第21話
文字数 2,083文字
神永のリハの順番が回って来た。
演奏の順番は、概 ね年齢の若い順にしてある。
レベルによって若干前後していて、後半は神永、春田、朱美の順番だ。
国芸志望の朱美は他の生徒達とはレベルが段違いなので、当然ながらトリを務めて貰う。
神永は着席した後、大きく息をついて「緊張する……」と呟いた。
「大丈夫よ。まずは椅子、直したら?高過ぎるでしょう?」
「あ、そうですね」
神永は慌てて椅子を直しだした。
そっと客席に目をやると、実花は嬉しそうな顔をしていた。その後では、久美子が不審げな眼差しで見ている。あの眼はどういう意味だろう?
「神永君。本番でも、ちゃんと椅子を直してね?椅子を直しながら気持ちを静める事」
「はい。そうします」
「周囲の事は忘れて、落ち着く事が大事。慌てて弾きだしちゃ駄目よ?息を整えて、それからリズムを取って、余計な力を抜いて、静かに入るのよ」
神永は黙って頷くと、言われた通りに息をスーハーとしながら呼吸を整え始めた。
「うわっ」
弾きだしていきなりの言葉に芹歌はびっくりした。
「え?何?」
「え、あの、タッチが全然違う……。音も……」
そう言いながら弾いている。
だが、その動揺が伝わるようにリズムが乱れていた。
「神永君、落ち着いて。音の違いが分かるなら、よく聞いて?綺麗な音が出せる筈よ」
「え?あぁ、そうですね……」
神永の顔は真剣そのものだった。
「肩の力を抜いて……。優しく綺麗に。リズムも正確に……」
芹歌の言葉に反応するように、神永のピアノが段々良くなってきた。
取り敢えず、ホッとする。
だが本番は大丈夫だろうかと少し不安にもなった。初めて人前で舞台の上で弾くのだから緊張するのも無理は無い。
弾き終わった時、「はぁ~」と息をついて、神永は後ろにのけぞるように体を伸ばした。
参ったな、とばかりに天井を見ている。
「神永君。後半はなかなか良くなってたから、とにかく落ち着く事ね。緊張するのは悪い事じゃないのよ?緊張感が全く無い演奏は良くないの。適度な緊張とリラックス。まずは、入る時の呼吸が大事ね」
「呼吸?」
「さっき、大きく息をスーハーしながら整えてたでしょ?あれで整って来たら、曲に入るタイミングなんだけど、息を大きく吸って、ゆっくり吐き出しながら入る事。息を吐く事で力も適度に抜けてくるし、流れに乗りやすくなるから。でも、あまり息を気にし過ぎちゃ駄目よ。自然にね。」
神永は言われた通りに息を整え、吐きながら曲に入った。
「そうよ。いい感じ。その調子で」
芹歌は途中で止めて、その後何度か冒頭の入る所を繰り返させた。
最初に良い感じで入れれば大丈夫だろう。
弾きながら落ち着いてくるタイプのようだ。
こういう人は案外楽だと思う。
これと逆なのが朱美だ。
彼女は最初はリラックスして良い感じで始まれるのに、曲が進む程に緊張してきて、後半はガチガチになってミスし始める。
最初は肝心だが、後半は謂わばクライマックスである。そこでのミスは痛い。
そして、別の困ったちゃんが春田だった。
彼も神永のように最初に緊張し、弾きながら緊張が解けていくタイプだが、段々と曲に乗って来て弾く事に夢中になる。
今回も、出だしでガチガチに緊張し、段々と緊張が解けてきた頃は大分上手になってきたな、と思わせる演奏だったが、それが段々とリズムに合わせて体が揺れ始め、ガチャガチャとした音になってきた。
本人は弾けている事に満足した顔をしている。
「ストップ、ストップ!」
芹歌は途中で止めさせた。
「春田さん。まずは心を静めて。自分の音をよく聴いて?そんなにガンガンと力を入れちゃ駄目よ。春田さんの指は強いから、そんなに力を入れなくても大丈夫。そっと、優しく、ピアノの鍵盤を、奥さんやお嬢さんを労わるような感じで弾いてあげて?」
「ええっ?先生、やだな……」
春田が仄 かに頬を染めた。
(あら、ステキ)
中高年の男性のこんな顔も良いものだと思う。
「春田さん。私に教わった事を思い出しながら弾いてね。そうしたら、前よりずっと素敵に弾ける筈。この曲は、ダンディな春田さん向きなんだし」
「先生、それ以上、言わないで下さい。照れくさくて弾けなくなります」
芹歌は笑った。
「わかりました。じゃぁ、もう一度」
弾き直し始めた春田のピアノは、最初よりも大分良くなった。丁寧感が出て来た。
じっくりと、自分の音を聴きながら弾いている様が伺えて芹歌も安堵した。
粒のバラツキはあるものの、全体的には雰囲気のある悪くない演奏だ。
去年に比べると大分良い。選んだ曲も良かったと思う。
「春田さん。凄く良くなったと思います。本番で今の感じを忘れないで弾いて下さいね」
「はい!ありがとうございました」
席を立つと、春田は客席を見て軽く手を振った。その方向に目をやると、春田の妻と娘が笑顔で手を振っていた。
芹歌に気付き、軽くお辞儀をしてきたので芹歌も返す。
考えて見ると、浅葱家と同じ、一人娘の三人家族だ。
とても仲が良さそうで微笑ましい。
うちも昔はあんな感じだったんだな、と思うと少し寂しさが胸に生じた。
演奏の順番は、
レベルによって若干前後していて、後半は神永、春田、朱美の順番だ。
国芸志望の朱美は他の生徒達とはレベルが段違いなので、当然ながらトリを務めて貰う。
神永は着席した後、大きく息をついて「緊張する……」と呟いた。
「大丈夫よ。まずは椅子、直したら?高過ぎるでしょう?」
「あ、そうですね」
神永は慌てて椅子を直しだした。
そっと客席に目をやると、実花は嬉しそうな顔をしていた。その後では、久美子が不審げな眼差しで見ている。あの眼はどういう意味だろう?
「神永君。本番でも、ちゃんと椅子を直してね?椅子を直しながら気持ちを静める事」
「はい。そうします」
「周囲の事は忘れて、落ち着く事が大事。慌てて弾きだしちゃ駄目よ?息を整えて、それからリズムを取って、余計な力を抜いて、静かに入るのよ」
神永は黙って頷くと、言われた通りに息をスーハーとしながら呼吸を整え始めた。
「うわっ」
弾きだしていきなりの言葉に芹歌はびっくりした。
「え?何?」
「え、あの、タッチが全然違う……。音も……」
そう言いながら弾いている。
だが、その動揺が伝わるようにリズムが乱れていた。
「神永君、落ち着いて。音の違いが分かるなら、よく聞いて?綺麗な音が出せる筈よ」
「え?あぁ、そうですね……」
神永の顔は真剣そのものだった。
「肩の力を抜いて……。優しく綺麗に。リズムも正確に……」
芹歌の言葉に反応するように、神永のピアノが段々良くなってきた。
取り敢えず、ホッとする。
だが本番は大丈夫だろうかと少し不安にもなった。初めて人前で舞台の上で弾くのだから緊張するのも無理は無い。
弾き終わった時、「はぁ~」と息をついて、神永は後ろにのけぞるように体を伸ばした。
参ったな、とばかりに天井を見ている。
「神永君。後半はなかなか良くなってたから、とにかく落ち着く事ね。緊張するのは悪い事じゃないのよ?緊張感が全く無い演奏は良くないの。適度な緊張とリラックス。まずは、入る時の呼吸が大事ね」
「呼吸?」
「さっき、大きく息をスーハーしながら整えてたでしょ?あれで整って来たら、曲に入るタイミングなんだけど、息を大きく吸って、ゆっくり吐き出しながら入る事。息を吐く事で力も適度に抜けてくるし、流れに乗りやすくなるから。でも、あまり息を気にし過ぎちゃ駄目よ。自然にね。」
神永は言われた通りに息を整え、吐きながら曲に入った。
「そうよ。いい感じ。その調子で」
芹歌は途中で止めて、その後何度か冒頭の入る所を繰り返させた。
最初に良い感じで入れれば大丈夫だろう。
弾きながら落ち着いてくるタイプのようだ。
こういう人は案外楽だと思う。
これと逆なのが朱美だ。
彼女は最初はリラックスして良い感じで始まれるのに、曲が進む程に緊張してきて、後半はガチガチになってミスし始める。
最初は肝心だが、後半は謂わばクライマックスである。そこでのミスは痛い。
そして、別の困ったちゃんが春田だった。
彼も神永のように最初に緊張し、弾きながら緊張が解けていくタイプだが、段々と曲に乗って来て弾く事に夢中になる。
今回も、出だしでガチガチに緊張し、段々と緊張が解けてきた頃は大分上手になってきたな、と思わせる演奏だったが、それが段々とリズムに合わせて体が揺れ始め、ガチャガチャとした音になってきた。
本人は弾けている事に満足した顔をしている。
「ストップ、ストップ!」
芹歌は途中で止めさせた。
「春田さん。まずは心を静めて。自分の音をよく聴いて?そんなにガンガンと力を入れちゃ駄目よ。春田さんの指は強いから、そんなに力を入れなくても大丈夫。そっと、優しく、ピアノの鍵盤を、奥さんやお嬢さんを労わるような感じで弾いてあげて?」
「ええっ?先生、やだな……」
春田が
(あら、ステキ)
中高年の男性のこんな顔も良いものだと思う。
「春田さん。私に教わった事を思い出しながら弾いてね。そうしたら、前よりずっと素敵に弾ける筈。この曲は、ダンディな春田さん向きなんだし」
「先生、それ以上、言わないで下さい。照れくさくて弾けなくなります」
芹歌は笑った。
「わかりました。じゃぁ、もう一度」
弾き直し始めた春田のピアノは、最初よりも大分良くなった。丁寧感が出て来た。
じっくりと、自分の音を聴きながら弾いている様が伺えて芹歌も安堵した。
粒のバラツキはあるものの、全体的には雰囲気のある悪くない演奏だ。
去年に比べると大分良い。選んだ曲も良かったと思う。
「春田さん。凄く良くなったと思います。本番で今の感じを忘れないで弾いて下さいね」
「はい!ありがとうございました」
席を立つと、春田は客席を見て軽く手を振った。その方向に目をやると、春田の妻と娘が笑顔で手を振っていた。
芹歌に気付き、軽くお辞儀をしてきたので芹歌も返す。
考えて見ると、浅葱家と同じ、一人娘の三人家族だ。
とても仲が良さそうで微笑ましい。
うちも昔はあんな感じだったんだな、と思うと少し寂しさが胸に生じた。