第59話

文字数 2,045文字

 舞台袖で待つように言われて、芹歌は久美子と沙織と別れて一人、舞台に向かって歩き出した。
 ドレスの裾が長くて歩きづらい。
 こんな長い裾で、ペダルを踏む時に邪魔にならないだろうか?
 みんな、よく平気だなと思う。
 不安な気持ちで歩いていたら、前から片倉がやってきた。

「あっ」
 驚いたように見ている。

「芹歌ちゃん?驚いた。すっごい綺麗だ。見違えたよ」

 眩しそうに見ているが、なんだかそのセリフ、馬子にも衣装と言われている気がした。

「あの……、真田先輩は?」

「もう、舞台袖にいる。男の方が支度は早いからね。それにしても、ステキだ」

「あ、あんまり、そんな事、言わないで下さい。恥ずかしくて」

 片倉が愉快そうに笑う。

「なんで?女の子なのに、褒められて嬉しくないの?」

 小首を傾げる様が、小悪魔みたいだ。

「う、嬉しくないです。ブスと言われるよりはマシですけど」

「あははっ!やだな、芹歌ちゃん。もう少し、自分に自信を持つといい。こんな事なら、僕が頂いておけば良かったって思うよ」

「はぁ?」

「幸也は、馬鹿で間抜けで愚図(ぐず)だからね」
「あのぉ……?」

 一人で何を言ってるのだろう?

 片倉は、そんな芹歌に
「さぁ、行っといで、幸也の元に。そして、最高の演奏を聴かせて」と、軽く背中を押した。

 あっとっと……と、少し足が絡んで転びそうになりながらも、何とか体制を持ち直して芹歌は歩き出したが、不思議な面もちで後ろを振り返る。

 片倉は、軽く手を上げて去って行く所だった。

 不思議な人だ。
 とても魅力的な人だし、演奏も素晴らしいが、かなり変わっている。

 でも、いい人だとも思う。
 真田がドイツにいる間、何度か一緒に演奏したが、楽しい人だし、何かにつけて気を使ってくれた。

 プレイボーイで有名だし、実際現在、久美子と関係しているようだが、芹歌にはそういう素振りは全く見せた事が無かった。

 内心、誘われたらどうしようと最初は思ったが、全くの杞憂(きゆう)だったようだ。
 大体、久美子のような美人でも無いのに、そんな風に少しでも思った自分が恥ずかしくなったものだった。

 舞台が近づくにつれ、緊張が高まって来た。

(やだ、ほんと、どうしよう?)

「あ、浅葱さん。さぁ、あそこへ。真田さんの隣に行って下さい」

 スタッフに言われた方を見ると、真田が立っていた。
 目を(つむ)ってジッと舞台上の音に耳を澄ませているようだったが、(あわ)ただしい気配に気づいたのか、芹歌の方を見た。

 芹歌はその視線を受けながら、たどたどしい足取りで近づいた。
 真田は近くに寄って来る芹歌を、頭の先から爪の先まで視線を何度も走らせていた。
 その様子に益々芹歌の胸が高鳴る。

(あーん、やだー。そんなに見ないで)

 消え入りたい。
 恥ずかしくて、思わず目をギュッと瞑る。

「待ってたぞ。凄く、綺麗だ。よく似合ってる」

 深い声が真実味を帯びてるように感じて、芹歌の心に響いた。

 目を開くと、優しい笑顔が浮かんでいた。
 胸の鼓動が前より上がった。
 手足が更に震えて来て、顔が火照ってくる。

「あ、やだ……。どうしよう。すごく緊張してきちゃった。こんな格好、初めてなんで、恥ずかしいし……」

 真田が微笑みながら芹歌の手を取った。

(えっ?)

「ほんとに震えてるな。おまけに、手が冷たい」

 真田はゆっくりと芹歌の手を撫でる。

「どうした?こんなに緊張して。お前らしくない」

 柔らかい口調だった。

 芹歌は手を取られたまま、気持ちが一層高ぶってくるのをどうしようもなかった。

「だ、だって。こんな目立つドレス……。初めてで。私、脇役だから、あまり目立ちたくないのに……」

 かろうじて答える。
 真田の手は相変わらず芹歌の手を(さす)っていた。

「言ったろ?いつもダサいって。俺のパートナーなんだから、少しは綺麗になって貰わないとな。大丈夫。終わればまた、いつもの姿だ。シンデレラみたいだな」

 カチンと来た。

「どうしていっつも、そう意地悪なんですか?それが、パートナーに言う言葉?」

「あはは。そうだ。その調子。お前は少し怒った方が、調子がいいよな」

 そう言いながらも、まだ芹歌の手は真田の手の中だった。
 大きな手だ。指も長い。温かくて力強い。
 段々、落ち着いてきた。

 ふと見上げると、真田が芹歌を見つめていた。
 深い優しさが感じられる眼差しだ。

 こんな風にこの人から見つめられているのが、何だか信じられない。
 いつだって、挑むような厳しさと情熱が漂っているのに。

「今日は、思いきりいこう。俺、多分、かなり走っちゃうかもしれない。そんな気分なんだ。でも、お前はお前の調子で俺とやってくれ。練習と大分違う事になるかもしれないが、心の趣くままにやってみたいんだ」

 瞳が(きら)めいている。

 芹歌は頷いた。
 この人を信じてついていく。

 拍手の音と共に、舞台上の出演者が戻って来た。暫くの後、静かになる。

――真田さん、浅葱さん、出番です。

 スタッフの合図が送られた。

「さぁ、行こう」

 手を離して歩き出した真田の後について、舞台へと歩き出した。
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