第68話

文字数 3,677文字

 暮れも押し詰まり、大晦日を迎えた。
 あれから神永は毎日やってきているが、芹歌は意識して二人きりにならないようにしていた。
 
 そんな芹歌を神永は恨めしげに見ている。
 二人の関係を実花に告げれば、母の前でも、もう少しベタベタしたスキンシップをしても多分、(とが)められないだろうに、神永は実花に二人の事を告げて無いようだ。

 その事は芹歌にとっても有難かった。
 婿養子にしたいなんて言っているくらいだから、言えば喜ぶに違いないし、今よりももっと家族のように扱われるだろうと想像がつくのに、そこは(わきま)えているのだろうか。

 それとも、煮え切らない芹歌の態度を心配してなのか。

 昼を過ぎた頃、真田からメールが来た。
 珍しい事だった。一体、何ごとだろう?
 ドキドキしながらメールを開く。

 “大事な話しがあるから、これから来て欲しい。
  片倉が車で迎えに行く。
  国芸の音楽関係者の忘年会で、芹歌も連れて
  くるように言われたから、
  と言う事になっている。
  話しを合わせて、出てきてくれ“

(何、これ?)

 一体、どういう事だろう。
 話しの意味がよく解らない。

 国芸の忘年会に参加しろって事なのだろうか?
 そこで、真田も含めた皆から、大事な話しがあるって事なのか?

 それに、来いって言われても、場所が書かれて無い。

 首を傾げていたら、「どうしたんですか?」と神永が問いかけて来た。
 その隣に座っている実花も、怪訝そうな顔をした。

 目の前には香り豊かなほうじ茶が、早く飲んでくれとばかりに白い湯気をたてている。

「あ、あのね。なんか、国芸の関係者で忘年会があるみたいでね。来るようにってメールが……」
「ええ?今から?大晦日だって言うのに?」

 実花が飲もうとしていた湯のみを置いた。

「うん。そうみたい」

「やだ、そういうの、何で早くに言ってこないのかしらね?よりにもよって大晦日!あそこの人達って、やっぱり変な人ばかりなのね」

 苦々しい顔で言った。
 実花は芹歌が国芸に通ってる時から、芸術家だけに変人が多いだの、常識から外れてる、等々言っていた。

「誰からのメールですか」

 神永の視線が何故か鋭い。
 ドキッとする。

「うん、片倉さんから。片倉さんが、これから迎えに来るって」

「あらまぁまぁ。拒否権、無いの?びっくりだわ。じゃぁ芹歌、さっさと支度しないと」

 実花が急きたてた。

「でもあの、いいの?行っても……」

「当たり前じゃないの。大学側から呼び出されたら断れないでしょ。しかも、片倉さんが迎えにくるんだから」

 何だか少し、後ろめたい気がした。

「あの人も参加されるんですか?真田さん、でしたっけ」

 ドキリとする。
 神永の問いに実花の目も一瞬、鋭くなった。

「さぁ?聞いてないけど、まだ怪我も治って無いでしょうから無理じゃないのかな」

 芹歌の答えに、実花が頷いた。

「そうよね。真田さんは無理でしょう。足を怪我してるんだし。治るまで、まだ時間がかかると思うわよ?」

 神永はまだ信じられないような顔つきだったが、実花が急きたてるのを機に芹歌は自室へ着替えに入った。

 それにしても、大事な話しって、何だろう?
 それに、どこへ連れて行かれるのか。
 着替えが終わるのとほぼ同時に、玄関のチャイムが鳴った。

「こんにちは。すみません、こんな年の瀬に、いきなり……」

 片倉は小憎らしいくらい、スッキリと決まっていた。
 上品で、派手すぎず、うっとりする程の男ぶりだ。

「あら、いらっしゃい、片倉さん。相変わらず、ステキなのねぇ」

 実花は頬を染めて、うっとりしている。
 片倉は傍らにいる神永に声をかけた。

「君も来ていたんだね。それなら安心だ。お母さんが寂しくない」

 にこやかな片倉に対し、神永の表情は硬かった。

「あの、真田さんも参加されるんですか?」

 余程、気になるらしい。
 片倉はほんの少しだけ片眉を上げた。

「幸也は行かないよ。まだ足の怪我が治ってないし、自宅療養に入ったけど、安静にって言われてるからね」
「そうですか……」

 少しだけ、ホッとしたように顔を緩めた。

「神永君……、ごめんね。後を、お任せしちゃってもいいかな?」

 神永はやっと微笑んだ。

「大丈夫ですよ。お母さんの事はご心配なく」
「そうよ。お陰でゆう君、ひとり占めにできて、私は嬉しいわ」

 本気で言っているようだ。芹歌は苦笑した。

「じゃぁ。帰りもお送りしますから、ご心配なく」

 芹歌は片倉について、家を出た。

 家の前に、小型の青のプジョー車が止まっていた。
 片倉は助手席のドアを開けて、「さぁ、どうぞ」とにっこり笑った。
 まるで、王子のようだ。

「あ、ありがとうございます」
 なんだか照れる。この人の車に乗るのは初めてだった。
 中はシンプルで、余計な物が置いて無くてスッキリとしていた。

「なんか、ごめんね、いきなり呼びだしちゃって」

 車を走りだしてすぐに、片倉が言った。

「あの……。真田さんからのメール、内容がよく解らなかったんですけど……」
「えーー?」

 前を向いたまま、驚いている。

「あいつ、一体、どんなメール送ったのかな。ね、良かったらちょっと、読んでみて」

 言われて、芹歌はスマホを出すと、メールを読んだ。

「あれれ?ねぇ、芹歌ちゃん。内容がよく解らないって、どういう事?要点だけ簡潔に書かれてて、解りやすいって思うんだけど……」
「はい?」

 芹歌は戸惑った。
 もしかして、私って著しく読解力が低い?

「あー」
 突然、片倉が変な声を出した。

「はい?え?何ですか?どうしたんですか?」
「なんかさ。僕、今、ピンと来た、君の事……」
「え?どういう事ですか?」

 全く解らない。
 元々不思議な人だが、一層そう思う。

「君ってさ。言葉だと本当に伝わりにくいよね。でも、読譜能力は凄いんだよね。演奏してる時の読みも鋭くて深い。なのに、どうして言葉だと伝わらないのかな……。それが、君の特徴と言うか特色と言うか。君ってそういう人なんだよね」

 返す言葉がない。
 それって言ってみれば、矢張り読解力が低いって事だよね?

 言葉だと通じないって?
 頭悪いって言われているのだろうか?
 もしかして、とても失礼な事を言われてる?侮辱されてるの?

「あのー。もしかして、ディスられてるんでしょうか?」

 この人も、真田のように意地悪な人だったんだと認識した。
 天才は大概にして正直だ。
 何の意図も無く、真実を突きつける。
 天使の顔して、平気で悪魔のような事を言うのだ。

「いやいや、そうじゃないの。ごめんね、変な事を言って」

 納得いかないが、追求しないことにした。

「あのそれで、質問してもいいですか?」
「はいはい、どうぞ。どこが分からなかったのかな?」

「これから、どこへ行くんでしょう」
「ああ、なるほど。それについては、書いて無かったもんね。えーとね。某所」
「はい~?」

 なんだ、某所、とは。答えになって無い。

「行けばわかるよ。後は?」

 一瞬、言葉に詰まる。

「あ、あの……、えーと……、国芸の忘年会って?話しって皆さんからあるんですか?」

「ブワハッハッハ!」
 いきなり片倉が吹きだすようにして笑いだした。

「えー?なんで笑うんですか?」
「いやだって、可笑しいから。アッハッハッハツ!」

 芹歌は憮然となる。
 何がそんなに可笑しいのか解らないし、可笑しいからって、そこまで笑う事もないじゃないかと思う。

「せ、芹歌ちゃん、面白すぎ。それ、狙って無いよねぇ?」
「はぁ?そんな訳、ないじゃないですか」
「あっはっは……、だよねぇ……。あー、面白すぎて涙出そう……」

(そっちは面白くても、こっちは面白くない)

 そう思って、窓の外を見た。

(あれ?この道……)

「ごめん、芹歌ちゃん……。えっとね。芹歌ちゃんね、読み間違えてるね、内容を。国芸の忘年会って言うのは、嘘なの。君が出かける口実」

「ええ?嘘なんですか?」

「そうだよ。話しを合わせて、ってあったでしょ?幸也からの呼び出しって言ったら、出して貰えないかもしれないでしょう。だから、話しを作ったの。話しがあるのは、幸也からだよ。だから、これから行くのは幸也の所」

「あ、あの、真田先輩から話しがあるって言うのは、理解してました。ただ、国芸の人達も一緒なのかと思っちゃって。こんな日に忘年会ってのも変だし、一体、何なんだろうって」

「なるほどね。半分くらいは理解してくれてたのね」
「半分くらいって……」

(馬鹿にされてるのかな、やっぱり……)

 よくわからないが、少なくとも真田とは、言葉による意思の疎通が良くないとは思っている。
 今に始まった事ではない。

 真田は激し過ぎるせいか、発する言葉も過激だ。
 グサグサと痛いところを突くし、感情の起伏も激しい。

 だから多分、敵が多い気がする。
 人から誤解されやすいタイプだろう。

 同じ天才でも、片倉は違う。
 この人もグサグサと突いては来るが、相手の反応に敏感だし、周囲への気配りもあり、底抜けに明るいせいか許せてしまう。
 まるで無邪気な少年のようだ。

 車が停止した。
 見覚えのある道を走っていた筈だ。
 そこは真田家の門前だった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み