第48話

文字数 2,268文字

 東和音大の学際でのフルート12連弾は好評だった。
 しかも、女性奏者が多い中での男だけの12連弾だけに、迫力も熱気も半端無かった。
 
 中でも、トリである片倉純哉の演奏は圧巻で、多くの聴衆を惹きつけたのだった。

 久美子はその聴衆の一人として、神永悠一郎と共に聴いていた。

「凄いですね、片倉さんって……」

 口を開けて唖然としている。
 発表会の時の彼の演奏だけでは分からなかった純哉の本領を知って驚いている。

「彼は天才よ。でもフルーティストの地位はあまり高くないし、あまりに前衛的過ぎて理解されないのよね。勿体ないったらない。ただ分かる人には理解されてるし、若い人には人気があるの」

 本当に勿体ないと思う。
 時々やる海外公演では、毎回絶賛されている。
 ただ国際コンクールに出場していないから、国内で優勝した冠くらいしかない。

「なぜ、国際コンクールに出ないんですか?それ程なら優勝するんじゃ?」

 神永は不思議そうな顔をした。

「バイオリンとピアノ以外はね、国際コンクールで優勝しても、日本じゃあまり評判にならないのよ。不思議な国よね。肩書きに左右される民族性なのに」

 所詮、管楽器は脇役なのだ。ソロで活躍できる場が少ない。
 オーケストラの一員か、良くて室内楽のアンサンブルだ。

 そんな中で、フルートだけで小ホールとは言え客席が満席になる片倉純哉は、矢張り凄い演奏家だ。それだけに、もっと活躍して欲しいと思う。

 久美子は神永を伴って、純哉の元へ向かった。

「お疲れ様―。凄く良かったわ~」

 久美子は差し入れを、純哉の傍にいた学生の一人に渡した。

「久美ちゃーん、よく来てくれたね。しかも、差し入れ付き。ありがとう」

 そう言うと、久美子を軽く抱きしめて頬にキスをした。
 まるで欧米人みたいだ。

 だが久美子はそんな純哉の態度に少し戸惑う。
 何故なら彼のすぐそばに若い女性がいるからだ。どうやら婚約者らしい。

「じゅ、純哉くん……」

 久美子のぎこちない態度を察したように、純哉が彼女を紹介した。

「あ、ごめんごめん。こちら、僕の婚約者の久坂真弓さん。で、こっちが、僕の伴奏をしてくれているピアニストの中村久美子さん。国芸の後輩でもあるんだ」

「はじめまして。中村久美子です」

 久美子はにこやかにお辞儀をした。
 真弓の方も笑顔で挨拶を返してきた。ただ、瞳は笑っていない。

 きっと、自分と純哉の関係を察しているに違いない。
 純哉が遊び人である事を承知しているのだから当然だろう。
 この日、婚約者が来ると言う事は前もって純哉から聞いていた。

「それなのに、行ってもいいの?」
「うん。久美ちゃんが来たければね。勿論、僕は来て欲しいって思ってる。今回は面白いからねぇ」

 本人は全く気にしていないようだが、矢張り女としては複雑だ。
 だから、カモフラージュの意味も込めて神永を誘ったのだった。

「あ、そちらの君は、芹歌ちゃんの所の……」

 純哉の問いかけに「神永悠一郎です。今日は素晴らしかったです」と神永が答えた。

「ありがとう。……それで、芹歌ちゃんは一緒じゃないの?」

 キョロキョロと周囲を見渡す。

「芹歌は来ないわ。神永君は、今日は私のお供なの。ねー?」

 久美子はそう言って、神永の腕を取った。
 神永は照れたような笑みを浮かべた。

「ふぅーん。そうなんだ……」

 純哉は納得いかないような、少々不満げな目を向けて来た。

(妬いてるのかな?)

 そう思ったが、違うだろうと思い直す。
 この人が、妬くわけがない。

 背後から、人々のざわめきが聞えて来た。
 何なんだろうと振り向くと、真田がやってきていた。

「あ、幸也……」

 嬉しそうな笑顔が純哉の顔に浮かんだ。

「来てたんだ。聴いてくれてたよね?」

 人々のざわめきの中、純哉の前に辿りついた真田は、「当たり前だろう」と拳を純哉の前に突き出した。
 純哉はそれに自分の拳を軽く合わす。

「練習の時より完成度が上がってたな。特にお前はハーメルンの笛吹き男さながらだった。お前が歩き出したら、みんな付いていきそうな勢いだったぞ」

「あははっ、それなら、そういう衣装でも着てくれば良かったかな~」

 こういう所が純哉らしい。

「こちらは?」

 真田は純哉の斜め後ろに立っていた真弓に視線を向けた。

「ああ。婚約者の久坂真弓さん」

「はじめまして。真田幸也です。純哉からいつもお話しは伺っています。可愛らしい方ですね」

 真田は誰もが魅了される笑顔で手を差し出した。
 真弓はその手とそっと握手した。

「はじめまして。久坂真弓です。世界的なバイオリニストとこうしてお会いできて、とても光栄です。これからもよろしくお願いします」

 小柄な体型に反するような、幾分低めの声だった。
 顔とは合っている気はする。

 真田は彼女の事を『可愛らしい方』と言ったが、間違っても綺麗とは言えない容姿だから、そう言ったのだろうと思う。
 美しいと言ったら逆に嫌みに聞えるだろう。

 不細工な訳ではないが、目が小さめで鼻も口も小ぶり。
 色白だがややくすんだ印象だ。

 確か大学4年だと聞いていたから22歳くらいだろう。溌剌(はつらつ)さは感じられない。
 年齢の割に落ち着いている。

 見た目は、どこにでもいそうな、ごくごく平凡で地味な女性だ。
 純哉のような、陽気で華やかで、容姿の優れた男の相手とは思えない。
 だが、家庭を守る女としては向いているのだろう。
 したたかで図太さを秘めているように感じられた。

「真田さん」

 久美子が声をかけると、「あ、お前も来てたのか」と久美子に軽く笑みを向けた後、隣にいる神永を見て目を剥いた。
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