第38話

文字数 2,167文字

「芹歌ちゃんが辞めるくらいだから、相当だったんじゃないの?芹歌ちゃん、結構我慢強い方だもんね」

「あれ?先輩、分かるんですか?私の事……」

 純哉の顔がニンマリとした。

「分かるよ、それくらい。一緒に組んでみれば特にね。それに、あの幸也の専属だったんだからさ。我慢強くなきゃ、無理でしょう」

「あ、それは、私も同感。二人のレッスンを見てて、私じゃ絶対無理って昔、思ったもの」

「そうですね。それは言えてる。でも……」

 芹歌は少し遠くを見るような目をした。

「でも、何かな」

「何て言うのかな。あんまり我慢した気がしないって言うか。随分とやり合ったけど、ついていく事しか頭に無かったから」

「ふぅ~ん。だけど、過去形だねぇ。これからはどうなの?また一緒に組むにあたって」

「分かりません。まだ始まったばかりだし。先輩は、学内コンサートの後も一緒に組んで欲しいって言ってくれてるけど、実際問題、どうなるのかは」

「芹歌ちゃんは、望んで無いの?」

 純哉の目が珍しく真面目に見える。

「んー、望んで無い、とは言えませんけど、望んでるのかって問われたら、それもちょっと分からないって言うか……」

 煮え切らない返事だ。

「あたしには理解できないな。芹歌、もっと素直になるべきよ」
「うんうん、僕も同感だな」

 芹歌は二人の顔を交互に見たあと、純哉の方へ視線を向けた。

「片倉先輩……。真田さんは、これからどうするんでしょう?」

「え?」
「何か、聞いてますか?」
「……、あ、いや……」

 純哉は困惑げに芹歌を見た。

「聞いて無い、んですね?」
「うん。聞いて無い……」
「心配になりませんか?」

 純哉はフゥと小さく息を吐いた。

「心配と言えば心配だけど、でも、あいつ自身の問題だからね。自分で解決する問題さ。勿論、相談されれば受けるけど、どうなんだろうなぁ。他人からあれこれ言われるのが嫌いなヤツだし」

「ねぇ、どういう事?一体、何の話をしてるの?」

 久美子には、二人の会話の意図がさっぱり分からない。
 芹歌は口許に薄く笑みを浮かべた。

「真田さん、帰国したけど、今後のスケジュール、あまり入って無いみたいだから」

「ええ?そうなの?」

 久美子は驚いた。
 帰国早々、リサイタルが開かれたし、引っ張りだこなのかと思っていた。

「演奏会は、学内コンサート以外、予定が無いみたいなのよね」

「うそっ……。信じられない」
 唖然とした。

「多分……。暫く休養するんじゃないのかな」

 驚いて純哉を見る。

「休養って……」

「なんかさ。向こうで色々あったんじゃないのかな。言わないけどね。精神的にやられてる感じがする。リハビリの為に戻って来たんだよ、きっと」

 純哉の言葉に、芹歌が口許を固くした。

「この間のリサイタル、素晴らしかったのに。全然、そんな事、感じられないのに」

 純哉は久美子の言葉に微かに笑むと、「君は分かるよね?」と芹歌に言った。
 芹歌はただ黙ったまま薄く笑った。

 一体どういう事なのだろう。益々わからなくなった。

「だからさ。芹歌ちゃん。あいつの傍にいてやって欲しいんだ」

「それは……。真田さんのリハビリに付き合えって事ですか?」

 なんだか二人とも、いつもの二人と違う。
 陽気で能天気な筈の純哉は、凄く真面目で理知的だし、勝気な癖にどこか子どもっぽさが残る芹歌は、まるで先が見通せるような透徹した瞳で落ち着いている。

 しかも二人とも、私の存在をまるで忘れているような雰囲気だ。

「……嫌かい?」
「……わかりません」

 純哉はここで溜息をついた。

「片倉さん……。あの発表会の日、母が言ってましたよね。私を使い捨てにしたって。何て失礼な事を言うんだろうって、あの時は憤ったけど……」

(え?何?あのお母さん、そんな酷い事を言ったの?)

「やっぱりそうだって、思うようになった?」

「いえ。今でもそうは思いません。ただ……、今の状況から考えると、リハビリに付き合わされた後で、それこそ使い捨てにされるんじゃないのかなって」

(なんなの、リハビリって。さっぱり分からない)

 久美子は話しの内容に混乱するばかりだった。

「だから、今後の事は分からないって事なのかな?」
「はい」

 二人とも淡々としている。

「ひとつだけ、芹歌ちゃんに訊きたいんだけど」
「はい。何でしょう?」

「幸也と……須山さんとか、他の女の人達との事、知ってる?」

(え?何それ。他の女の人達?)

「はい」
「気にしてる?」
「いいえ。いつもの事じゃないですか」

 芹歌は笑った。その笑顔は、全く気にしていないように見える。

「ねぇ、本当にどういう事なの?」

 久美子は我慢できなくなった。

「須山って、誰?他の女の人達って?もしかして、また、なの?」

 純哉は久美子の方を見て、笑顔になった。

「そう。またなの。まぁ、僕も人の事は言えないけどねー」

 やっと、愛くるしい、いつもの笑顔が戻った。

「じゃぁ、君の伴奏の仕事にも、文句言い出してるとか……」

「いえ、さすがにそれはありません。学生の時とは訳が違います」

「だよねー。少しだけホッとしたかな」

「ねぇ、どういう事?」

「うん……、まぁね。ほら、どんどん食べようよ。美味しいよ」

 純哉はもう何も無かったかのように、どうでも良いような事を喋りながら、料理を平らげていった。芹歌も同じだ。

 久美子は何だか自分だけが取り残されたような気になった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み