第65話
文字数 3,662文字
昨日、舞台が終わって楽屋へ戻った時、やってきた片倉に話したのだった。
「大体さ。告白しておいて、なんで一緒に帰らなかったんだよ」
真田は舌うちした。
そもそも、それが拙かったんだ。
「芹歌がなかなか出て来ないからだよ。彼女が出てくるのを、俺は楽屋口で待ってたんだ。そしたら、久美子を始めとして、女達が寄って来て取り囲まれてしまった」
「真田さーん、素晴らしかったですぅ」と、まずは久美子が絡んで来た。
「今までの中で最高のデキでしたね。もう、体中が痺れちゃって」
そう言って、熱い視線を送って来た。
「ああ……」
と、適当に返事をしていたら、須山と大田がやってきて、久美子と同じように目を輝かせながら称賛しだした。
面倒くさい女達だな、と思ってたら、いつの間にか芹歌は外へ出てしまっていた。
気付いたのは、沙織が息せき切って「せ、芹歌がっ」と言いながら入って来た時だ。
「なるほど。だから、襲われてる所に遭遇したって書いてあったんだね」
「お前、新聞を読んだのか」
「うん。ほぼ全部。大手全国紙は、どれもあまり変わらない内容だったけど、スポーツ新聞はさすがに、色々あって面白かったかな」
「お前、何を人の記事で楽しんでるんだよ」
「あはは、いいじゃない。興味あるし、他人の事って」
子どものように無邪気な笑顔だ。
「だけど、勇敢だね。愛する女性の為に、身の危険も顧みず。彼女も凄かったらしいじゃない。途中から久美ちゃんが目撃したらしいけど、彼女から聞いたよ?お互いに、相手をかばいあって怪我を負ったって」
「ああ。それに関しては、芹歌に感謝してる。俺の為に身を呈してくれた」
胸が締め付けられる思いがした。
「そ・れ・で。どうしたらいいのか解らなくなった、ってどういう意味?」
相変わらず能天気な顔をしている片倉を、真田は恨めしげに見た。
こいつなら、こんなに悩まないに違いない。そう思う。
「夕べ、芹歌がこの病室にやってきたんだ」
真田は夕べの一部始終を片倉に話した。
「結局さ。俺って、あいつにとっては男として認識されてなかった、って事だよな?まぁ、彼女の前で平然と、他の女とくっついて抱きに出かけてるんだから、当然と言えば当然なのかもしれないが。焼きもちの欠片 も無いみたいだし」
ガックリした。
音楽家としては、彼女の前に聳 えていたかもしれないが、男としては形無しだ。
「そっか。まぁ、御苦労だったね」
少し冷めた顔が真田を見ている。
「おい、なんだよ、その言い草は」
「だってさ。僕、本気になった事無いからさ。恋に関しては、よく解らないし」
「俺を愛してるんじゃ、無かったのか?」
片倉がプッと吹きだした。
「だからそれは、愛しているけど、恋じゃないって。あー全く、何言わすんだよ、もう」
照れたように髪をかきあげる様が、いやに色っぽく感じた。
「それにしてもさ。君達、不器用だよね。僕が思うに、芹歌ちゃんは、きっとユキが好きだよ。男として。恋だと思うよ」
「な、何を根拠に……」
真田は俄 かには信じられなくて、片倉を真っ直ぐ見つめた。
「んー、まぁ、二人の様子を見て感じた事と、幸也の話しからかな。芹歌ちゃんはさ。ずっと音楽一筋できたから、免疫が全然無いんだよ。だから、鈍いんだ、その手の事は。君もまぁ、似てるけどな」
片倉はポケットからタバコ型の菓子を出して口に咥えた。
「お前、ほんと好きな。いっそ、オシャブリでも咥えてたらどうだ?」
「あはは。そうしたい所だけど、さすがに恥ずかしいもんね」
「そうか。恥じらいがあって良かったよ」
しかねない所があるから、油断できない。
「君は自分の気持ちにやっと気付いたけどさ。芹歌ちゃんの方は、まだみたいだ。でも態度で立派に現してるじゃないか。少なくとも、告白されて迷惑がってる様子は微塵も無いし、困惑している感じもしない。思いがけなくて、少し戸惑ってるだけだ。昨日の演奏後の二人の顔ったらなかった。芹歌ちゃんなんか、もう恍惚としてたぞ。あそこにいるのが二人だけだったなら、間違いなく、君に抱かれてたと思うよ」
片倉がニヤリと笑ったので、真田は気恥ずかしくなって目を逸らせた。
「そうだったら良かったんだけどな。いつもなら他の女を抱くが、昨日は、もう耐えられなくなって、自分の気持ちを舞台の上であるにもかかわらず、告げてしまった。ホントに、あれが舞台上でなかったら、あのまま抱いてたと思う。だから、あの後、一緒に帰って……」
「自分のものにしようって思ったんだね?」
「ああ……」
真田は力なく頷いた。
全く、とんだ誤算だった。
「さっきさ。大学関係者の人たちとすれ違ったんだけど、君が来春、またヨーロッパに戻るかもしれないような事を話してた。小耳に挟んだんだけど、ほんと?」
「……ああ。考えてるところなんだ」
片倉がシガレットチョコをボリボリと噛んで飲み込んだ。
「何、今度は日本から逃げる気?」
厳しい目つきだ。
「まさか。そんなつもりは無いよ」
「でもそれじゃぁ、芹歌ちゃんのお母さんが言ってたのが本当の事になっちゃうじゃない。彼女を使い捨てて一人でまたヨーロッパに行くなんて」
真田はフッと笑った。
あの時は心外だった。そんな事を言われるとは全く思っていなかったから。
だが、あの人の立場から見たら、そう見えるのかもしれない。
「俺は、一人で行くとは言ってない」
「え?どういう事?」
真田は大きく一つ、息をついた。
「芹歌を……、連れて行きたい」
「ええー?」
一瞬だけ目を点のようにさせて、ビックリしたように驚いている。
「ちょ、ちょっと……。僕、良く分からない、言ってる事が。だって君さ。フラれたって思ってるんだよね?それなのに?」
「おかしいか?」
「おかしい」
片倉の間髪いれずに戻って来た言葉に、真田は笑った。
「俺は、逃げることばかり考えてた。だけど、昨日のコンサートの為に芹歌と練習しているうちに、それじゃ駄目なんだと思うようになってきた。で、昨日の演奏が終わった時、彼女と一緒にまたヨーロッパに挑みたいって思ったのさ」
片倉はマジマジと真田の顔を見た。
「なんか、いい顔してる」
「そうか……」
「それなら、何を迷う必要がある?有無をも言えないように、彼女を奪っちゃえ」
「ええ?」
いきなり何を言い出すんだと思う。
「そんな、奪うって……、なんだよ」
片倉は真田を睨むように見ている。
「わかってないね。彼女は今、神永君の彼女なんだよ?でも見た所、まだ少年少女のカップルのような付き合いだ。だから今ならまだ間に合う。強引に奪え」
普段、天使のような風貌の純哉が、悪魔のような顔をして言う。
「元々、彼女は君のものだろう?しょっちゅう、『俺の芹歌』って言ってたじゃないか。君がそう言う度に、彼女がどんな顔をしてたか、知らないんだろう。頬を染めて、恥ずかしそうに、でも満更じゃないって顔をしてるんだぞ。どう考えても、君を男として意識してる証拠だろ」
真田は思い返してみた。
言われてみれば、そんな芹歌を見たような気がする。
その時は、ウブだな、と思うだけだった。
「だけど奪うって何だよ。強引にって、俺、拒絶されたら無理だ。強引なんて……」
「あー、何言ってるんだよ。拒絶なんてされないよ、きっと」
真田は嘆息する。
「そう言うけどな。学内コンサートの為に最初に俺のレッスン室で逢った時、ロスマリンをやったんだよ。久しぶりに。凄い良くて、思わず芹歌の顔を見てしまった。そしたら、凄く艶っぽい顔してて、たまらなくなってキスしちゃったんだ、けど……」
「けど?」
「口づけた瞬間、芹歌は口をギュッと結んで……。ああ失敗したって途端に後悔したよ。次の時には、何も無かったような顔をしてるから、取り敢えずホッとしたけど、はっきり拒絶されでもしたら、俺、再起不能になるかもしれない」
口に出してみると、自分が情けなく思えてくる。
一体、何を考えて日本に戻って来たんだろう。
甘かったとしか思えなくなってきた。
「なんだかなー。だけど、キスなんてしてたんだ。それは全然気付かなかった。それなのに、またいつもの悪い癖が出てしまったんだね。と言うか、芹歌ちゃんに拒否されたと思ったから、って事か」
「そうかもな。あの時、芹歌が受け入れてくれてたら、とっくに抱いてたと思う」
片倉は呆れたように言った。
「僕さ。思うんだけど。君はずっと一緒に演奏しながら、芹歌ちゃんの事が解らな過ぎ。さっきも言ったけど、あの子は全然、そういうの免疫ないんだよ。突然キスされたら、戸惑うのが普通でしょ。思わずガード体制になるもんだよ。だから君は、そこで諦めちゃいけなかったの。わかる?」
片倉の言う事は、半分は解ったが、半分は解らなかった。
彼女に免疫がない事くらいは解っている。
だからこそ、強引にはできなかったんじゃないか。
ただ、あの固く結ばれた唇は、俺を拒否した訳では無かったと言う事なのか?
単に戸惑っただけだと?
そうだとしたら、その後の自分は間違いばかりだったとしか思えなかった。
「大体さ。告白しておいて、なんで一緒に帰らなかったんだよ」
真田は舌うちした。
そもそも、それが拙かったんだ。
「芹歌がなかなか出て来ないからだよ。彼女が出てくるのを、俺は楽屋口で待ってたんだ。そしたら、久美子を始めとして、女達が寄って来て取り囲まれてしまった」
「真田さーん、素晴らしかったですぅ」と、まずは久美子が絡んで来た。
「今までの中で最高のデキでしたね。もう、体中が痺れちゃって」
そう言って、熱い視線を送って来た。
「ああ……」
と、適当に返事をしていたら、須山と大田がやってきて、久美子と同じように目を輝かせながら称賛しだした。
面倒くさい女達だな、と思ってたら、いつの間にか芹歌は外へ出てしまっていた。
気付いたのは、沙織が息せき切って「せ、芹歌がっ」と言いながら入って来た時だ。
「なるほど。だから、襲われてる所に遭遇したって書いてあったんだね」
「お前、新聞を読んだのか」
「うん。ほぼ全部。大手全国紙は、どれもあまり変わらない内容だったけど、スポーツ新聞はさすがに、色々あって面白かったかな」
「お前、何を人の記事で楽しんでるんだよ」
「あはは、いいじゃない。興味あるし、他人の事って」
子どものように無邪気な笑顔だ。
「だけど、勇敢だね。愛する女性の為に、身の危険も顧みず。彼女も凄かったらしいじゃない。途中から久美ちゃんが目撃したらしいけど、彼女から聞いたよ?お互いに、相手をかばいあって怪我を負ったって」
「ああ。それに関しては、芹歌に感謝してる。俺の為に身を呈してくれた」
胸が締め付けられる思いがした。
「そ・れ・で。どうしたらいいのか解らなくなった、ってどういう意味?」
相変わらず能天気な顔をしている片倉を、真田は恨めしげに見た。
こいつなら、こんなに悩まないに違いない。そう思う。
「夕べ、芹歌がこの病室にやってきたんだ」
真田は夕べの一部始終を片倉に話した。
「結局さ。俺って、あいつにとっては男として認識されてなかった、って事だよな?まぁ、彼女の前で平然と、他の女とくっついて抱きに出かけてるんだから、当然と言えば当然なのかもしれないが。焼きもちの
ガックリした。
音楽家としては、彼女の前に
「そっか。まぁ、御苦労だったね」
少し冷めた顔が真田を見ている。
「おい、なんだよ、その言い草は」
「だってさ。僕、本気になった事無いからさ。恋に関しては、よく解らないし」
「俺を愛してるんじゃ、無かったのか?」
片倉がプッと吹きだした。
「だからそれは、愛しているけど、恋じゃないって。あー全く、何言わすんだよ、もう」
照れたように髪をかきあげる様が、いやに色っぽく感じた。
「それにしてもさ。君達、不器用だよね。僕が思うに、芹歌ちゃんは、きっとユキが好きだよ。男として。恋だと思うよ」
「な、何を根拠に……」
真田は
「んー、まぁ、二人の様子を見て感じた事と、幸也の話しからかな。芹歌ちゃんはさ。ずっと音楽一筋できたから、免疫が全然無いんだよ。だから、鈍いんだ、その手の事は。君もまぁ、似てるけどな」
片倉はポケットからタバコ型の菓子を出して口に咥えた。
「お前、ほんと好きな。いっそ、オシャブリでも咥えてたらどうだ?」
「あはは。そうしたい所だけど、さすがに恥ずかしいもんね」
「そうか。恥じらいがあって良かったよ」
しかねない所があるから、油断できない。
「君は自分の気持ちにやっと気付いたけどさ。芹歌ちゃんの方は、まだみたいだ。でも態度で立派に現してるじゃないか。少なくとも、告白されて迷惑がってる様子は微塵も無いし、困惑している感じもしない。思いがけなくて、少し戸惑ってるだけだ。昨日の演奏後の二人の顔ったらなかった。芹歌ちゃんなんか、もう恍惚としてたぞ。あそこにいるのが二人だけだったなら、間違いなく、君に抱かれてたと思うよ」
片倉がニヤリと笑ったので、真田は気恥ずかしくなって目を逸らせた。
「そうだったら良かったんだけどな。いつもなら他の女を抱くが、昨日は、もう耐えられなくなって、自分の気持ちを舞台の上であるにもかかわらず、告げてしまった。ホントに、あれが舞台上でなかったら、あのまま抱いてたと思う。だから、あの後、一緒に帰って……」
「自分のものにしようって思ったんだね?」
「ああ……」
真田は力なく頷いた。
全く、とんだ誤算だった。
「さっきさ。大学関係者の人たちとすれ違ったんだけど、君が来春、またヨーロッパに戻るかもしれないような事を話してた。小耳に挟んだんだけど、ほんと?」
「……ああ。考えてるところなんだ」
片倉がシガレットチョコをボリボリと噛んで飲み込んだ。
「何、今度は日本から逃げる気?」
厳しい目つきだ。
「まさか。そんなつもりは無いよ」
「でもそれじゃぁ、芹歌ちゃんのお母さんが言ってたのが本当の事になっちゃうじゃない。彼女を使い捨てて一人でまたヨーロッパに行くなんて」
真田はフッと笑った。
あの時は心外だった。そんな事を言われるとは全く思っていなかったから。
だが、あの人の立場から見たら、そう見えるのかもしれない。
「俺は、一人で行くとは言ってない」
「え?どういう事?」
真田は大きく一つ、息をついた。
「芹歌を……、連れて行きたい」
「ええー?」
一瞬だけ目を点のようにさせて、ビックリしたように驚いている。
「ちょ、ちょっと……。僕、良く分からない、言ってる事が。だって君さ。フラれたって思ってるんだよね?それなのに?」
「おかしいか?」
「おかしい」
片倉の間髪いれずに戻って来た言葉に、真田は笑った。
「俺は、逃げることばかり考えてた。だけど、昨日のコンサートの為に芹歌と練習しているうちに、それじゃ駄目なんだと思うようになってきた。で、昨日の演奏が終わった時、彼女と一緒にまたヨーロッパに挑みたいって思ったのさ」
片倉はマジマジと真田の顔を見た。
「なんか、いい顔してる」
「そうか……」
「それなら、何を迷う必要がある?有無をも言えないように、彼女を奪っちゃえ」
「ええ?」
いきなり何を言い出すんだと思う。
「そんな、奪うって……、なんだよ」
片倉は真田を睨むように見ている。
「わかってないね。彼女は今、神永君の彼女なんだよ?でも見た所、まだ少年少女のカップルのような付き合いだ。だから今ならまだ間に合う。強引に奪え」
普段、天使のような風貌の純哉が、悪魔のような顔をして言う。
「元々、彼女は君のものだろう?しょっちゅう、『俺の芹歌』って言ってたじゃないか。君がそう言う度に、彼女がどんな顔をしてたか、知らないんだろう。頬を染めて、恥ずかしそうに、でも満更じゃないって顔をしてるんだぞ。どう考えても、君を男として意識してる証拠だろ」
真田は思い返してみた。
言われてみれば、そんな芹歌を見たような気がする。
その時は、ウブだな、と思うだけだった。
「だけど奪うって何だよ。強引にって、俺、拒絶されたら無理だ。強引なんて……」
「あー、何言ってるんだよ。拒絶なんてされないよ、きっと」
真田は嘆息する。
「そう言うけどな。学内コンサートの為に最初に俺のレッスン室で逢った時、ロスマリンをやったんだよ。久しぶりに。凄い良くて、思わず芹歌の顔を見てしまった。そしたら、凄く艶っぽい顔してて、たまらなくなってキスしちゃったんだ、けど……」
「けど?」
「口づけた瞬間、芹歌は口をギュッと結んで……。ああ失敗したって途端に後悔したよ。次の時には、何も無かったような顔をしてるから、取り敢えずホッとしたけど、はっきり拒絶されでもしたら、俺、再起不能になるかもしれない」
口に出してみると、自分が情けなく思えてくる。
一体、何を考えて日本に戻って来たんだろう。
甘かったとしか思えなくなってきた。
「なんだかなー。だけど、キスなんてしてたんだ。それは全然気付かなかった。それなのに、またいつもの悪い癖が出てしまったんだね。と言うか、芹歌ちゃんに拒否されたと思ったから、って事か」
「そうかもな。あの時、芹歌が受け入れてくれてたら、とっくに抱いてたと思う」
片倉は呆れたように言った。
「僕さ。思うんだけど。君はずっと一緒に演奏しながら、芹歌ちゃんの事が解らな過ぎ。さっきも言ったけど、あの子は全然、そういうの免疫ないんだよ。突然キスされたら、戸惑うのが普通でしょ。思わずガード体制になるもんだよ。だから君は、そこで諦めちゃいけなかったの。わかる?」
片倉の言う事は、半分は解ったが、半分は解らなかった。
彼女に免疫がない事くらいは解っている。
だからこそ、強引にはできなかったんじゃないか。
ただ、あの固く結ばれた唇は、俺を拒否した訳では無かったと言う事なのか?
単に戸惑っただけだと?
そうだとしたら、その後の自分は間違いばかりだったとしか思えなかった。