第58話

文字数 3,978文字

 学内コンサートの日がやってきた。
 この日は国芸の一大イベントと言っても差し支えない。

 定期的にやっている学内での課題発表会での結果を元に、出演者が選ばれる。
 真田は在学中は毎年選ばれていたが、最後の年はコンクールの為に出演を辞退した。
 芹歌自身もソロで選ばれた事はないので、ここへ出るのは初めてだ。
 それだけに緊張する。

「お前、一度も選ばれなかったんだってな。何故だ?」

 真田が(いぶか)しげな目を向ける。

「え?だって……。まぁ、それが私の実力なんですよ」

 笑って言ったら、厳しい言葉が返って来た。

「馬鹿な事を言うな。俺の伴奏者が、そんなんじゃ困るぞ」

 真田の体調が回復してきたからなのか、急に以前の俺様な態度が戻って来たようだ。

「お前のソロは腑抜(ふぬ)けている」

 グサリと胸に突き刺さった。

 でも、その通りだと思う。
 一人じゃ駄目なんだ。一人で弾いていると、何だか心許なく感じる。

 怖くて心を解放できない。だが伴奏は違う。
 一人だと、どう弾いていいか分からなくなるが、伴奏なら、相手という指標がある。

 合わせるのは大変ではあるが、相手の意を()めれば、時によっては自分がリードする事もできる。
 盛り立てて共に作り上げる歓びは大きい。
 そう思うから尚更、ソロの時には身が入らない。

 それにしても、いつも以上の人数が集まっていた。
 国芸だけに、学内の人間だけではなく、他大学やプロ、外部の音楽関係者も聴きに来る。

 だが今日は、一般人も多く来ているようだ。
 多分、真田が目的に違いない。朝から整理券が配られていた。

 真田達の出番は一番最後なので、午後3時頃だ。
 芹歌は学内で軽く食事を済ませてからリハーサル室へ入った。真田は既に詰めている。

「芹歌……」
 声の方を見ると久美子だった。

「あ、久美子……。来てたの?でもどうしてここに?」

 出演者ではない筈だ。

「俺が呼んだんだ」
「先輩が?」
「リハの感想を聴きたくてな。もうすぐ純哉も来る筈だ」

 芹歌は驚いた。リハーサルに他人を呼ぶなんて初めてだ。
 神経質な人だから、普段の練習ならともかく、ゲネプロ以外では、リハーサルでは他人を入れない。
 あれこれ口を挟まれたらテンションに影響してくるからだ。

「ついでに、リハが終わったら久美子に着替えとメイクを手伝ってもらえ」

「ええ?どうしてですか?一人でできますよ。いつもそうだし」

 真田がニヤリと笑った。

「いつもはそうでも、今日は言われた通りにしてくれないかな。お姫様」
「はぁ?」

(お姫様ってぇ?何言ってるの?)

 可笑しそうな笑みを浮かべているのが訝しい。
 久美子を見たら、こちらも楽しそうに笑っている。

「まぁ、いいじゃないの。たまには従ってみたら?」

 まるで普段、逆らってばっかりのような言い草だ。

「お前、ダサいんだよ。年に一度の国芸の晴れ舞台なんだぞ。クリスマスも兼ねている。いつものダサい姿で一緒に出られてもな。俺が恥ずかしいんだ。だから美人の久美子に、少しはマシにして貰って来い」

「ひ、酷い……」

 酷過ぎる。
 それが、大事なパートナーに言う言葉か。
 それに、そもそも芹歌は伴奏者だ。ソリストじゃない。地味な装いで当然じゃないか。

「まぁまぁ」
 見かねたように久美子が(なだ)める。

「真田さん、ちょっと言い過ぎですよ~」

 真田はフンッと鼻で(わら)った。

「やぁ、お待たせ~」
 片倉がいつもの調子で入って来た。

「あ、幸也、顔色良さそうじゃん」

 片倉の言葉に、芹歌は今更ながらに気が付いた。

(良かった……)

 安堵する。
 気付かなかったのは、逆に顔色が良かったからだろう。
 口調も内容も、今までの意地悪な真田だ。
 これなら、あまり心配はいらないかもしれない。

「じゃぁ、始めるぞ。いつものように、7割で」

 7割と言うのは、7割の力でと言う事だった。
 大体の感触を掴むだけのリハだ。
 その代り、本番では全力以上を出し切る。

 ここでの感触とは、入る時のタイミングと、全体の流れと雰囲気だ。
 リハで十全にはやらない。そして、残された3割が、実は曲者(くせもの)なのだった。

 最初は真田のバイオリンからだ。
 第一音を聴いた時、冴えてる、と思った。

 ここに来て、急激に良くなってきていると思ったが、さすがに当日は違う。
 この分なら、本番は凄い事になるかもしれない。
 実際、そう思わせるような内容のリハだった。
 1曲目が終わった時、片倉と久美子が思いきり手を叩いた。

「すごい、いい感じだよー。調子が悪かったなんて思えないな」

 片倉の言葉に、真田は僅かに口許を緩めた。

 全曲が終わった時、芹歌は大きな手ごたえを感じた。
 これならいける、そう思った。

 真田が芹歌を見た。これも珍しい。
 リハーサルとは言え、演奏の後、芹歌の顔を見る事はない。
 見るのは舞台で演奏した後で、挨拶の為に手を取る時だけだ。

 満足しながらも、少しだけ厳しさが顔に浮かんでいる。
 芹歌は黙って頷いた。
 真田も同じように頷いた後、視線が()れた。

(まだ、不安要素があるのだろうか?)

 いや、きっと大丈夫だ。大丈夫に決まっている。
 そう信じなければ。

「じゃぁ、支度に入ろう」

 真田は片倉を促してリハーサル室を出て行った。
 その後姿を見送りながら、少しだけ、いつもと様子が違うように感じた。

「どうしたの?」

 怪訝そうに久美子に問われ、「なんでもない」と答えた。
 気のせいなんだと思い直す。

「さあ、私達も楽屋へ行きましょう。支度しなきゃ。女の方が時間が掛るんだし」

 久美子は自分の事のように嬉々とした表情を浮かべている。
 そんな久美子を見て芹歌は首を(ひね)る。

 久美子と一緒に楽屋へ入ると、そこには沙織がいた。

「あ、沙織。どうして?」

「どうしても何も無いじゃない。水臭いなぁ。折角の晴れ舞台に呼んでくれないなんて、
酷いわよー」

 沙織がふくれッ面で芹歌のそばへ来た。

「ごめんなさい。でも、晴れ舞台って、大袈裟(おおげさ)。私は単に伴奏するだけなんだし」

「何言ってるのよ。ただの伴奏じゃないでしょ?あの真田さんの伴奏じゃない。すっごい晴れ舞台じゃないのよ」

「芹歌はね。元々、あの人と一緒にやってたからさ。その延長で考えてるのよね。実際問題、どれだけ大変な事なのか、ちっとも自覚してないのよ」

 久美子が少し非難めいたように言う。

「芹歌って、元々、ズレてるもんね。音楽以外の事に関しては、ニブニブよね」

「はい?ねぇ、二人して、あんまりじゃないの?」

 久美子は笑いながら、
「まぁ、いいから、いいから。さっさと支度しちゃいましょ」と言った。

 全く、くだらない事を喋っていたのはどっちなんだと思いながら、衣装ハンガーを見て驚いた。

「あれぇ?何これ?」

 綺麗な、アクアマリンのような色のドレスが釣り下がっている。
 来た時に下げておいた、自分の伴奏用の濃紺のワンピースが無い。

「ねぇ、私のワンピース知らない?ここに下げておいたのに」

 芹歌が振り返って二人に問いかけると、「それは仕舞っておいたわよ」と久美子が答えた。

「ええー?どうして?どういう事?」

「芹歌さん。今日のコンサートではね。このドレスを着るの」

 久美子が楽しそうな顔をしている。
 唖然としている芹歌を笑うように、沙織が「このドレス、真田さんからのプレゼントなんですってよ」と言った。

 ビックリして、ドレスを凝視した。
 ノースリーブの、胸元が何重ものレース状になっていて、ウエストの辺りで細いリボンで切りかえられている、シンプルなドレスだった。
 エレガントで可愛らしい印象で、色めが綺麗だ。

「さぁ。着替えないと。ほらほら」

 呆然としている芹歌の服を二人で脱がし始め、用意されたドレスをアッと言う間に着せられた。

「わぁ~、ステキ。似合ってるわね。さすが真田さん」

 沙織が感心したように見ている。

「あとは、髪とメイクね。私に任せて」

 久美子は芹歌を鏡の前に座らせて、手早くメイクした。
 髪は緩くコテでウェーブを付けて、シルバーにジルコニアがあしらってある、大きめのヘアピンで前髪を留めた。
 胸元に綺麗なネックレスが付けられる。

「凄い、ステキじゃない!久美子上手いわねぇ」
「ありがとう。でも、褒めるのは私じゃなくて、芹歌にお願い」
「分かってるって。芹歌ちゃーん、すっごい素敵よー」

 本人を余所に、二人で興奮している。
 まるで着せ替え人形相手に喜んでいる女の子達みたいだ。

 芹歌は鏡の中の自分が信じられない。
 別人のようだ。
 ソロで舞台に上がる事が滅多に無いせいか、こんな風に装うのは初めてだ。

「発表会の時だって、ステキなワンピースだけど、ドレスは着ないものね、芹歌は。たまにはいいでしょう、こういうのも。このドレス、見たても真田さんよ。女好きなだけに、センス抜群よね。芹歌にすごく良く似合ってる」

 急に手足が震えて来た。

「あ、あたし……、何か急に緊張してきたかも。どうしよう?恥ずかしいし」

 顔が火照る。

「何言ってるのよー。舞台で緊張したことない癖に」

 久美子が信じられないように言う。

 彼女の言う通りだった。
 舞台で緊張した事はない。

 正確に言えば、無いのは過度の緊張で、好ましい程には緊張しているのだが、芹歌の頭には演奏の事しか無い為、周囲に人がいようがいまいが、あまり関係ない。
 あがると言う事は(ほとん)ど無かった。

 伴奏者と言う事も関係あるかもしれない。
 地味で目立たない姿をしているし、自分一人の舞台じゃない。

 自分はあくまでも脇役だ。
 そう思うから尚更あがらないのに、こんな風に、まるでソリストのような装いになった事で、目立ちたくない気持ちを前面に押し上げてくるように感じて怖くなってきた。

 改めて、装いって大事なんだと思う。

(私は主役じゃないのに)

 泣きそうだ。

「さ。ぐずぐず言って無いで、行きましょう」

 押し出されるようにして、楽屋から出た。
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