第54話

文字数 2,822文字

「なんて無様なんだ」

 見舞いに来た片倉の第一声がそれだ。

「悪かったな。それよりお前、仕事は大丈夫なのか?」
「人の心配より、自分の心配したらどう?大丈夫だから来てるんだろうが」
「それもそうだな」

 陽気な片倉には、いつも笑いを誘われる。

「いちごを持ってきたよ。高級だから甘いよ。……あれ?可愛い花だね」

「ああ……。それは、芹歌が持ってきてくれたんだ。笑えるぞ、花瓶ごとだ」

「へぇ~。そうなんだ。そう言えば、彼女とのレッスン中に倒れたんだってね。救急車も一緒に乗って来たそうじゃないか。大変だっただろうね、彼女も」

「迷惑をかけてしまったよ」
 全くの不本意だ。

「そうだね。予兆は無かったの?」
「そうだな。たまに痛いと感じてはいたが、そのくらい誰にでもある事だと思ってた」
「はぁ~~っ」

 片倉は呆れたように、大きな息を吐いた。

「何て言うか、君がここまで愚かだとは思って無かったよ。頭のいい人間ほど、肝心な所ではアホなんだよな」

 真田は憮然とする。
 なんでそうまで言われなきゃならないんだ。

「幸也さぁ。なんで帰国したんだよ。何の為に帰って来たんだよ」

 珍しく片倉の顔が笑っていない。
 一番訊かれたくない事だった。

 片倉はそう察していたから今まで訊かずにいてくれた。
 ドイツを去る時にも訊かれたし、帰国後も何度も色んな人間から訊かれた。
 その度にお茶を濁すような事しか言って来なかった。

「やっと訊いてくれたな」

 訊かれたく無かった癖に、一方でコイツには訊いて欲しい気持ちもあったようだ。

「馬鹿言うな。訊くなと無言で訴えてたじゃないか」

 やっぱり、察してくれていた。
 真田の頬に軽く笑みが浮かぶ。

「俺、お前といるとさ。自分はもしかしてゲイかもしれないって思うんだよな」
 嘘ではない。

「はぁ?何言ってるんだよ、こんな時に。馬鹿ユキ。いい加減にしないと怒るよ」

「いやだって。まるで長年連れ添った妻みたいに、よく察してくれるし、笑わせてくれるし、何より居心地がいいもんだからさ。これは愛なのかもしれない、なんて思ったりするんだよ。それにお前、俺に逢うと、すっごく嬉しそうな顔してくれるしな」

 片倉は珍獣でも見るような目つきで、「ホント手に負えない……」と嘆かわしいような声を出した。

「女なんて、面倒くさいばかりだ。所詮、女と男は別の生き物。互いに理解なんて出来ないのさ。同性愛者ではないが、同性しか愛せない気持ち、最近分かる気がしてきたんだよ」

 本当にそう思う。

「バイの場合はさ。生殖本能は女で満たし、精神的に本当に愛するのは男なんだと思う。俺は、もしかしたら、そっちなのかもしれない」

「やめてくれよ。変な事を言うなよ。正直に言えば、俺だって君を愛してるよ。人として、芸術家として、男としても。でも、同性愛とか、その類でない事は確かだ。ユキさぁ。何か血迷ってないか?もっと自分の心の奥をよく見つめた方がいい。何の為に帰国したのか。何を求めているのか」

 片倉の真剣な顔に、真田は唇を噛んだ。

「よく見つめたさ。その結果が、これだよ。見つめ過ぎて、考え過ぎて、胸が痛くなって、後悔して、でもって、本当に胃がやられてしまった……」

 真田は芹歌が持ってきた花に目をやる。
 そこに芹歌がいるようで、心が僅かに癒される気がした。
 学内コンサート、ちゃんと出来るだろうか。
 ろくに練習できずに来たのに。

「芹歌ちゃん、昨日今日と森田さんのリサイタルだよ」
「そうか」

 男性のバイオリニストだ。
 少し心が痛む。

 一昨日見舞いに来た時に、毎日来ると言っていたのに、昨日は来なかったし、今日も来ていない。
 この時期は忙しいから仕事があるんだろうと思っていたが、案の定だ。

 それなら、毎日来るなんて言わなきゃいいのに、妙な屁理屈を並べていたなと、呆れる。
 彼女は昔から、そういう変わった所があった。
 要するに素直じゃないんだ。

「君、昔はさ。彼女が他の男と組むと烈火の如く怒ってたじゃない。それなのに今はそんな事は無いんだってね」

 真田は鼻で嗤った。

「そんな事、例えしたくてもできないよ。彼女は仕事でやってるんだ。それを妨害するような真似はできない。プロとして当然じゃないか」

「まぁ、確かにね。でも僕、彼女と何度か組んだ時、幸也の気持ちが少し分かった気がしたよ」

「どういう意味だ?」

「演奏終了後に、彼女を抱きたくなった」
「おい!」

 思わず怒りが湧いて来て、身を乗り出した。

「きっと、森田さんも同じだと思うよ」

 拳に力が入る。
 顔が怒りに燃えている気がした。

「まさか、お前……」
 片倉は笑った。

「やだなぁ。そんな怖い顔しないでよ。芹歌ちゃんは幸也のものだ。手は出せないよ。多分、業界内の多くが同じように思ってるだろうから、芹歌ちゃんは安全だよ」

 真田の拳の力が緩んだ。
 だが、まだ怒りが納まらない。

「ユキ……。やっと本心が出たよ。分かってる?今の自分を」

 真田は驚いて片倉を見た。

「人は案外、自分の事ほど分からないものなんだね。事あるごとに『俺の芹歌』と言っておきながら、8年近くも離れたままで、いい加減、我慢できなくなって帰ってきたんだろう?彼女と離れている事でスランプが深刻化してきた。そこから脱したくて、彼女を求めて帰ってきた。それなのに、やってる事は行く前と同じ事。そんな事をしてるから、他の男に取られちゃうんだよ」

 手が震えた。

「業界の連中はね。(おおよ)そを察してるせいか、芹歌ちゃんに手を出すヤツはいない。彼女も音楽にしか興味無くて、異性がつけ入る隙も全然無いしね。だけど、思わぬ所に伏兵がいたね」

 片倉が言っているのは、神永の事だろう。

「学内コンサートの練習。惨憺(さんたん)たる内容らしいじゃない。久美ちゃんから聞いたよ。そこでちゃんとやっていれば、きっと芹歌ちゃんの気持ちもガッチリ掴めて、こんな事にはなっていなかったんだろうに」

「こんな事って?」
 声に力が入らない。

「あの、神永君に取られるって事だよ。君が彼女とのセッションで感じているのと同じ物を、彼女も感じてるんだよ。二人でしか紡ぎだせない感覚を十分知っている。だから、やればやる程、君とは離れらなくなる。それなのに君ったら、墓穴掘るような事ばっかりだ。だから、馬鹿ユキって言ったのさ。彼女の状況をよく理解してないだろう。彼女自身も限界に来てたんだ。お母さんの事で。支えを欲してた」

 言われて思い出した。
 最初に真田のレッスン室に来た時の芹歌の様子を。

 支えないと崩れてしまいそうな(もろ)さを感じた。
 雰囲気も変わり、苦労したんだなと思ったのだった。

 その事を、もっと()んでやるべきだったのか。

 自分の事しか見えて無かった。
 昔からそうだ。だからこうやって後悔するハメになるんだ。

「どうする、幸也……」

 厳しい目で問いかけられた。

「わからない……。だが今は、学内コンサートに全力を注ぐ。それしかない」

 そうだ。今は何より、そこへ集中するしかない。
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