第40話

文字数 2,573文字

 突き抜けている。彼だけでなく、両親も婚約者も。
 こんな人を好きになったら、女はたまらなく辛くなるだろうな、と思う。

「純哉くん……、本気で誰かを好きになった事、ないでしょ?」

 久美子の問いかけに、フフンと笑った。

「君だって、無いくせに」

 その通りだ。だが、この先も無いとは限らない。
 その時に、この男はどうするのだろう。

「そう言えば……」
 久美子は話題を変えた。

「さっきの芹歌との話し。真田さんの事だけど、私、二人の会話が全然理解できなかったんだけど、どういう事なの?」

「理解できないって、どの辺が?」

 純哉はソファの上で大きく伸びをした。

「真田さん、一体どうしちゃったって言うの?どこか悪いとか?」

「う~ん……」
 片倉は考え込むように腕を組んだ。

「知ってるんでしょ?芹歌も」
「久美ちゃん、それは誤解だよ。僕も芹歌ちゃんも、知らないんだ」
「え?でもだって……」

「幸也から、何も聞かされてない。だから、知らないんだよ。ただ、何かあったようだと僕は察してるし、芹歌ちゃんも察したんだ」

「純哉くんは、親友だし、察するっていうのは分かるけど、芹歌まで何で?元パートナーだったから?それとも、スケジュールが入って無いみたいだったから?」

 なんだか、モヤモヤする。自分だけが知らない事が。

「それから、須山さんって誰なの?」

 純哉は愉快そうな笑顔を見せた。

「須山さん、知らないの?君達の同期だよ?教養学部だけど」
「え?嘘っ、知らない、そんな人……」

 初めて聞く名前だった。

「卒業後にさ。大学の職員として就職したんだよ。今度の学内コンサートの担当になったらしいよ」

「その人と、真田さんが?」

「そうなんだよねー。大学職員だからさ。幸也、今月から授業を1コマ担当してるじゃない。だから何かと接触がある上に、学内コンサートの件でやりとりが多くなったからなのか、いつの間にか、始まってた」

「綺麗な人なの?」

「まぁ、綺麗な方かな。でも、どこにでもいそうなタイプだよ?」

「他の女の人達、とも言ってたわね」

「うん。あとね、僕たちと同期で幸也と同じバイオリンの、大田さん?彼女、大学院まで進んで今、研究生なんだよね」

「ええ?あの、大田君子さん?」

 久美子は驚いた。
 真田と同期のバイオリニストだが、在学中から地味で目立たなかった。
 大学院まで進んだ事で、少しだけ名前が売れた程度だ。

「ビックリでしょう。幸也が在学中は、同じバイオリン科にいながら、殆ど接触が無かったもんね」

「その人がどうして?凄い、地味な人だったような……」

 あの真田が相手にするようなタイプだとは思えないし、大田自身だって、真田のようなタイプよりも、もっと堅実そうな男を対象にしているように思える。

「あの人ね、凄い変わったよ。大学教師になるつもりで残ってるらしいけどさ。もう僕たちと同じ三十路だもんね。小奇麗に化粧して、色っぽくなってる。今研究生だけど、来年度から助手として国芸に就職するらしい。でもって、客員助教になる幸也の助手兼秘書役もやるんだってさ。だから、今から予行演習?のつもりなのかな。幸也の手伝いをしてるよ」

「それがきっかけで、関係ができたって事なの?」
「そうみたい」

 何だか驚きだ。
 帰って来て、まだ3カ月余りだって言うのに、もうこれなのか。

「だけど、二人とも学内の人じゃない。お互いに知ってる身でしょ。大丈夫なの?」

「ま、表面上はね。内面の事は、知らないよ?だけど、学内の人間だからこそ、幸也の性癖は十分知ってる筈。芹歌ちゃんだって、いつもの事だって笑ってたじゃない。あの二人も、そう割り切るしかないでしょう。そもそも、“彼女”なわけじゃないんだし」

「それはそうだけど……」

 在学中も、真田の女遊びの派手さは有名だった。
 特にコンクール前の1年間、つまりは芹歌と組んで間もない頃からだが、その頃はピークと言えたかもしれない。

 練習で疲れきっている筈なのに、女を漁る。

 そんな状況だったから、芹歌と恋仲なのではないかとの噂が起きても、噂の種が育つことは無かったのだ。
 芹歌が自分以外の人間の伴奏をする事を、烈火の如く怒って嫌がるのは、単に独占欲が強いだけだろうと。

「もしかして、妬いてる?」

 純哉が横目で伺うように見ている。

「アタシが?なんで?」
「だって、あいつが帰国して、真っ先に寝たのは久美ちゃんじゃない」

 久美子は口に付けたワインを思わず吹きそうになった。

「や、やめてよ。そんなの、関係ないじゃない。芹歌が言うように、いつもの事でしょう」

「そうだけどさ。在学中だって、色々と女は絶えなかったけど、その中でも、一番多く関係してたのは久美ちゃんじゃないの?」

 ワイングラスを置いて、久美子は純哉を見つめた。

「純哉くんこそ、妬いてるんじゃないの?」

「僕が?まさか!って、言いたい所だけど、少しは妬いてるかもね」
「また、ご冗談を」

 この人のこの手のセリフは、あまり信用できない。

「私も芹歌も2級下だから、その前の事は知らないわけなんだけど、真田さんって、入学した時から、ずっと女遊び、多かったの?」

「そうだね。モテたからね。早くから有名人だったから、何もしなくても寄ってくるし。ただ、練習時間がハンパないからさ。あまり遊んでる時間も無いんだよね。暇なんて無いわけだから。それでもほら。男だから。休み時間にさ。その辺でさ。やっちゃったりしてたよ、あいつは」

 純哉の顔がニヤけている。
 
「えー?何それ。その辺って、まさか学内で、って事?」

「そー。学内で。レッスン室もあるし、トイレとかでも。茂みの中もあったね。別の友人が見張りをさせられてたりした」

 久美子は驚愕で目が丸くなった。二の句がつげない。
 よく、そんな相手をするものだ。

 自分なら相手が真田でも、そんなのは嫌だ。
 ホテルで良かったと今更ながらに思う。

「なんかちょっと、ガッカリかも……」
「あはは、そう?久美ちゃんクラスでも、そういうのは嫌なんだ」

「ちょっと~、何?久美ちゃんクラスって、どんなクラス?」
「好きもの……」

 妖しい目を向けて来る。

「もうっ!私、野外は嫌」
「それはそれは残念だ。野外もね。楽しいものだよ、刺激が多くて。開放的だし」
「じゅ、純哉くんも、そんな事してたの?」

 思わず目を剥いた。
 純哉はニッと笑って、「勿論」と答えた。
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