷をどう、
するかが、

もっとも大事な事になります、そこを知らずして政は出来ませぬ、ロシアはすぐそこまで来ていますぞ、くれぐれも気をつけなされ、蝦夷を一回りして、その上にある千島と言う島も見、
てきなさ、案内は玄海屋の蝦夷の番頭が致します、蝦夷の言葉も話せますぞ、燃える石、燃える水もあるそうじあと言うと、わかりもうした、明日出立して見てきますると言うと、綱豊、
がよく検分してわしに教えてくれと言ったのです、

それではこれにてと間部が下がると、なる程良い罰じあな、そろそろ蝦夷経営に本腰を上げる時期と言う事じあなと言うので、ロシアとは海を経ただてて15里もありませぬ、蝦夷の開発、
を早急に進めて、我が国固有の領土と知らしめねば、占拠されたらお仕舞いですと言うと、わかった、港くらいは先に押さえる必要があるわけじあな、間部は心の狭い奴じあが治世には、
たけておると言うので、

よく知っております、嫉妬深いのは生まれつきゆえ、治る事はありませぬ、上手いようにお使いになるしかありませぬと言うと、そうじあな、その辺は石田光成とそっくりじあな、そなた、
はさしずめ、加藤清正じあな、奴がもっとも苦手な相手と言うわけじあと笑ったのです、そうじあ、新井白石も同道させようと言うと、小姓に呼びに行かせて、御座所に来ると綱豊が、
話をすると、

そうですか、それがしは一辺行ってみたいと思うておりました、喜んで検分してきますと言って御座所を下がったのです、上様とも仲が良いそうで何よりで御座いますと言うと、それも、
そなたのお陰じあ、色々蝦夷地の事を考えて、みようと笑ったのです、それではこれにてと言うと、また顔を見せてくれと、言うので、ハイと返事して城を下がり、深川の玄海屋に行き、
七衛門に話をすると、

承知しました、わたしも同道しましょうと言うので、そえか、よく見てきてくれと頼んだのです、それから3日後に市来が江戸に着き、阿片らしき物を金杉橋のそばの家に持ち込んだと、
飛猿から連絡があり、あの大きさですから仕入値で500両、末端価格で2500両と言うところですと言って、誰と会うか才蔵が見張ったいますと傍を離れたのです、源三郎は上杉屋敷を出、
て三田の薩摩藩上屋敷に向かったのです、

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