第57話
文字数 2,789文字
「レッスン、今週で終わりなんですよね?なんか、つまらないと言うか、寂しいなぁ」
クリスマスの前の週を、その年最後のレッスンとしている。
「神永君の仕事は、いつからお休みなの?」
「えーっと、28日の日曜日からですね。でもクリスマスイヴの日は水曜日だからお休みですよ?」
何かを期待しているような目だ。
「ねぇ、芹歌。ゆう君、冬休みの間、うちへ来て貰ったらどうかしら?」
何となく言いそうな予想はしていた。
「え?いいんですか?」
神永は嬉しそうな顔だ。
「だって、ゆう君、一人ぼっちでしょ?私たちだって、どこへ行く訳でもないし。世間じゃぁ、年末年始のお休みは楽しいのでしょうけど、我が家にとってはいつも退屈なのよ。お盆の時もそうだけどね」
母の気持ちは分かる。だが芹歌には抵抗を感じる。
一体、来て貰うって言うのは、具体的にはどういう事なのか。
泊まりがけと言うことか、それとも毎日遊びに来て貰う、と言う事なのか。
芹歌が渋い顔をしていると、
実花が「年初めの最初のレッスンはいつからなの?」と訊いてきた。
「神永君の場合だと、13日の水曜日になるかな」
「ええー?じゃぁ、ほぼ1カ月も空いちゃうじゃないの」
確かにそういう事になる。
「やっぱり、ゆう君さえ良ければ、来て貰いましょう?でないと、私、寂し過ぎて病気になっちゃうわ」
「お母さん。そんな事を言ったら、神永君、断れないでしょう」
「だって……」
相当な落ち込みようだ。
まだ神永は来るとも来ないとも言っていないのに。
「あの……、僕は全然、構いませんよ?」
神永は芹歌の様子に気を使うような口ぶりだ。
実花の方は神永の言葉にパッと顔が明るくなった。
「あら本当なの?それなら、田舎の実家に帰省するようなつもりで、いらっしゃいよ。泊まって行くといいわ」
(ああ、やっぱり……)
予想通りのようだった。芹歌にとっては嬉しくない展開だ。
「あ、でも……」
神永は芹歌の顔色を伺っている。
きっと本当は嬉しく思っている事だろう。
「遠慮することないのよ」
実花は芹歌の顔色など眼中になく、神永の腕に縋 るようにしている。
「お母さん。いい加減にしてくれる?幾らなんでも、それは非常識じゃない?」
実花はビックリしたような目を芹歌に向けた。
「あら。いいじゃないの、それくらい」
どうしてこの人は、神永の事となると、こうも非常識になれるのだろう。
物ごとの判断が狂っているとしか思えない。
親戚の子どもでもなければ、婚約者と言う訳でもないのに。
芹歌自身は、余程の事がない限り、例え婚約者であっても家へ泊める気持ちは起こらない。
「お母さん。物ごとにはけじめが大事よ?女二人の家に、若い男性を泊めるなんて、どうかしてると思う。ご近所からだって、どんな悪い噂が立つか知れたことじゃない。私、そんなの嫌だから。仕事にも影響するしね」
実花は反論しようと口を開きかけたが、考え直すように口を噤 んだ。
娘の言う事も尤 もだと思ったのだろう。
「あの、僕、泊まりには来ませんけど、時々遊びには来てもいいですよね?」
困ったような顔が、二人の様子を伺っている。
芹歌は微笑みかけた。
「勿論よ。なんだか、ごめんなさいね。困っちゃったわよね」
「あ、いえ……。さすがに僕も泊まろうとは思って無かったですから。芹歌さんの言う通りだと思いますよ?実花さん」
実花は寂しそうに神永を見た。
「そうよね……。私がどうかしてた。いちいち行ったり来たりするより、その方が楽だろうって思ったのよ」
「まぁ確かにそうですよね。でも、毎日毎日他人が寝泊まりしてるんじゃ、かえって疲れちゃいますよ?お互いにね。親しき仲にも礼儀ありって言うじゃないですか。それに、だらしない姿を見られて、お二人に嫌われでもしたらイヤだし……」
「あら、ゆう君。そんな心配しなくても大丈夫なのに。でも、ゆう君の言う事も一理あるわね。親しき仲にも礼儀ありだわ。でも、気兼ねなく、遊びに来て頂戴。来てくれた方が嬉しいんだから、遠慮しないでね」
「わかりました」
神永はにこやかに返事をした。
帰り際に見送ると、振り返った顔が不機嫌そうで芹歌は驚いた。
「どうしたの?」
「芹歌さんが冷たいので、不機嫌なんです」
「冷たいって……」
冷たくした覚えなどないのに。
母の提案を退けた事に不満なのだろうか?
「僕は、こちらに泊まるのを反対された事に不機嫌なんじゃありません」
芹歌の推理を読むように言った。
じゃぁ、なんなの?
首を傾げる。
「芹歌さんが言った事は、その通りだと思います。家族のように思ってるお二人のこの家に寝泊まりさせて貰えるなんて、凄く嬉しいけど、でも僕はまだ家族なわけじゃないですから、非常識だと思ってますし、断るつもりでいました。そのくらい、僕だって、ちゃんと弁 えてますよ」
「なら、どうして?」
「常識と感情は別です。お母さんの提案に、芹歌さんは最初から迷惑そうな顔をしてました。そんなのは絶対に無理だけど、恋人が泊まるかもって思って、少しは嬉しいような恥ずかしいような、そんな気持ち、微塵も湧いて無い顔だった」
芹歌は、神永の言っている事が今一つよく理解出来ない気がした。
恋人ではあっても他人だ。
母親と二人の家に、他人の男が泊まるなんて、どう考えても迷惑以外の何物でもない。
それが恋人であろうと、婚約者であろうと。
少しは嬉しいような、恥ずかしいような……?その感覚が全く解らない。
でも、そう言ってしまったら、身も蓋 も無いのだろうか。
「あの……。ごめんなさい」
こういう時はひとまず謝っておくのが得策な気がした。
だが神永は納得いかないように、プイと顔を横に背けた。
「僕は……。嬉しいけど、でも駄目なの、って顔をして欲しかった。僕だったら、きっとそうなると思う。だって、それだけ長い時間、一緒にいられるんだから。考えただけで嬉しいじゃないですか。でも常識的に考えれば無理な話しです。だから残念に思うわけで。なのに、芹歌さんは全然違うんですね。そういう感情が少しも湧いて来なかったんですね」
その通りだった。
正直な所、そんな事で責められてもと思う。
「神永君……」
神永は背けていた顔を芹歌に向けた。
「そんな、済まなそうな顔しないで下さい」
言われて余計に困惑する。じゃぁ、どうしたら良いのだ。
「僕、冬休み中は、頻繁に遊びに来ますよ?」
芹歌は頷いた。
「毎日、来ちゃうかもしれないですよ?」
再び頷く。
「お正月とか、お屠蘇 を飲み過ぎて、グデングデンに酔っ払っちゃったら、帰れなくなるかもしれないですよ?そうなったら、泊めてもらえますか?」
これ以上無いと言うくらいの、真剣な目をしているが、言っている事が何故か笑える。
「そうなったらね」
笑いながら答えた。
「その言葉、忘れないで下さいよ」
神永は顔を近づけて芹歌の口を塞 いだ。
クリスマスの前の週を、その年最後のレッスンとしている。
「神永君の仕事は、いつからお休みなの?」
「えーっと、28日の日曜日からですね。でもクリスマスイヴの日は水曜日だからお休みですよ?」
何かを期待しているような目だ。
「ねぇ、芹歌。ゆう君、冬休みの間、うちへ来て貰ったらどうかしら?」
何となく言いそうな予想はしていた。
「え?いいんですか?」
神永は嬉しそうな顔だ。
「だって、ゆう君、一人ぼっちでしょ?私たちだって、どこへ行く訳でもないし。世間じゃぁ、年末年始のお休みは楽しいのでしょうけど、我が家にとってはいつも退屈なのよ。お盆の時もそうだけどね」
母の気持ちは分かる。だが芹歌には抵抗を感じる。
一体、来て貰うって言うのは、具体的にはどういう事なのか。
泊まりがけと言うことか、それとも毎日遊びに来て貰う、と言う事なのか。
芹歌が渋い顔をしていると、
実花が「年初めの最初のレッスンはいつからなの?」と訊いてきた。
「神永君の場合だと、13日の水曜日になるかな」
「ええー?じゃぁ、ほぼ1カ月も空いちゃうじゃないの」
確かにそういう事になる。
「やっぱり、ゆう君さえ良ければ、来て貰いましょう?でないと、私、寂し過ぎて病気になっちゃうわ」
「お母さん。そんな事を言ったら、神永君、断れないでしょう」
「だって……」
相当な落ち込みようだ。
まだ神永は来るとも来ないとも言っていないのに。
「あの……、僕は全然、構いませんよ?」
神永は芹歌の様子に気を使うような口ぶりだ。
実花の方は神永の言葉にパッと顔が明るくなった。
「あら本当なの?それなら、田舎の実家に帰省するようなつもりで、いらっしゃいよ。泊まって行くといいわ」
(ああ、やっぱり……)
予想通りのようだった。芹歌にとっては嬉しくない展開だ。
「あ、でも……」
神永は芹歌の顔色を伺っている。
きっと本当は嬉しく思っている事だろう。
「遠慮することないのよ」
実花は芹歌の顔色など眼中になく、神永の腕に
「お母さん。いい加減にしてくれる?幾らなんでも、それは非常識じゃない?」
実花はビックリしたような目を芹歌に向けた。
「あら。いいじゃないの、それくらい」
どうしてこの人は、神永の事となると、こうも非常識になれるのだろう。
物ごとの判断が狂っているとしか思えない。
親戚の子どもでもなければ、婚約者と言う訳でもないのに。
芹歌自身は、余程の事がない限り、例え婚約者であっても家へ泊める気持ちは起こらない。
「お母さん。物ごとにはけじめが大事よ?女二人の家に、若い男性を泊めるなんて、どうかしてると思う。ご近所からだって、どんな悪い噂が立つか知れたことじゃない。私、そんなの嫌だから。仕事にも影響するしね」
実花は反論しようと口を開きかけたが、考え直すように口を
娘の言う事も
「あの、僕、泊まりには来ませんけど、時々遊びには来てもいいですよね?」
困ったような顔が、二人の様子を伺っている。
芹歌は微笑みかけた。
「勿論よ。なんだか、ごめんなさいね。困っちゃったわよね」
「あ、いえ……。さすがに僕も泊まろうとは思って無かったですから。芹歌さんの言う通りだと思いますよ?実花さん」
実花は寂しそうに神永を見た。
「そうよね……。私がどうかしてた。いちいち行ったり来たりするより、その方が楽だろうって思ったのよ」
「まぁ確かにそうですよね。でも、毎日毎日他人が寝泊まりしてるんじゃ、かえって疲れちゃいますよ?お互いにね。親しき仲にも礼儀ありって言うじゃないですか。それに、だらしない姿を見られて、お二人に嫌われでもしたらイヤだし……」
「あら、ゆう君。そんな心配しなくても大丈夫なのに。でも、ゆう君の言う事も一理あるわね。親しき仲にも礼儀ありだわ。でも、気兼ねなく、遊びに来て頂戴。来てくれた方が嬉しいんだから、遠慮しないでね」
「わかりました」
神永はにこやかに返事をした。
帰り際に見送ると、振り返った顔が不機嫌そうで芹歌は驚いた。
「どうしたの?」
「芹歌さんが冷たいので、不機嫌なんです」
「冷たいって……」
冷たくした覚えなどないのに。
母の提案を退けた事に不満なのだろうか?
「僕は、こちらに泊まるのを反対された事に不機嫌なんじゃありません」
芹歌の推理を読むように言った。
じゃぁ、なんなの?
首を傾げる。
「芹歌さんが言った事は、その通りだと思います。家族のように思ってるお二人のこの家に寝泊まりさせて貰えるなんて、凄く嬉しいけど、でも僕はまだ家族なわけじゃないですから、非常識だと思ってますし、断るつもりでいました。そのくらい、僕だって、ちゃんと
「なら、どうして?」
「常識と感情は別です。お母さんの提案に、芹歌さんは最初から迷惑そうな顔をしてました。そんなのは絶対に無理だけど、恋人が泊まるかもって思って、少しは嬉しいような恥ずかしいような、そんな気持ち、微塵も湧いて無い顔だった」
芹歌は、神永の言っている事が今一つよく理解出来ない気がした。
恋人ではあっても他人だ。
母親と二人の家に、他人の男が泊まるなんて、どう考えても迷惑以外の何物でもない。
それが恋人であろうと、婚約者であろうと。
少しは嬉しいような、恥ずかしいような……?その感覚が全く解らない。
でも、そう言ってしまったら、身も
「あの……。ごめんなさい」
こういう時はひとまず謝っておくのが得策な気がした。
だが神永は納得いかないように、プイと顔を横に背けた。
「僕は……。嬉しいけど、でも駄目なの、って顔をして欲しかった。僕だったら、きっとそうなると思う。だって、それだけ長い時間、一緒にいられるんだから。考えただけで嬉しいじゃないですか。でも常識的に考えれば無理な話しです。だから残念に思うわけで。なのに、芹歌さんは全然違うんですね。そういう感情が少しも湧いて来なかったんですね」
その通りだった。
正直な所、そんな事で責められてもと思う。
「神永君……」
神永は背けていた顔を芹歌に向けた。
「そんな、済まなそうな顔しないで下さい」
言われて余計に困惑する。じゃぁ、どうしたら良いのだ。
「僕、冬休み中は、頻繁に遊びに来ますよ?」
芹歌は頷いた。
「毎日、来ちゃうかもしれないですよ?」
再び頷く。
「お正月とか、お
これ以上無いと言うくらいの、真剣な目をしているが、言っている事が何故か笑える。
「そうなったらね」
笑いながら答えた。
「その言葉、忘れないで下さいよ」
神永は顔を近づけて芹歌の口を