第16話

文字数 2,955文字


源三郎江戸日記(弟三部)16

お優しい方なのですねと言うので、仲良くしておくれと言うと、ハイ、大丈夫ですよと笑ったのです、翌日は柘植と奥方様が来たので、それぞれに出掛けて、いったのです、源三郎は、
御座所に行き治憲に江戸と印西の報告書を出すと、後でゆっくりみよう、柘植とお律は上手くいくのかのうと言うので、気をお使い頂き有難う御座りますと言うと、なあに気にするで、
ない、

わしには構わんで政務をこなして、みなに会ってくるが良いと言うので、ハイ、それでは出立前に立ち寄りますと言うと、千坂の部屋に行き、江戸と印西の話をしたのです、米沢は、
今のところ、一門もおとなしくしており、新田開発も、物産会所も順調に御座る、借財が殆どなくなったのには驚きましたぞと言うので、幕府には棚あげして貰っている事になって、
いますと言うと、

一門にも申してはおりませぬ、知っているのは、殿とそれがしと勘定奉行に御座りますと言ので、それで宜しいかと思います、詳しい報告書は殿に渡しておきましたので、後で目を、
通して下されと言って、部屋を出て物産会所に向かったのです、みんながお戻りなさりませ、先程まで奥方様達が検分なさっていましたと言うので、そうか、順調なようじあなと言、
うと、

ハイ、みなが頑張ってくれています、色々と工夫しているのですと言って、奥方様から葵の刻印いりの小判を頂きましたと言うので、それは良かったなと言って金寸は足りているか、
と聞くと、開発資金は十分です、最近は伊達、会津からも焼き物、織物を求めにくる商人も増えました、近隣でも評判が良いそうです、又一刀彫も大奥様の要望で米沢でしか売らな、
いでくれとの事ですので、

そうしております、ここでしか手にはいらなければ米沢、に来る者が増えるだろうと言う事です、たしかにこれを求めに、わざわざ奥羽街道を外れて米沢まで足を伸ばす者が増えて、
いるそうですと言うので、そうか、中々の策じあなと言ったのです、物産会所をでて新田開発を見て回ると開発の近くには、立派な屋敷がたっており、みなが作付けの準備にかかっ、
ていたのです、

玄海屋の出店に立ち寄ると番頭が江戸の山田様から先程文が届きましたと渡すので、読むと、三蔵が会津藩の足軽頭から聞きだした話しによると、会津公には綱道、綱春の二人の男子、
がおり綱道様が28才、綱春様が19才だそうだ、歳が離れているのは会津公が藩主になられて直ぐに江戸ではやっていた、はやり病にかかられて危篤になり、急遽一門から養子を向か、
えられたそうだが正式には幕府に届けていないそうだ、、

会津公は一命をとりとめその9年後に綱春様がお生まれになったと言う事だ、実子が出来たからには綱道様を廃嫡すべきだとの声は上がったのだが、会津公は決めた事を簡単に変える、
わけにはいかんと取り上げにはならず、今日まで来ているそうじあ、綱道様を擁立しているのは江戸家老で、綱道様の実父だそうだ、綱春様を擁立しているのは国家老でこれも一門、
だそうだ、

綱春様の母親は京都の扇町家の養女で、綱豊様の正室、照子様の世話で会津公に嫁がれた、母親の実家は京都の呉服問屋京屋の娘で扇町家に養女に行き会津公のもとに上がったそうだ、
綱春様の下に15才になる照姫様おられる、これはわしの推測じあがひょっとしたら間鍋詮房がからんでいるのかもしれぬ、用心しなされと書いてあったのです、そうすると一門同士の、
勢力争いと言う事になるが、

間鍋詮房がからんでいるとなれば照子様に頼まれての事であろう、綱春様が世継になられるとしたら幕府に正式に嫡子として届ければ良いわけだが、会津公が承知なされなければ出来、
ないわけだ、病気を良い事にして国家老が勝手に届けを偽造して花押を押して届ける手がある、しかし会津公が生きておられればそれも出来ないな、まてよ、勝手に出してそれが発覚、
して会津公が取下げをしたらどうなるのだ、、

一旦出したものを変える事が出来るのだろうか、そんな事すれば虚偽の届けを出したとしてお咎めを受けるは必定じあな、だから取り消せなくなり綱春様を藩主に出来ると考えている、
のだろう、出すとすれば重病になり意識もない状態になれば可能になる、真鍋がその手を国家老一派に指南したのかも知れん、ひょっとしたら砒素を薬に混ぜて徐々に体力を奪い、
その時を待っているのかもしれぬなと思ったのです、

わしが会津に行くと知ったはずなので、事を急ぐかも知れんが、ここで駆けつけるのはまずいな、予定通り行動した方が良いじあろうと頷いて、玄海屋を出てお抱え医師の津田玄伯の、
元に行くと、これはご家老お戻りとは聞いていましたがと言うので、殿も元気そうじあなと言うと、毎月脈を取っていますが心の臓はことのほか丈夫で御座います、あれなら多少の、
病気でも大丈夫でしょうと言うので、

毒物の事を知りたいのじあが、トリカブトは一気に死に至らしめて、砒素はすこしづつなら徐々に体力を消耗させると聞くがと言うと、ほう、お詳しいですなそのとおりですトリカブト、
は少量でも危険です、後はふくの毒、まむしの毒も少量で死にいたりますと言って、どこかで毒殺をたくらんでいるものがいるのですかと言うので、わしがにらんだところ、会津公は、
砒素を混入されているのではないかと思うのじあ、

一年前から徐々に病気がちになられていると聞いたというと、なるほど、砒素なら1年位かけて徐々に体力を落として肺炎を誘発させる事ができます、だとすればこの冬をよう越されまし、
たな、やはり心の臓がことさら強いのかもしれませぬと言うので、砒素混入を素早く調べる方法はないのかと聞くと、無色、無臭なので分かりにくいですが、慢性中毒は体に白点が出る、
のが特徴だそうです、

特に着物で隠されている部分に出易いとされています、嘔吐、下痢、が症状で嘔吐の中に黄色かかつた血が混じる事があるそうです、期間が1年くらいなら、摂取をやめれば残留するのは、
髪の毛と爪ですので伸びたものを切れば徐々になくなります、いっそ坊主にすれば良いですよと言ったのです、いずれも医術の心得がなければその量がわからないでしょうと言うので、
会津に知り合いの医師はいないか聞くと、

山本玄庵と言う者は学んでいた時の同門ですが、彼は町医者ですから砒素を殿様に混入するのは無理でしょう、出来るの奥医師だと思います、たしか会津の御殿医は島田道庵と言う、
甲府から来た医師だそうで、綱豊様が西の丸に入られたので幕府の医師はすでにおりますので、綱豊様が会津公への仕官を頼まれたのだそうです、それまでは山本玄庵が町医師と兼任、
していたそうです、

御殿医のさそいがあったそうですが、御殿医になると町の者の治療が出来なくなるので断っていたので、身分は町医師のままで城からの往診を引き受けていたそうです、他に何人かいる、
そうですが私は知りませんと言ったのです、米沢は特に御殿医は設けていませんので、それがしが往診しているわけですと言ったのです、たとえば忍びのものは小さい頃から毒を見分け、
られるようになっているそうじあがと聞くと、

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