第17話

文字数 2,881文字

 お盆の週を前にした水曜日、いつものように夕飯の食卓に神永がいた。
 神永はあれから毎週水曜日に浅葱家で夕食を共にしている。
 実花が朝から心待ちにしているような様子だけに、仕方なかった。

「ゆう君は、来週はどうするの?お盆休みでしょう?お友達と旅行とかに行くの?」

 実花はどこか寂しげだ。
 お盆の週は、レッスンは休みだ。
 本当なら発表会も近いのでレッスンをしたいところだが、この週は結局、それぞれの予定があるから成り立たない。
 
 ヘルパーの須美子にも、お盆の5日間は休んで貰っている。
 家庭が無いから、大丈夫ですよと言ってくれるが誰にでも休みは必要だと思う。

 だからなのか、毎年この時期は人の出入りがパタッとなくなる為、実花は寂しそうにしているのだった。誰とも関わらなくても、出入りがあるだけでも違うんだと言う事がこういう所で分かる。

 年末年始も同じだ。
 元々、そういう時期は家族で楽しく過ごしてきたのだから、余計なのだろう。

「特に予定はありません」
「あら、そうなの?いつからお休み?」

「水曜日から日曜日までの5日間です。どこへ行くにも一番混む時期ですよね。料金も高いし、僕にはそんな余裕ないですから」

「それだったら……」

 実花は言い淀みながら、芹歌の方を見た。
 それだったら、何だと言うのだろう。

「うちに毎日晩ご飯を食べに来たらどう?」

(やっぱり、それなんだ……)

 芹歌は溜息をつくように息を吐くと、箸を置いた。

「お母さん。神永君も若いのよ?旅行とかには行かなくたって、お友達と会ったり、彼女とデートしたり、普段できない家の事とかその他諸々ある筈よ?毎週一緒に食事してるんだから、たまにはいいじゃない。折角のお休みを可哀想に思わないの?」

 実花は敵意のこもったような目で芹歌を見た。その事に芹歌はうろたえた。
 何故そんな目で見られなければならないのか。親子なのに。
 自分の言っている事は間違ってはいない筈だ。

「あの……」

 躊躇(ためら)いがちな声が二人の間に割って入った。
 見ると神永が困ったような顔をしている。

「あ、ごめんなさいね。そうよね。芹歌の言う通り、迷惑よね」

 実花が気落ちしたように、しょんぼりした。
 今さっきまで芹歌を(にら)んでいたのに、まるで親に怒られた少女のようだ。

「あの……、僕、本当に特に用事、ないんです。もしあっても昼間のうちに終わるでしょうから、夕方までには来れますし、できればその……、不安なのでピアノのレッスンもお願いしたいんですが。今回初めての発表会ですし。勿論、レッスン代はその分、お支払いします。だからその、ご迷惑でなければ僕の方こそお願いしたいんですが……。本当に、暇でやる事ないですし……」

 神永の言葉に芹歌は困惑した。
 これは一体、どういう事なのだろう?
 どう理解したら良いのだろう。こんな事はアリなのだろうか。

 お盆と年末年始の時期は、芹歌にとっては気の重い時期だ。
 何せ、母と二人きりなのだから。

 須美子がしてくれている事を、芹歌が全部やらなければならない。
 他の誰かと交流する事もできずに。

 せいぜいが1週間程度だから我慢できるが、それ以上は限界だ。
 1週間ですらストレスが溜まって気が狂いそうになる。

 神永が来ると言う事は、その息の詰まるような二人の生活が少しでも緩和されると言う事なのだろうか。他人がいる間は実花の機嫌は悪くはないだろう。
 むしろ相手が神永なら機嫌は良いに決まっている。
 芹歌が逡巡しているのを余所に、実花は手を合わせて喜んだ。

「ゆう君、その言葉、信じていいのね?おばさん、信じちゃうわよ?社交辞令じゃないわよね?」

 顔が明るい。

「社交辞令じゃありません。図々しいかもしれませんが、僕も退屈だし、助かります」

「あら。ここに来たって退屈な事には変わりないんじゃないの?」

「そんな事、ないですよ。毎週、ここへ来るのを楽しみにしてるのに。浅葱さんの話しを聞くの、楽しいです」

「あらあら……。若いのに上手いのね、ゆう君は」

 顔を輝かせている実花を見ると、もう何も言えなかった。それに、来て貰った方が、自分にとっても助かることは確かだ。

 ただ、相手は自分と幾つも違わない若い男だ。
 同性ならともかく、異性となると矢張り気を使う。
 気難しい顔でもしていたのか、神永が芹歌の様子に気付いた。

「芹歌さん、すみません。何だか勝手に決めちゃったみたいで……」

 済まなそうな顔をしている。

「あらいいのよ、戸主は私なんだから。私の方に決める権限があるの。ゆう君は私のお客様として来るんだから」

 文句は言わせないと、その顔は言っている。

(何が戸主よ。偉そうに……)

 顔が引きつりそうになるのを必死に堪えた。
 自分では何もせず、女王様のように人を(あご)で使って、稼ぎもせずにただ生きているだけじゃないか。

「そうね。お母さんが望むなら、そうすればいいわ。だけどお母さんのお客様なんだから、お母さんがおもてなししてね。私は知りませんから」

 芹歌はプイと顔を背けた。

「何なの?偉そうに。娘の分際で」

 ピリピリしだしたのが伝わって来た。自分の意に染まない事に腹を立てている。
 勝手な人だと思うばかりだ。

「二人とも、落ち着いて下さい。僕の事は、客扱いしなくて大丈夫ですから」

 芹歌は背けた顔を神永に向けた。複雑な顔をしている。

「それって、どういう事なの?」

「うーん……、何て言ったらいいんでしょうね?もてなして貰わなくていいって言うか。ヘルパーさん、お休みなんですよね?だから大変ですよね。少し、介助のお手伝いでもさせて貰えればって感じかな。男だから力はあるし、僕これで料理も得意なんですよ。浅葱さん、良かったら一緒にお料理しませんか?」

 神永はニッコリと実花に微笑みかけた。

 実花の目が点になった。全くの思いがけない言葉だったからだろう。

「お料理、お得意なんじゃないですか?」

 実花は目を逸らした。

「もう……、何年も……やってないから……」

 消え入りそうな小さな声だ。

「あれ?そうだったんですか。それなら尚更、一緒にやりましょう。座ったままでも出来る事、たくさんあるし、ちょうどいいじゃないですか。退屈しのぎになりますよ。ついでに僕に秘伝の味とか教えてくれたら嬉しいなぁ」

 屈託のない神永の様子に、芹歌は口を挟む事もできずに傍観していた。

「でも……、大丈夫かしら?久しぶりすぎて不安だわ」

「大丈夫ですよ。だって、一人じゃないんですよ?僕がそばにいるんだし、一緒にやるんだから」

 実花は恐る恐るといった感じで神永の方を見た。

「ね?一緒にやりましょう。きっと楽しいに決まってる」

 爽やかで確信に満ちた笑顔だった。
 それに影響されたように、実花の顔に明るい笑顔が浮かんできた。

「そうね。きっとそうね。ゆう君が言うなら、きっとそうなんだわ」
「良かった。じゃぁ一緒に美味しいものを作りましょう」

 また二人で勝手に決めちゃってる、と芹歌は呆れた。

(この人……、一体どういう人なの?)

 いつの間にか彼のペースになっている事に、何だか急に不審感が湧いてきたのだった。
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