第4話
文字数 1,491文字
「浅葱さんも御苦労でしょうけど、私たちも同じですよ」
練習の合間の休憩中に、団員の何人かがピアノの回りに集まって口々に囁 いた。
山口が就任して間もない頃は、団員の戸惑いはかなりのものだった。
前任者とまるで違うやり方に戸惑うのも当然だ。
しかも、それまでの指導でそれなりの音楽性を養ってきたので、山口の指導を疑問に思う者が多いのも頷ける。
当たり前のように指揮者と団員の間に軋轢 が生まれた。
どうしてもやっていけないと判断した団員達が何人も辞めていった。
だが、諸事情で辞められない人間は我慢しながら続けている。
欠員を埋めるように新たに入団した団員達は、山口の指導に特に疑問を持つ事も無く、言われた通りに歌っている。
「あの人の曲の解釈に共感できる事って、殆 どないですよね。こう言っちゃ悪いけど」
団員達は休憩になると、こうやってヒソヒソと山口への不満を語り合っている。
ピアノの回りに集まってくるのは、芹歌も仲間だと思っているからだろう。
だが芹歌は、ただ聞いているだけで、決して同調して口に出したりはしない。
何故なら、弾く事が仕事だからだ。
弾く事が好きな芹歌にとって、伴奏の仕事は辞められない。
収入の問題もあるが、何より弾く事が好きなのだ。
演奏家にならないのなら、伴奏者しかないだろう。
元々留学の話しが立ち消えた段階で、ちょうどオペラ団体の専属ピアニストの話しがあり、そこへの就職が決まりかけていたのだが、家庭の事情で辞退したのだった。
返す返すも残念な事だった。
「芹歌さん。大丈夫ですか?」
団員達がひとしきり吐き出して芹歌の元を去った後、心配そうな顔が覗きこんで来た。
「神永君……」
色白で優しげな顔立ちをした青年だ。
山口との諍 いで去って行った団員達の後に入って来た新団員の一人だ。
「疲れた顔、してますよ。まぁ、ここへ来たら、いつもの事なんでしょうけど」
苦笑いが浮かんでいる。
「山口先生も、団員さん達も、みんな勝手だな。芹歌さんが一番貧乏くじ引いてる気がする」
周囲に気兼ねしているのか、小声だ。
昔はみんな和気あいあいとしていたのに、山口が来て以来、なんとなく殺伐としてきた印象を受ける。
歌う事が好きで、楽しくて、それで皆集まって来ていると言うのに、指導者のせいでそれを阻害されている。
本来なら、皆が楽しんで歌えるようにするのが仕事なのだろうに。
「大丈夫。いつもの事だしね。一応、割り切ってるし」
芹歌は軽く微笑んだ。
「そうですか。ならいいんですけど、なんかいつもに比べて顔色が良くない気がしたものだから。体調とか、大丈夫ですか?」
「え?大丈夫よ?特に悪いところ、無いと思うけど……」
体調の事を指摘されて、少し驚いた。
特に悪いと自覚していないが、顔色が良くないと言われると逆に気になる。
「無理してるんじゃないかな。自分では気づかないうちに」
懐疑的な顔で芹歌を見ている。
「大丈夫。心配してくれて有難いけど、ほんとにどこも悪くないから」
これ以上心配されたくなくて、芹歌は満面の笑みを浮かべた。
それを見てホッとしたのか、固かった表情が柔らかくなった。
「良かった。じゃぁ、後半の練習も頑張りましょう。よろしくお願いします」
神永悠一郎は、ペコリと軽くお辞儀をして団員達のもとへと戻って行った。
スラリとした肢体が軽やかに遠のいて行く。爽やかさを絵に描いたような青年だ。
素直で明朗で、人懐こさがあるせいか、団員達の人気者だ。
指揮者の山口も神永には態度が柔らかだ。
「では、後半の練習を始めましょう」
山口の声掛けで、なごやかだった空気が一挙に緊張した。
練習の合間の休憩中に、団員の何人かがピアノの回りに集まって口々に
山口が就任して間もない頃は、団員の戸惑いはかなりのものだった。
前任者とまるで違うやり方に戸惑うのも当然だ。
しかも、それまでの指導でそれなりの音楽性を養ってきたので、山口の指導を疑問に思う者が多いのも頷ける。
当たり前のように指揮者と団員の間に
どうしてもやっていけないと判断した団員達が何人も辞めていった。
だが、諸事情で辞められない人間は我慢しながら続けている。
欠員を埋めるように新たに入団した団員達は、山口の指導に特に疑問を持つ事も無く、言われた通りに歌っている。
「あの人の曲の解釈に共感できる事って、
団員達は休憩になると、こうやってヒソヒソと山口への不満を語り合っている。
ピアノの回りに集まってくるのは、芹歌も仲間だと思っているからだろう。
だが芹歌は、ただ聞いているだけで、決して同調して口に出したりはしない。
何故なら、弾く事が仕事だからだ。
弾く事が好きな芹歌にとって、伴奏の仕事は辞められない。
収入の問題もあるが、何より弾く事が好きなのだ。
演奏家にならないのなら、伴奏者しかないだろう。
元々留学の話しが立ち消えた段階で、ちょうどオペラ団体の専属ピアニストの話しがあり、そこへの就職が決まりかけていたのだが、家庭の事情で辞退したのだった。
返す返すも残念な事だった。
「芹歌さん。大丈夫ですか?」
団員達がひとしきり吐き出して芹歌の元を去った後、心配そうな顔が覗きこんで来た。
「神永君……」
色白で優しげな顔立ちをした青年だ。
山口との
「疲れた顔、してますよ。まぁ、ここへ来たら、いつもの事なんでしょうけど」
苦笑いが浮かんでいる。
「山口先生も、団員さん達も、みんな勝手だな。芹歌さんが一番貧乏くじ引いてる気がする」
周囲に気兼ねしているのか、小声だ。
昔はみんな和気あいあいとしていたのに、山口が来て以来、なんとなく殺伐としてきた印象を受ける。
歌う事が好きで、楽しくて、それで皆集まって来ていると言うのに、指導者のせいでそれを阻害されている。
本来なら、皆が楽しんで歌えるようにするのが仕事なのだろうに。
「大丈夫。いつもの事だしね。一応、割り切ってるし」
芹歌は軽く微笑んだ。
「そうですか。ならいいんですけど、なんかいつもに比べて顔色が良くない気がしたものだから。体調とか、大丈夫ですか?」
「え?大丈夫よ?特に悪いところ、無いと思うけど……」
体調の事を指摘されて、少し驚いた。
特に悪いと自覚していないが、顔色が良くないと言われると逆に気になる。
「無理してるんじゃないかな。自分では気づかないうちに」
懐疑的な顔で芹歌を見ている。
「大丈夫。心配してくれて有難いけど、ほんとにどこも悪くないから」
これ以上心配されたくなくて、芹歌は満面の笑みを浮かべた。
それを見てホッとしたのか、固かった表情が柔らかくなった。
「良かった。じゃぁ、後半の練習も頑張りましょう。よろしくお願いします」
神永悠一郎は、ペコリと軽くお辞儀をして団員達のもとへと戻って行った。
スラリとした肢体が軽やかに遠のいて行く。爽やかさを絵に描いたような青年だ。
素直で明朗で、人懐こさがあるせいか、団員達の人気者だ。
指揮者の山口も神永には態度が柔らかだ。
「では、後半の練習を始めましょう」
山口の声掛けで、なごやかだった空気が一挙に緊張した。