第78話

文字数 2,733文字


源三郎江戸日記(弟三部)78

江戸家老が奴は総てを知っていたのか、恐ろしい奴じあのう、これで、不正は総ておわりじあな、後は小松に任せる事にしょう、奴は薩摩藩の恩人じあな、金がないと言う事は悲しい事、
じあなとため息をついたのです、問題は木曽川の賦役じあが本格的に押し付けられたらわしが出向くとしょう、最後には腹を切る事になると思うがと言うと、村上殿に何か知恵を出して、
貰う訳にはと言うと、

このような腐れた藩は閉口した事であろう、頼んでも手助けはしてくれぬだろうと言ったのです、いえ、多分手助けすると思います、目的は大名を取り潰す為ではなく、世の中の平穏を、
望んでいるのでしょう、最初から素直に言えばよかったのですと言うと、贋金はすでに手を汚していたので言えなかったのじあよ、我々の頭ではこんな事くらいしか考えつかぬからのう、
と言ったのです、

次席家老がそれがしがおりを見て頼んでみますと言うと、そうか、よしなに頼むと言ったのです、翌日源三郎が北町奉行所に顔を出すと、新之助が押し込んだ場所と、盗んだ金寸は総て、
吐いたがと言うので、偽金はと聞くと、薩摩に頼まれた、口利きは市来だと言つており、薩摩に頼まれて口封じをやったと言つていが、調書からは省いてあると言うので、奉行はと聞く、
と、

お主に任せると言うている、調書に無い物は報告できぬとも言うているがと言うので、それで良いじあろう、して裁きはと聞くと、万蔵は死罪、あと殺しに手を染めたものも死罪じあ、
残りは八丈島送りとなると言うと、それで良いだろうと言うと、薩摩は市来のみが犠牲になったと言う事じあなと言うので、藩を潰せば2万人から糧を失うからのう、困ったもんじあ、
と言うと、

そうじあな、これで一件落着じあな、奉行は極悪人をお縄に出来て、喜んでおる、みなに、褒美を下さるそうじあと言うので、それは何よりじあな、さて、次はどんな難題が来るのじ、
あと笑って奉行所を出て深川に向かい、若狭屋に行き偽寛永通宝を見せると、色々調べていましたが、これは本物でしょうと言うので、若狭屋でも判別出来ぬほど、上手く作ってある、
わけじあなと言うと、

銅銭ですからわかりませんねと笑うので、莫大な量がでまわっているので、多少の偽銭が混じっても影響ないわけですよ、銅だけの価値と言う訳ですと若狭屋が言ったのです、金銀の、
売り買いは違法ではありませぬ、もつとも、小判を溶かして金として売っても損をしますがと言ったのです、店を出て玄海屋に行き番頭の松蔵に七衛門からの頼りはと聞くと、今は、
釧路にいるとの事です、

釧路の内陸部を検分して、千島列島に渡るそうです、蝦夷は新緑の良い季節だそうです、案内役は函館の出店に奉公しているアイヌと和人の混血で、蝦夷の上にある樺太の南に住んで、
いたそうで、アイヌの村長が和人にやった、娘の子供として生まれ、和人と一緒に函館にきたのだそうですが、父親はシケで船が、難破して死んだそうで、母親は村に戻ったとの事で、
番頭が頼まれて雇ったのだそうです、

樺太にはロシア人も交易に来るそうで、多少ロシアの言葉も喋れて、アイヌの言葉も喋れるので、案内に使こうているそうです、最後には樺太にも、足を伸ばすそうですと言ったので、
間部と新井は蝦夷の広さに驚いて、この国の現状がよくわかるであろう、ロシア人と接触できれば良いがのうと言って、店を出て料理屋に向かっていると、刀の当たる音がするので、

横道に入ると男と女が3人の侍に取り囲まれて切りあいをしていたのです、後ろから3人でかかるとは卑怯ではないかと言うと、浪人は引っ込んでいろというので、そうはいかんと刀を、
ぬくと一人の男が切りかかった来たので刀を受け止めて、右手を切り下げるとぎや~と言って刀を落としたので、肩をピシ~と打ち、横にいた男の足を払うとわ~と言って尻餅をつい、
たのです、

くそ~と言うと二人は置きあがり、三人とも逃げ去ったのです、男は手を切られたみたいで血が流れています、危ない所をかたじけないと言うので、手ぬぐいを出して腕を縛り止血し、
て表通りの居酒屋に行き、座らせて酒を頼み傷口を消毒したのです、傷は大した事はないので腰の印籠からギズ薬を取り出して塗り手ぬぐいで縛って、これで良いじあろうと言って、
なぜ狙われたのじあ、

何処かの藩士じあろうと聞くと、明石藩の馬周り役の八代新座衛門ともうします、あの者達は直道様の手の者でござると言うので、藩主の直道殿かと聞くとハイと言うので、なぜ狙わ、
れたのじあと聞くと、これはわたしの妻で佳代と申します、妻を差し出すように江戸家老がら言われましたが、そんな無体な事は聞けないと藩邸を退散したのですと言うので、人の妻、
を差し出せとは、

暴君じあな、それでは藩には戻れまい、身を隠す場所が必要じあな、知り合いの船宿があるそこに当分身を隠せば良いというと、かたじけのうござると言うので、船宿、春風屋のに連、
れて行き達衛門に訳を話すと、承知しました奥の離れに逗留してくださいと部屋に案内したのです、もうじき昼じあなと言って、昼餉を頼んだのです、これからどうされると聞くと、

国元には手が回っているでしょう、下町の長屋で目立たないように暮すしかありませぬと言うので、わかった、八幡様の裏に越後屋の長屋があるそこで暮すが良い、子供はおらぬのか、
と聞くと、一人おります、足でまといに、なりますので、出入りの小間物屋に、預けてあります、後で引き取りに、行きますと言ったのです、大家には後で話しておいてやると言うと、
何から何まで痛み入りますと言うので、

明石の松平直道殿と言えば尾張藩領内で、参勤交代の籠を横切ったとして童を殺害し、尾張領内通行指し止めになっているのじあろうと言うと、ハイ、武士は町人の格好をして領内を、
通行しています、殿は船で尾張領を迂回して三島に上陸して行列を組み江戸に入ります、国元へは江戸から三島までは陸路を行き、同じように藩士は町人の姿をして尾張領内を抜けて、
大津宿まで行き、

殿は三島から大阪に船で行き大津宿まで戻り、行列を組み明石へ帰るのですと言うので、その童の殺害は直道殿の指図かと聞くと、捕らえて本陣に連れて来たので、近習頭の荒木殿が、
童の事言えお見逃しをとお頼みされたところ、いきなり刀を抜かれて刺し殺したのです、尾張藩には御定法通り成敗したと伝えよと言われたので伝えたところ尾張公がお怒りになり、
領内通行差し止めになったのです、その後諌めた荒木殿とその家族はことごとく上意打ちにされましたと言ったのです、

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