第84話

文字数 4,608文字

 真田は芹歌の服を一枚ずつ脱がした。
 白い肌がほんのりと桜色に染まっている。
 その肩先にそっと口づけると、小さな溜息が芹歌の唇からこぼれた。

 そっと胸を触るとさざ波が立つように体が震えた。
 先端にある小さな蕾はバラの蕾のようだ。

 胃潰瘍で入院した時に芹歌が持ってきた、淡いピンクのバラの色に似ていると思った。
 可愛らしくて、愛しい。
 そこに唇を当てると、体が大きく揺れた。

「芹歌……、愛してるよ」
 耳元で囁くと、「わたしも……」と言葉が返って来た。

 最初の時、戸惑いながらも真田を受け入れてくれた。
 その事自体が芹歌なりの愛情表現だったのだと思ったが、その後の二人のすれ違いを思うと、こうして言葉で返ってくるのが嬉しいのだった。

 固かった最初の時と違い、芹歌の躰は敏感に反応した。
 指を這わせただけで、甘い吐息が洩れ、切ない声を上げる。
 まるで楽器が鳴っているようだ。

 その音色が真田の官能を刺激して、二人で演奏している時と同じように高揚してくる。

「芹歌、好きだよ。凄く……可愛いよ。大好きだ」
 耳たぶを噛み、舌で愛撫する。

「ずっと……、お前が好きだった。ずっと、抱きたかったんだ……。だけどお前は、あまりにも純粋過ぎて……」

 真田は首筋に鼻と舌を這わせた。
 芹歌の首から肩にかけてが、たまらなく好きだった。
 学内コンクールで、ノースリーブのドレスを選んだのも、そのラインが見たかったからだ。
 ドレスを着た芹歌を見た時、思わずその肩に口づけしたくなったのだった。

 優しくて純粋で可愛らしい花のような、少女の面影を残した女。
 音楽に対しては深くて鋭くて厳しいくせに、それ以外では鈍くて幼い。

 生意気で頑固で意地っぱりで、(もろ)い。
 面倒くさいヤツだと何度も思うが、それでも愛しさの方が勝るのだ。

 芹歌の悶える様が更に愛しさを加速させる。
 芹歌の腰が震えて来たので、真田は口を外して、ひとつになった。

 真田は芹歌の躰を抱きしめながら、
「好きだよ……。たまらなく好きだ、芹歌が」と、言わずにはいれなかった。

 本当に、たまらなく好きだ。心の底から求めている。
 こうして躰を重ね合わせる事ができて、最高の喜びを感じている。

 真田は芹歌の手を握った。
 その手に口づけると、芹歌の躰がビクンと反応し、中が一層締まった。

(もう、離すまい。この手を二度と……)
 
 固く心に誓った。


 真田の暖かい腕にくるまれて、芹歌は自分がいかにこの人を求めていたのか、改めて知った気がした。
 大晦日の時に、既にわかっていた筈だったのに。
 あの時、この人の手を永遠に離したくないと思った筈なのに、何故、自ら離そうとしてしまったのか。

 いや、離すつもりではなかった。
 結婚に関しては保留にしつつも、演奏家としてはパートナーでい続けるつもりだったのだ。
 それを許さなかったのは真田だ。

 ただ一緒に弾ければそれでいいと思っていた芹歌の甘い考えを、真田が拒否した。
 全てを失いそうになって、初めて心の底から愕然とし、崖から突き落とされるような眩暈を感じた。

 真田が部屋を出て行こうとしてドアを開けた時、大田の声が聞えて来て、過去の事が一瞬の速さで蘇った。
 また、前のように色んな女性を抱くのか、と思うと矢も盾もたまらずに彼の元に駆け寄って、背後から抱きついて「嫌、行かないで」と言っていた。

 必死だった。
 恥も外聞も何も無い。
 まさに心だけで行動していたと思う。

「芹歌……」
 深い声が胸に沁みて、心が温かくなる。

「ごめんな……」
「幸也さん……」

 そっと額に口づけられた。

「元々の原因は、やっぱり俺だな。くだらない事で始まって、更にそれをこじらせてしまった。だけど、少しだけでもいいから、わかってくれないか?俺の想いを……」

 絡めた指先に力が入って軽く握られた。
 もう片方の手は、芹歌の肩を優しく撫でている。
 芹歌は握られた手を握り返した。

「私の方こそ、ごめんなさい……。もう何がなんだかわからなくなってしまって、音楽以外では相性が悪いんだって思うようになってしまって。好きであっても、上手くいかないに違いない、実際にこうして上手くいってないって……。それに……」

 芹歌は逡巡した。

「それに?」
「それに……、幸也さんには、何度も『愛してる』って言われてても、ピンと来ない部分もあって……。だから些細な事で、すぐに疑心暗鬼になってしまうと言うか……」

 ギュッと肩を強く握られた。

「俺の本気度が伝わりきれてないって事なのか……」

 声が少し暗い気がして、芹歌は慌てて謝った。

「ごめんなさいっ、何て言うか、その……、わかってるんだけど、わかりきれてないって言うか。だって、だって。幸也さんは自分の事、わかってないと思う。どれだけ凄い存在なのかって事を。幸也さん自身は自分の事だから、そう思わないのは当然だけど、幸也さん以外の人間にとっては、凄い人なのよ?そんな凄い人に愛されて、嬉しいけど、愛され続けていける自信がないって言うか……」

 上手く言えなくて、段々声が小さくなる。
 真田はフッと小さく笑った。

「お前の言いたい事、何となくだがわかる気はする。だけどさ。なぁ。音楽家って孤独だと思わないか?」

「え?」
 突然何だろうと思うが、言われて考える。

「音楽は、心を限りなく広く豊かにしてくれるよな。だけど、孤独な戦いでもあるだろう?アンサンブルやオケだって、基本の練習は個人個人だ。其々れが技量を磨き、メンタルを鍛えないと成立しない。演奏する事で、周囲と繋がる事はできるし、共に楽しめるが、基本はやっぱり、孤独だ」

 確かにそれはそう思う。

「まぁ、それは何も音楽に限った事ではない。だけど俺は、ずっと天才って(はや)し続けられて、周囲から特別な目で見られてきた。親にさえもね。…俺自身は、確かにバイオリンを人より巧みに扱えるけど、自分を天才だなんて思った事は無い。人より努力していると自負はしている。だからこそ、自信満々なんだ。自信満々になれる程、やってるからね」

 それは、そうだろうと思う。
 学生の時に彼の伴奏になった時、彼が人一倍努力しているのを間近で見て来たのだから。

 天才と言うのは、きっと人より努力できる才能の事を言うのではないか、と思うほどだった。

「だが正直、やればやるほど孤独を感じてた。痛いほどの孤独を味わいながら、何故自分はそうまでして演奏するんだろう?と疑問に思う事もあったよ。だけど、そんな思いを吹き飛ばしてくれたのが、お前なんだよ」

「えっ?」
 芹歌は一瞬、頭の中が空白になったような気がした。
 意味が全く解らなかったからだ。

 頭を起こして、見上げた。
 静かな瞳が芹歌を見降ろしている。その瞳は、凪いだ海のように穏やかに感じられた。

 真田は首をもたげて、そっと芹歌の唇に口づけた。
 そして、芹歌の頭を自分の胸に優しく押し当てて髪を撫でる。

「お前と組み始めた最初から、俺は何か特別な物を感じてた。それが何なのか最初はわからなかったが、続けていくうちにわかってきた。お前とやってると孤独を感じないって事に。それは、他のどんな伴奏者にも感じ無かった事だった」

 真田の意外な告白に、芹歌の胸は震えた。

「共に奏でる喜びが湧いて来て、新しい世界が広がって、音がどんどん豊かになっていくのが楽しくて、ずっと弾いていたいと思わせる。お前が俺の孤独な心に、ずっと寄り添って、理解して盛り立ててくれるのが何より嬉しくて、体中から血が沸き立つように興奮した。もうあの頃から、俺はお前を求めてたんだ」

 真田は芹歌の頭のてっぺんにキスをした。
 芹歌はやるせない程、胸がせつなくなるのを感じた。

「お前じゃ無きゃ、駄目なんだよ。他の誰も変わりにはなれない事を、もう十分、わかりすぎるほど、多くの時間を一人で過ごしてきた。だからもう、これ以上の空白の時間は要らない。芹歌が俺の想いに答えられないのだとしたら、すっぱりと、綺麗さっぱり離れて諦めるしかないって、さっきは思ったんだ。コンクールを直前にして非情過ぎると思いつつもな。だから、引き止めてくれて良かった。心から礼を言うよ。ありがとう」

 胸が熱くなってきた。
 こんな風に心の内を語られて、芹歌はやっと自分の過ちを悟った。

「ごめんなさい……」

 感情が溢れて来るのと同時に、涙がこぼれてきた。

「私、馬鹿だった。あなたを信じて無いわけじゃなくて、自分に自信が無かったから。あなたは本当に素晴らしい人なんだもん。だから、私なんて相応しくないって。一緒に演奏できるだけで幸せだって。それ以上を望むのは贅沢なんだって。でも本当は、望んでたのよ?おこがましい気がして、自分の本心を見ないようにしてたんだと思う。あなたの全てを欲してたのに……」

「芹歌……」
 ギュッと強く抱きしめられた。

 躰が密着し、足が絡んだ。急に躰の奥に疼きが生じて、熱い吐息が口から洩れた。
 その息が、真田の胸の上を滑っていく。
 身体が反転し、芹歌は真田に組み敷かれた。

 黒い瞳が潤んだように輝いている。熱い想いが溢れているように感じた。
 唇が落ちて来て芹歌の口を塞いだ。
 最初から唇を開かれて、貪るように、食べられてしまうような濃厚さで、芹歌の体は震えた。

「愛してる……、芹歌……俺の……」
 低い声が、そう囁いた。

 真田は激しかった。
 体中を吸われ、体中に歯を当てられた。

「芹歌の体は……、瑞々しい桃の実のようだ」
 そう言いながら、体のあちこにかぶりつく。

 芹歌はその度に、軽い痛みと快感で叫び声をあげた。

 激しい営みの後、何度も繰り返し口づけを受け、愛しさが更に募るのだった。
 心が愛に対して全開になっていると感じる。

 こんなにも一人の男性を強く愛しいと思うのは初めてだった。
 愛し、愛される事が、こんなにも喜ばしい事なんだとわかった事が何より嬉しい。

「幸也さん……」
「ん?」

 幸也の唇は、まだ芹歌のあちこちに口づけている。
 身も心も溶けそうに思う。

「こんなに……、幸せって思うの……初めてかも……」
「それは……、俺もだ。俺も、同じだよ……」

 真田の唇が、肩先から背中へ滑り、芹歌は思わず声をあげた。

「いや、くすぐった……」
「フフン、そうか。それは気持ちがいいって事だな?」

 真田が鼻で笑って、背中に唇を這わし始めた。
 滑らかで薄い唇が微かに触れるように這う度に、体中がざわざわして、得も言えぬ快感が波のように襲ってくる。

「芹歌の背中、すごく綺麗だよ。なめらかで気持ちいい……」

 喋る息が更に肌をくすぐる。
 真田が焦らすように、背中を攻め、長い腕が前に回り、草叢の中に指を当てられた時、恥ずかしくて首を振る。

 首まで熱かった。そんな芹歌の耳朶を後ろから噛んで、背後から入って来た時、背中が反った。
 奥の方から忍び寄って来る何かに揺さぶられるように、体が震える。

 自分の中で真田のものが蠢いていて、突き上げられて頭がおかしくなりそうだ。
 躰の震えが激しくなった。

 それは唐突にやってきた。
 躰が大きく揺れた後、フワッと宙に浮かぶような心地がして頭が真っ白になった。
 真田の腕の中で全身の力が抜けて、ぐったりとなる。

「……芹歌……」
 真田は優しく芹歌の体を包み込むように抱いて、頬にそっと口づけた。

「凄く、良かったよ……。俺の、芹歌……。愛してる……」
 芹歌は全てを預けて、たゆたった。
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