第42話

文字数 3,099文字

「それで、芹歌は来るには来たけど、楽屋には来なくて、それで真田さんの機嫌が悪かったって訳なのかしら」
 なんだか未だに信じられない思いだ。

「機嫌が悪かったかは、分からないけど、ガッカリはしてたね。ここから先の話しは、傷つかないで欲しいんだけど……」

「え?なんなの?」

 まだ、何か良くない話しがあるのだろうか。
 傷つくような話しが。

「……、僕は、君が幸也と寝たのは、単に遊びであって、深い思いは無かったと言う前提で話すけど、それでいいよね?遊び、なんだよね?」

 やけに真剣な目で確認してきた。

「え?ええ。そうだけど、どうしたの?」

「久美ちゃん。僕、本当に君が好きだよ。過去から現在に至る女関係の中で、君が一番好きだ。体の相性が凄くいいし、音楽的にもいい刺激を受けてるし、しっくりくるって思うんだ。何より楽しいし。だから、君を傷つけたくない」

 久美子は黙って純哉を見上げた。
 不安げな顔をしている。こんな純哉を見るのは初めてだ。
 本当に心配してくれているのか……。

「そんなに心配するような事なの?聞いたら、傷つくような?真田さんが芹歌を好きだって聞いて、確かにビックリはしたけれど……」

 戦いのような二人の練習光景を思い出す。
 後半は言い争うような事は無かったが、それでも内容は凄まじかった。

 互いの間には音楽しかない。
 互いに音楽に全てを(なげう)っている。
 そう感じた。

 だから恋仲説は違うと思っていた。
 恋仲ではなく、どちらかの片思いだったとの説だとしても、絶対にナシだろう。
 そんな甘い思いが伝わって来た事なんて皆無だったのだから。

 練習以外の時に、そういう話を芹歌からも真田からも聞いたことが無い。
 だからこそ、今、寝耳に水と言って良いくらい驚いているのだ。

「じゃぁ、言うよ。……芹歌ちゃんと組むようになって以降の幸也の女漁りはね。みんな、芹歌ちゃんの身代わりなんだよ」

「……?」

 良く分からなかった。言っている意味が。

「よく分からないわ。どういう事?」

 眉間に思わず力が入った。
 身代わり?
 何だ、それは。

「芹歌ちゃんと組み始めた頃。暫く女漁りが止まってた。二人が馴れるまでに、それなりの時間を要すから、それどころじゃ無かったんだろうと思ったよ。だけど、上手い具合に息が合うようになってきてから、途端に女漁りが再開した。息が合い始めて余裕が出て来たんだろうって最初は思ってたけど……」

「違うって言うの?」
「うん。違った」

 純哉は久美子をマジマジと見た。

「ホテルとか、利用するようになったでしょ」
「え?」

「それまでは、野外だったのに」

「あ、そうだったんだよね。その辺から、遊び方が変わったって事?」

「そう。勿論、僕も最初は全然気付かなかったけどね。はっきり分かったのは、この間のサントリーホールの時。怪しいとは、ずっと思ってた。だって、日本公演の度に、恵子先生に頼んで芹歌ちゃんが来るように仕向けてたんだからね」

 そうまでしながら、自ら逢いにはいかない。
 連絡もしない。

 不可解な奴だと思っていたが、サントリーホールの時に、矢張り芹歌ちゃんが好きなんだとはっきり確信した。

 だから、発表会に誘った。
 焦れったかったからだ。

 また組みたいと思っている。
 それなら、さっさと行動に移せばいいのにと思う。

 何故、今の時期なのかは分からない。
 彼女の両親の事故から5年。葬式にも来なかった。

 それなのに、いきなり帰って来た。そして芹歌と組みたがっている。
 彼女を求めて帰国したのは明らかだ。

「結局あいつはさ。不器用なんだよ。そして、素直じゃない。天の邪鬼だ。認めたくないんだよ。自分の芹歌ちゃんへの想いを」

 久美子には分からない。
 言われても、まだ、真田が芹歌を好きだと思えない。

 ただ、楽屋に来なくてガッカリしてたとか、わざわざピアノの発表会までやって来た事とか、学内コンサートの伴奏に選んだとか、そういう事から考えれば、全否定はできない。

「だけど、だからと言って、芹歌の身代わりって、どういう意味?それが一番分からないんだけど」

 そうだ。
 目の前に好きな女がいるのに、別の女を漁るなんて、理解の埒外だ。

「一度だけ、在学中に聞いた事があるんだ。芹歌ちゃんとの演奏は、異常な程に興奮する、って言ってるのを。音を奏でながらセックスしてるような高揚感があるってね。だから、彼女との演奏が良かった時ほど、高まった欲情を吐き出さずにはいられなくなる、って」

「やだ、そんなのって……」

「幸也が言ってる事、僕にも少しは分かるんだ。僕も芹歌ちゃんに伴奏して貰った時、似たような高揚感を覚えたからね。あの子の伴奏で演奏すると気持ち良くなるんだよ。だから幸也は、彼女が他のヤツの伴奏をするのを嫌がったんだ。間違いでも起きたら困るから」

「ま、間違いって……」

「彼女を寝取られたくなかったんだよ。他の男といい仲になられるのが嫌だったんだ。名パートナーを失うって理由だけじゃなくてね」

「そ、それで、どうして、他の女を?」

「そそ。そこが幸也のおかしな所。多分、恋愛感情を二人の中に持ち込みたく無かったんじゃ
ないのかな。それが無い現状の方がいいと思ったんだ。演奏家としてね。でも、男としての欲情は抑えがたい」

 純哉は一旦言葉を止めた後、少し遠い目をしながら話を続けた。

「だからと言ってさ。芹歌ちゃんを相手にする訳にはいかない。あいつにとっての芹歌ちゃんは、最後の聖域みたいなものだな。だから、彼女を抱きたい気持ちを余所の女で吐き出してた。今回だってさぁ。芹歌ちゃんと組む事が決まって、練習し始めるようになってから途端だよ。まぁ、それが始まったって事は、芹歌ちゃんといい具合にコラボできてるって事の証しなんだろうけど」

 最後は楽しそうに笑っている。
 それにしても、な話だ。

「あ、あたし……、初めて真田さんに食事に誘われた時、芹歌は一緒じゃないのか聞いたのよ。そしたら、練習後は顔も見たくないって言われて、ビックリしたんだけど……」

「はは、そうだったんだ。もう十分、音楽でエッチしちゃったから、これ以上見てると本当に抱きかねないって危惧してたんだろうな。そんな事をして、彼女の特技に変な影響でも与えてしまったら、お互いの為にもならないって思ったんだろうね」

「そ、それは、最終的には、やっぱり音楽を尊重してるから、なの?音楽の為に、世俗的な感情からは距離を置くって、そういう事なのかな」

「久美ちゃん、上手い事を言うね。多分ね、幸也自身は、そう思っているかもね。って言うか、自分自身にそう理由づけしてるって感じかな。でも、どうなのかな。僕はそんなの、いつまでも続かないんじゃないかって思ってる。幸也も芹歌ちゃんも、二人して自分の感情を押さえこんでる気がするよ。互いに解放して、本当に繋がった時にこそ、二人の本領が発揮されるんじゃないかな。僕はそう思ってるんだ。で、その時期が来てるのかなって。ずっと先送りしてきたものが限界にきて、だから幸也は戻って来たんだ。どうにかしたくて。だから、また同じ事を繰り返していたら、どうにもできないんだ」

「芹歌は……。芹歌は、どう思ってるんだろう」

「それは僕には分からない。芹歌ちゃんの気持ちまでは。でも僕は、あの二人は愛し合ってるんじゃないのかなって思ってるけどね。希望的観測かな……?」

 久美子はなんだか悲しくなってきた。
 自分の想いはどうでもいい。割り切っていたのだから。

 だが、純哉の言う通りならば、真田も芹歌も哀れに思える。
 何より音楽が好きな二人だからなのかもしれない。
 そんな風でしか繋がれないのも。
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