第27話

文字数 3,932文字

 発表会を無事に終えられてホッとしたのも束の間、次は合唱団の秋の合唱祭とクリスマスコンサートへ向けての練習が待っていた。

 イベントが近くなると練習日が増える。
 この時期はリサイタルも多い為、伴奏の依頼も多く、てんやわんやだ。

 発表会直後の火曜日、練習時間前の打合せに行くと、既に来ていた山口と理事長の雰囲気が良くない様子だ。
 理事長は口をへの字に曲げて仏頂面で腕を組み、山口は眉間に鋭い縦皺を立てている。

「あの……、こんにちは……」

 思わず消え入りそうな声になった。

「ああ、浅葱さん。良かった」

 理事長が笑顔になったので少しホッとしたが、この険悪そうな雰囲気は何なのか?
 何かトラブルでも発生したのかと思うと気が重くなる。

 芹歌はひとまず席に座ったが、山口が眼鏡越しにギロリと睨むような目を向けて来て不審に思う。

(私、何かいけない事でもしたのかな?)

 心当たりは無い。
 無いが、知らないうちに他人を傷つけていると言う事なら誰にでもあるだろう。

「浅葱さん、実はね。今度の合唱祭で歌う曲について、山口さんから話を聞いてたんだけど、2曲のうちの1曲を山口さんの曲でやりたいって言うんだよ」

「はい?」

(山口さんの曲?なにそれ)

 意味がよく分からない。
 そんな曲、どこにあるんだ。聞いた事も無い。

「あの……、おっしゃってる事がよく分からないんですけど……」

「だよねぇ?私だって分からない。1曲は、これまで練習してきた『モルダウ』で、これはまぁ当然だけど、もう1曲を何にするかって話しでさ。山口さんは、自分の作った曲をやりたいって言い出してね。全くもってビックリだよ。訳が分からない」

 理事長は口を曲げて腕を組み直した。

「こちらこそ、どうして私の曲じゃ駄目なのか、訳が分かりませんね」

 感情を押し殺したような低い声だった。
 眉間の縦皺は彫ったようにクッキリしている。

「君は何を言ってるんだね。決まってるじゃないか。素人の曲なんてやれる訳がない。常識じゃないかね」

「素人とは失礼です。僕は音楽教師ですよ?大学でも、ちゃんと作曲法を学んでますし、実際に何曲も作っています。CDだって出してますし」

 はっはっは、と大声で理事長は笑った。

「CDって、君。それは自主制作だろう。いくら作曲法を学んで曲を作っていようが、いわゆる、メジャーデビューしてなきゃプロなんて言えない。それに、例えプロの作品であっても、あまりにもマイナー過ぎて誰も知らないような曲をやっても意味が無い」

 理事長の言う事は尤もだ。ただし、最後の言葉には納得しきれないが。
 有名ではなくとも、良い曲は沢山ある。

 有名でないからと言ってやらないと決めつけるのも、どうかと思う。
 そういう曲を世間に知らせていく事にも価値はあると思うし、良い曲なら聴衆も納得する筈だ。

「浅葱さんは、どう思われますか。やっぱり反対ですよね」

 理事長に訊かれて、心の中では『はい』と即答していたが、実際にそれは口には出せなかった。
 何と言っても、一緒に仕事をしている身であるので、無下に山口を(おとし)めるようなことになる台詞(せりふ)を簡単には言えない。

 これまで、山口に対する不満は数々あったが、それを理事長や関係者に言った事は無かった。
 言えるものなら言いたかったが、言ったところで最終的に山口から悪者にされるのがオチだと思うからだ。

 伴奏の仕事も、相性の良い相手と組めれば、これほど楽しい事は無いが、そうでない相手とはストレスがとても溜まる。

「あの、山口さんは、どうしてご自分の曲をやりたいんでしょうか」

 いきなり異を唱えるのは無理なので、まずは理由を問うてみた。
 実際、どうして?と思う。
 山口は、少し眉間の皺を(ゆる)めた。

「まず、1曲目がクラシックなので2曲目は現代音楽が良いと思うんです。去年までは、2曲ともクラシックでしたよね。いつも同じ感じじゃ、つまらない」

 山口は眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げた。
 レンズ越しの目がギョロリとして、魚眼を連想させる。

「それから、現代音楽をやるなら、自分の曲をやってみたい。これは確かに自分の我がままかもしれません。が、最近の現代音楽は分かりにくい。曲を解釈するのに時間がかかるし、それを団員達に伝えるのも難しい。その点、自分の作品なら、自分で良く分かってる。完成図が既にあるんですから、それに近づける為に指導すれば良い訳です。しかも、今回やりたいと思ってる曲は
自信作でもあるんですよ」

 最後は笑顔に変わっている。
 自慢げで嬉しそうだ。相当自信があるのだろう。

「大体理事長は、僕の持ってきた楽譜を見もせず、用意したCDを聞きもせず、どんな曲なのかも知らないままで、僕の作ったものだからと言う事だけで反対してる。いくらなんでも酷くないですか。そう思いますよね?」

 自分に同意を求めて来た山口に、「まぁ、そうですね……」と返す。
 強い眼差しに逆らえないような力がこもっている。

「ほらっ、浅葱さんもこう言ってる。まずは、ちょっと曲を聞いてもらえませんか」

 山口はそう言いながら、カバンの中からCDを取り出した。
 理事長はその様子に、観念したように「わかりました」と頷いた。

 芹歌は山口に渡された楽譜を見た。
 タイトルは『秋の便り』となっている。
 何となく陳腐に感じるのは意地悪か。

 たどたどしいピアノ伴奏が始まった。
 自分で弾いたものだろう。

 譜面の音符通りではなく、コードだけを合わせて大分、端折(はしょ)ってある。
 4小節の前奏の後に曲に入ったが、なんだか変わった曲だった。

 混声三部合唱となっている。
 各パートを重ねて録音してあるが、メロディの移り変わりが不明確だ。

 音の変化の仕方も変わっていて、作曲法の基礎を無視しているとしか思えない音型だ。
 そういう所が現代音楽らしいと言えばそうなのかもしれないが、著しく違和感を覚える。

 曲の終わり方も唐突な感じで、主題が分からないまま不完全燃焼な印象が否めない。

 曲を聞きながら、俯き加減でそっと理事長の方を伺うと、理事長も同じように自分の方を見ていて目が合った。
 3分程度の曲だが、正直苦痛だった。
 喉の奥に何かが引っ掛かっているような、思い出せそうで思い出せないような、そんな気持ち悪さがある。

(これが自信作?)

 信じられない思いだ。
 終わった時、思わずため息が洩れそうになった。

「どうです?ちょっと難しいかとは思いますが、僕が作ったんですから、しっかり指導する自信があります。実際に3部合唱で歌いあげたら、これより遥かに良く感じられると思いますよ」

 理事長が困ったような顔をした。

「いや、君。その……。何て言ったら良いのかな。これはちょっと難し過ぎると言うか、不思議な曲だね。僕には全然分からない。これじゃぁ、聴衆にはもっと分からないんじゃないのかな」

「確かに、曲だけ聞けば難しい印象でしょう。でも歌えば違ってきます。それに、不思議感が良いんですよ。その不思議感が狙いなんです。秋らしいじゃないですか」

(はぁ?)
 さっぱり理解できない。

「秋と言うのは、中途半端な季節です。暑かったのがいきなり涼しくなり、寒くなったかと思うと、また暑かったり。秋の空は気まぐれじゃないですか。そういうアンバランス感が、また秋の魅力でもあるわけです。僕はそれを表現したんですよ」

 なるほど。アンバランスと言えばアンバランスだ。
 それを狙ったとしても、1つの曲としての(まと)まりと言う点では、全くなっていない。

 この曲を合唱でやる意味が分からない。
 こんなに歌い難い歌はないだろう。
 芹歌が黙り込んでいると、理事長が芹歌に意見を求めて来た。

「どうです、浅葱さん。どう思われます?」

 振られても、どう答えたら良いのか分からない。
 適当な言葉が見つからない。

 そもそも芹歌の心は発表会の日から乱れている。
 こんな面倒な事、考えたくも無いのに、と思うばかりだ。

「あの……。よく分かりません。理事長がおっしゃる通り、不思議な曲だなと思います。あと、ちょっと歌い難いかなって……」

 遠慮がちに言うと、山口が怒り調子で返してきた。

「浅葱さん。それは浅葱さんがクラシック畑にどっぷり浸かり過ぎていて、現代音楽への理解が薄いからですよ。大体あなたは、普段から僕の事を馬鹿にしているでしょう。国芸出身って事で僕を見下げてる。一体、自分を何さまだと思ってるんです?たかが伴奏者じゃないですか。脇役は脇役らしく、指揮者に黙って従っていれば良いものを」

 (まく)し立てるように芹歌を罵倒し始めた山口に、芹歌は怒りが湧いてくるのを感じた。

 この人はおかしい。
 この人の言っている事は間違っている。

 伴奏者を馬鹿にするなんて。
 伴奏者の重要さをまるで理解してないし、そもそも音楽家として、同じ音楽家を愚弄(ぐろう)すること自体が間違った事だ。
 怒りで手が震えた。

「山口さん、それは言い過ぎですよ。浅葱さんは、ピアニストとしてよくやってくれてる。前の指揮者だって、彼女を高く評価してたんですよ。私だって、そうだ」

「はは……、だから思いあがってるんですよ。前の指揮者はクラシックどっぷり派だったから、息も合ったんでしょうが、僕とはどうも相性が悪いようだ。ちっとも僕の音楽を理解してくれない。国芸なんでしょう?もっと分かってくれても良さそうなのに。所詮、伴奏しかできないピアニストだからじゃないんですか?」

 山口の(あざけ)るような顔を見て、芹歌はもう我慢が出来なくなった。

「山口さんがそこまでおっしゃるなら、私はもうご一緒できませんから、辞めさせてもらいますので」

「ちょ、ちょっと浅葱さんっ」

 理事長の声を無視して、芹歌は荷物を持って部屋を飛び出した。
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