第16話

文字数 2,549文字

「だけど片倉さん、凄いですね、あんなに回れるって事が。バレエダンサー顔負けじゃないですか?」

 片倉はフフンと笑った。

「純哉はな。子どもの時にバレエを習ってたんだよ。妹と一緒にな」

「ええー?バレエ?男でバレエやってる人、初めて見た!」

 不思議そうな眼差しで、みんなが片倉の頭の上からつま先までを見ている。

(おいおい、珍獣かよ)

 学生たちの様子に真田は呆れかえった。

「バレエ、今はやってませんよ~。過去の話しだから」

「なんで、やめちゃったんですか?」

「あー、笛の方が楽しいから。あとは、女の子を持ちあげられないから、かなぁ~。笛より重いの持ちたく無くて」

「はぁ~、なるほど」

 片倉の会話を傍で聞いていると、全く持って馬鹿馬鹿しく思う。
 周囲は大抵、いつの間にか奴のペースに取り込まれてしまう。

 今もそうだ。常人離れぶりを目の当たりにし、益々崇拝される有り様だ。
 なんせ、このポヨ~とした雰囲気が最後の最後にビシリと厳しい指摘と的確な指導で締めるのだから、さすが片倉と誰もが思う。

「さて、じゃぁ解散~。今僕が言った事、よく肝に銘じてね~。来週までにクリアしておかないと、過酷なバツゲームが待ってるからね~」

「はーい…………。ありがとうございましたぁ」

 学生たちは神妙な面持ちで出て行った。
 片倉の所謂(いわゆる)『バツゲーム』はかなり過酷な事で有名だ。

 彼は自宅で一般の生徒にも教えている。
 教え方は非常に親切丁寧で、発表会などでは既存の楽譜を本人の実力に応じて書き変えてやったりまでする親切さだ。

 その一方で、それなりの実力がある者や音楽を志している者が、与えた課題をしっかりやってこないとサディストか、と思うくらいの罰を与える。
 冷たく突き放す事も(いと)わない。

 一生ついて行きますと思わせる程の熱意と親切さを与えているからなのか、相手は冷たく突き放されると、この世の終わりだと思うくらい絶望するようで、だから「やりなさい」と言われた事は絶対にやらないとならないのだった。

「相変わらずみたいだな」
「え?何が?」
「お前だよ」
「そんな事はない。日々必ず進化している」

 片倉は威張るように胸を張った。

「そういう事じゃないんだけどなぁ。まぁ、いいか」

 男ばかりがズラズラと10人以上もいた部屋が、2人になって広く感じる。
 真田は椅子に座ったままで、片倉は床にペタリと座ってストレッチをやり始めていた。

「幸也さぁ……」
「ん?」
「芹歌ちゃんと、逢った?」

 片倉は両足を広げて前屈運動をしていた。上半身がぺったりと床についている。

「いや……」
「どうして?」
「別に逢う理由も用事も無い」
「なんで?リサイタルの時に気にしてたじゃない。それにチケットも」
「……」

 彼女にチケットが渡るように片倉に頼んだのは真田だった。

 日本でリサイタルをやる度に、芹歌の師である渡良瀬恵子教授に芹歌の分のチケットを手配していた。相手が恩師である以上、断れないに決まっている。
 だが、芹歌は、購入はするものの会場までやって来なかった。
 その席はいつも空席だった。

 だから今回は、別のルートにしてみた。
 純哉と久美子が組むと聞いていたので、好都合だと思った。
 久美子は性格が強くて強引な面がある。学生時代も芹歌はよく久美子に押し切られていた。ついでに共に仲が良かったもう一人の女子、田中沙織も一緒なら来ない訳にはいかないだろう。

 思った通りに事は運んだ。
 芹歌はやってきた。
 それなのに……。

「彼女は……、どうして楽屋まで来なかったんだろう」

 つい、ずっと気になっていた疑問が口をついて出た。

「久美ちゃんも言ってたじゃん。お母さんが待ってるからってさ。早く帰らないと、(うるさ)いらしいよ~」

「お前、なぜ久美子と組んで芹歌と組まなかったんだ?」

 声がきつくなる。

「やだな。芹歌ちゃんは幸也のもんでしょう。それとも、僕が手を出してもいいっての?」

「何言ってるんだ。お前、先に芹歌に声を掛けたんだろう?」

「あれぇ~?僕、そんな事言って無いと思うんだけどな~、誰にも」

 両手で足のつま先を引っ張りながら、能面の小面(こおもて)のような笑みを浮かべている。

「久美子が言ってたよ。『あたしと芹歌が最終候補になって、あたしを選んでくれた』って自慢げにな」

「そうだよ~。その通りだけど」

「俺はそれを聞いてピンと来た。先に芹歌に申し込んだが、断られたから久美子にしたってな」

 片倉は驚いたように目を見開くと、すぐに笑顔になった。

「どうして、そうなるの」
「お前だからだ、純哉」

 片倉は、フッと息をついた。

「全く、叶わないな~、幸也には……」

「伴奏者として優れているのは芹歌だ。しかも、お前ほどの演奏者だったら尚更だろう。あの二人が最終候補として残ったなら、迷わず芹歌を選ぶだろうが。俺に遠慮するとも思えないしな。だから、芹歌を選んだんだ。だが断られた。それを久美子に言ったら彼女のプライドが傷つくからな。お前らしい思いやりだな。あの女はそういう所は馬鹿だから、そのまま受け取って喜んでる」

「ははっ、酷い事言うなぁ、幸也は。久美ちゃんと寝たんだろう?馬鹿呼ばわりは無いんじゃない?」

「本当の事だからな。それに、何も全てが馬鹿だとは言って無い」

「全く……」

 片倉は困ったように顔を(ゆが)めた。

「久美ちゃんの事はともかく、君が言う通り、芹歌ちゃんの方で断ってきたんだよ」

「なぜなんだ?伴奏の仕事をしてるんだろう?相手がお前じゃ俺なら喜んで受ける」

「ありがとう。芹歌ちゃんも喜んでくれたよ。だけどね。今回僕、あちこち回るでしょ?全国を。だから、無理だって言われたんだ。お母さんを置いてはいけないからって」

 膝の上に置いた手に力が入る。思わず拳を握りしめた。

「一体、何なんだ。いつまで、母親に縛られてるんだよ」

「幸也……」

「もう……、5年だぞ。あれから5年も経つって言うのに。いつまで俺を待たせるんだよ、あいつは」

 片倉は、大きく息を吐いた。

「君は困った王子だな。……久美ちゃんの話しから察するに、芹歌ちゃんは幸也を待たせてるなんて思って無い。そもそも、ユキが待ってるなんて思ってないんだからな」

 真田は片倉の言葉に、大きく目を剥いた。

 そんな筈はない。

 そう思う反面、否定できない思いも湧いてくるのだった。


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