第103話

文字数 3,015文字


源三郎江戸日記(弟三部)103最終回

博多を出航して大阪を経由して江戸にもどつたのは宝永5年8月のことである、綱吉への巡察の報告書も出して平穏な江戸の生活に戻ったのです、台風が関東近辺を何個か通過して大雨に、
なりましたが利根川の水門はびくともせず、氾濫することもなく稲穂は順調に育っていたのです、横浜、町田の開拓は終わり、矢部、相模原の開拓が本格的となり2万石の作付けも終わり、
残すは、

2万石の水田開発と相模原の養蚕の開発のみで、年内には総て終わる見通しとなり、綱吉はすこぶる上機嫌だったのです、上杉家の米沢領も新田開発は6万石が終わり、実収は印西の3万石、
を含めて24万石となり物産会所も3万石の増収となり、ゆうに15万石から実収27万石となったのです、借財も3万両に減り、蓄財の出来るまで藩財政は持ち直したのです、秋の収穫も無事、
終わり、

宝永6年の正月を迎えると綱吉が病気になりあっけなく亡くなったのです、綱豊が本丸に入り綱吉の葬儀をとり行い、将軍宣下が行われ、6代将軍に就任して名を徳川家宣と改めたのです、
家宣は人事を刷新して、柳沢吉保のみを残して老中をお役ごめんにしたのです、まずは生類哀れみの令を廃止して、特赦により赤穂浪士の罪を許し、遺児が大名家に仕官するのを自由に、
したので、

遺児は遠島から赦免されたのです、源三郎に出仕するように使いが来たので御座所に行くと、新任した幕府の重臣が座っており、家宣が出て来て、諸国巡察視の役目ご苦労であると言う、
ので、これで、上杉の家老に戻りますと言うと、そういうな、ここに改めて朱印状を渡す、再び諸国巡察視を頼みたい、従来は無禄であったが、今回も同じとする、但し役料として1万、
石を与える、

これは辞退はならぬぞ、従来通り将軍の直属とすると言うので、まだ解放してくだされませぬのですかと聞くと、そういうな、わしの在任期間は短いであろう、平穏な世を続ける為には、
そなたが目を光らせてくれねばならぬのじあ、本来なら大名に取り立ててて、老中に就任して貰いたいが、そなたは受けぬであろう、これなら、今までと代わらぬ断る理由はあるまい、
と言うので、

致し方ございませぬ、お引き受けいたしますが、一つだけお聞きくだされと言うと、何なりと申せというので、大名取り潰しはなるべくお控えになり、末期の養子も許す事にして下さり、
ませと言うと、承知しておるこれ以上巷に浪人が増える事はさけねばならぬ、幕府、各大名は有能な人材を登用するように申しつける、これで良いであろうというので、ご英断に感謝致、
しますと言うと、

柳沢がそれがしも老中への引継ぎが終わりましたら隠居いたしたいのですがと言うと、あい、わかった半年のみ老中を続けて、引継ぎいたせと言うので、承知仕りましたと平伏したのです、
それでは源三郎を残して役目に戻るが良いと言うと、皆は御座所を下がったのです、綱吉が足を崩せしびれているであろうと言うので、恐れ入ります、今下がれと言われても立てませぬと、
言うと、

大笑いして自分もあぐらをかいたのです、さし当たっての問題は木曽川の治水工事だが、今薩摩が調査しておるが、中々難しいようじあなと聞くので、木曽川は信州、尾張、美濃にいたる、
長さの川です、何処かをいじればどこかが影響を受けて氾濫しやすくなります、しかし信濃から美濃まで一気に工事する事は不可能です、何世代もわたって上手くいかないと言うわけです、
と言うと、

なんとかならぬものかのうと言うので、考えてはみますが莫大な費用、恐らく50万両は掛かると思います、そのような莫大な金を掛けても、助かるのは数十万両の水田を守れるだけだと思、
いますと言うと、しかし流域の民を助けてやるのも幕府の役目じあからのうと言うので、難題で御座いますなと言うと、直ぐにとは言わぬので何とか考えてくれと言ったのです、傍にいた、
間部が蝦夷地の事でござるが、

まずは稚内に監視所を作りたいと思います、差し当たり伊達、津軽、秋田藩に交替で常駐させようと思いますと言うので、その費用はと聞くと、勿論その藩で用立てさせますると言うので、
それでは不満が高まります、函館奉行所に入る冥加金の一部と稚内近辺で漁をする者から入漁料を取り、警備する藩に下し置かれたほうが良いと思いますと言うと、なる程少しは幕府が出、
せと言う事じあなと言うとので、

ハイ、さすれば不満も和らぐでしょうと言うと、間部そうせいと言うと、ハハッ早速手配いたしますと言ったのです、少なくとも大砲10門は必要ですぞと言うと、間部がそれは幕府から貸、
しだしますと言うので、少し工夫をしましょう、発射角度が変えられるようにすれば照準があわせられますと言うと、間部が砲術指南の高島源才に会ってくだされと言うので帰りに会って、
みましょうと言って、

それではこれにて失礼いたしますと言うと御座所を下がったのです、城を出て高島源才の屋敷に行くと、座敷に案内され、それがしが高島源才にございます、わざわざのお越し痛みいりま、
すと言うので、村上源三郎に御座る、蝦夷地の沿岸警備の大砲についてで御座るがと言って、発射角の調整方法を話すと、なる程それは何処の国の大砲にもついていませぬな、早速考えて、
みますと言うので、

我が国の鉄は砂鉄から作るので火薬の量をおおきくすると暴発の危険があります、青銅砲を考えられてはどうですか、青銅なら熱が冷めやすい分暴発はしにくくなると思いますし、火薬、
の量を増やして遠くに飛ばす事が出来ると思いますがと言うと、そうですな、南蛮は鉄鉱石から作るそうで硬い鉄製品が作れるそうですな、銅ならうまく行くかも知れませぬな、これも、
試してみましょう、

村上殿は中々砲術にも詳しいようで御座いますなと言うので、最新の南蛮の造船技術書を手にいれましたので、これに大砲の事も書いてあります、翻訳したら高島殿に届けましょうと言う、
と、それは助かります、宜しくお願いしますと言ったのです、屋敷を出て上杉上屋敷に戻り御座所に行くと、治憲がお役目ごめんは聞いてくだされたかと聞くので、事情を説明すると、

なる程簡単には解放して下されぬのかと笑うので、難題を押し付けられて殿に迷惑がかかるといけませぬがと言うと、構わぬ世の平穏の為じあ、上杉の財政も立ち直ったので、気にせず、
役目に励めば良い、上杉家を退散して上様に使えてもよいぞと言うので、それは勘弁してくださりませと言うと、好きにするが良いと笑ったのです、薩摩は木曽川の工事を本格的に押し、
付けられたら大変じあなと言ったのです、

綱吉の世がおわり、討ち入った赤穂浪士の遺児は高禄で大勢の大名からの仕官の口がかかり、大石の次男は浅野本家に1500石として仕官が決まり、ほかの者も高禄で仕官して行ったのです、
堀部安兵衛の遺児も幕府の旗本350石として仕官が決まり、安兵衛の妻と供に旗本屋敷に移り、源三郎の子供も旗本350石として奥田家再興が許されてお峰と供に屋敷に移ったのです、

米沢にいたお春は上杉上屋敷の本宅に入り、根岸にはおあきがいるだけとなったのです、お峰に離縁状を渡して子供の事を頼むと、承知しました立派な跡継ぎにしますと言って、寺に預け、
てあった奥田家の位牌を持って根岸を去っていったのです、源三郎は改めて諸国巡察視の役目を引き受けたのですが多くの試験が待ち受けていたのです・・・・・・弟三部完了、

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