第3話
文字数 2,046文字
芹歌が弾き終えると、春田は「はぁ~~っ」と大きく息を吐いた後、「凄い、先生!」と拍手した。目が輝いている。
「僕にはこんな風には弾けません」
それはそうだろう。春田に弾けるなら、自分の存在は必要ない。
そもそも、辿って来た道筋が違い過ぎるし、比べられたら心外だ。
そう内心で思いつつ、ただ笑顔を浮かべるだけに留めた。
「速度の変化が難しそうですね。拍取りが上手くいくかな……」
楽譜を何度もめくったり戻したりしながら、首を傾げている。
「そこは練習です。そんなに難しい事じゃないですよ。大丈夫です」
「そうですか。最終的に先生のように弾けたら嬉しいなぁ」
「じゃぁ、この曲でいきますね?」
「はい。頑張ります」
(はぁ~、良かった)
何とか決まって一安心した。
やりたい曲をやらせても良いのだが、恥をかくのは本人だけではなく教える側もなのだ。
実力に見合わない曲をやらせるべきではない。特に春田は存在自体が目立つ。
普通、ピアノの発表会と言うと小さい子ども達ばかりの会と連想しがちだが、 昨今、大人の習い事でピアノも人気な為、大人の発表会もメジャーになりつつある。二部制にして子どもと大人を分けて開くケースが多い中、芹歌は一緒に開くことにしている。
年齢に関係なく、その成果を発表し、他人の演奏を聴く事が大事だと考えているからだ。
それには子どもも大人も関係ない。
だが、教え始めてまだ5年目だけに、生徒はどうしても子どもの方が圧倒的に多い。
それ故に大人は目立つし、中でも高齢の男性の存在はひと際だ。
だから本人がいくら弾きたいと訴えても、実情にそぐわない曲をやらせて最終的に指導者が
批難されるような事にはなりたくない。教室の評判にも関わる。
芹歌自身が、教師としてそれなりの年齢と経験を積んでいるのならまだしも、まだまだ若くて
駆け出しの部類だけに尚更だ。
自宅でピアノを教えると言う事は一見簡単そうに見えるが、やってみると大変だ。
それに芹歌はそれ以外に伴奏の仕事も請け負っている。
そちらの仕事と教師の仕事のスケジュール調整も難しい。
時間に自由が利く春田のレッスン日などは、毎回その都度決めさせてもらっていた。
幼稚園や学校へ通っている児童に関しては、時間は大体決まっているが、時々曜日変更をお願いする事も多々あった。
そんな教室だから、余所では世話しきれない生徒が多いのかもしれない。
ただ芹歌は、国芸と言う一流音大の出身なので、それだけでも生徒は集まり易い。
高校生の本田朱美などは、国芸受験の為に中学入学時に余所の教室から移って来た。
彼女が国芸受験に成功すれば、芹歌の評判も一層高まり、生徒もそれだけ増えるに違いない。
だが芹歌には個人的な事情があり、これ以上の生徒を抱える事には無理があった。
「浅葱 さん、歌が入る直前の前奏、もうちょっと盛り上げた感じで弾いて貰えませんか?」
指揮者の山口岳 の要求に、密かに眉をひそめながらも、芹歌は言う通りに弾いた。
「こんな感じですか?」
「いや、もっと」
(ええー?そんなに大きく弾いたら逆に入り難いと思うのに……)
やっている曲はスメタナ作曲の「モルダウ」だ。
川の流れを現すように細かい音の連続で速度も速いし、強弱記号のオンパレードだ。
未熟なピアニストなら拍を取るのに苦労すると思うが、芹歌にとっては朝飯前だし、こういう曲は好きだった。弾きがいがある。
ただ、指揮者の山口の要求には閉口する事が多いのだった。
「モルダウ」は元々交響詩であり、オーケストラの為に作曲されたものだ。
それを合唱曲として編曲してあるのだが、その辺りの根本的な事を山口は無視しているとしか思えない。
あまりにも速度や音を無視したような指導に苛 ついて口を出したら、
「この合唱団の指導者は私です。私の解釈で歌って貰ってる。あなたが口出しする権利はありません。ただ言われた通りに弾いてくれればいいんです」
剣もほろろだった。
この指揮者と組むようになってから、芹歌は異常にストレスを覚えるようになった。
5年前に恩師の紹介で地元の市民合唱団の伴奏者の仕事に就いた。
その当時は温厚な高齢男性だった。
頭が少し固いものの、指導歴が長く音楽性に共感が持てた。
だが、その指揮者が2年前に突然脳梗塞で逝ってしまった。
後任として就任したのが山口岳だった。
都内の高校で音楽教師をしている。
元々は社会の教師だったのが、音楽好きが嵩じて後に音楽教師の免許も取得したと言う変わり種だ。
学生時代にオペラに傾倒し、その後自費で何曲もCDを出している。
高校で合唱部の顧問をしているらしいが、コンクールで入賞した事は一度もない。
入賞どころか予選突破すら無いと言う話だ。
他に指導経験も無く、実績も無いのに何故彼が合唱団の後任に着任したのかと言えば、前任者の親戚筋だった事から、強引に自薦してきた結果だった。
教育委員会の後押しもあったとの噂もある。
以来、独裁者のように君臨している。
「僕にはこんな風には弾けません」
それはそうだろう。春田に弾けるなら、自分の存在は必要ない。
そもそも、辿って来た道筋が違い過ぎるし、比べられたら心外だ。
そう内心で思いつつ、ただ笑顔を浮かべるだけに留めた。
「速度の変化が難しそうですね。拍取りが上手くいくかな……」
楽譜を何度もめくったり戻したりしながら、首を傾げている。
「そこは練習です。そんなに難しい事じゃないですよ。大丈夫です」
「そうですか。最終的に先生のように弾けたら嬉しいなぁ」
「じゃぁ、この曲でいきますね?」
「はい。頑張ります」
(はぁ~、良かった)
何とか決まって一安心した。
やりたい曲をやらせても良いのだが、恥をかくのは本人だけではなく教える側もなのだ。
実力に見合わない曲をやらせるべきではない。特に春田は存在自体が目立つ。
普通、ピアノの発表会と言うと小さい子ども達ばかりの会と連想しがちだが、 昨今、大人の習い事でピアノも人気な為、大人の発表会もメジャーになりつつある。二部制にして子どもと大人を分けて開くケースが多い中、芹歌は一緒に開くことにしている。
年齢に関係なく、その成果を発表し、他人の演奏を聴く事が大事だと考えているからだ。
それには子どもも大人も関係ない。
だが、教え始めてまだ5年目だけに、生徒はどうしても子どもの方が圧倒的に多い。
それ故に大人は目立つし、中でも高齢の男性の存在はひと際だ。
だから本人がいくら弾きたいと訴えても、実情にそぐわない曲をやらせて最終的に指導者が
批難されるような事にはなりたくない。教室の評判にも関わる。
芹歌自身が、教師としてそれなりの年齢と経験を積んでいるのならまだしも、まだまだ若くて
駆け出しの部類だけに尚更だ。
自宅でピアノを教えると言う事は一見簡単そうに見えるが、やってみると大変だ。
それに芹歌はそれ以外に伴奏の仕事も請け負っている。
そちらの仕事と教師の仕事のスケジュール調整も難しい。
時間に自由が利く春田のレッスン日などは、毎回その都度決めさせてもらっていた。
幼稚園や学校へ通っている児童に関しては、時間は大体決まっているが、時々曜日変更をお願いする事も多々あった。
そんな教室だから、余所では世話しきれない生徒が多いのかもしれない。
ただ芹歌は、国芸と言う一流音大の出身なので、それだけでも生徒は集まり易い。
高校生の本田朱美などは、国芸受験の為に中学入学時に余所の教室から移って来た。
彼女が国芸受験に成功すれば、芹歌の評判も一層高まり、生徒もそれだけ増えるに違いない。
だが芹歌には個人的な事情があり、これ以上の生徒を抱える事には無理があった。
「
指揮者の
「こんな感じですか?」
「いや、もっと」
(ええー?そんなに大きく弾いたら逆に入り難いと思うのに……)
やっている曲はスメタナ作曲の「モルダウ」だ。
川の流れを現すように細かい音の連続で速度も速いし、強弱記号のオンパレードだ。
未熟なピアニストなら拍を取るのに苦労すると思うが、芹歌にとっては朝飯前だし、こういう曲は好きだった。弾きがいがある。
ただ、指揮者の山口の要求には閉口する事が多いのだった。
「モルダウ」は元々交響詩であり、オーケストラの為に作曲されたものだ。
それを合唱曲として編曲してあるのだが、その辺りの根本的な事を山口は無視しているとしか思えない。
あまりにも速度や音を無視したような指導に
「この合唱団の指導者は私です。私の解釈で歌って貰ってる。あなたが口出しする権利はありません。ただ言われた通りに弾いてくれればいいんです」
剣もほろろだった。
この指揮者と組むようになってから、芹歌は異常にストレスを覚えるようになった。
5年前に恩師の紹介で地元の市民合唱団の伴奏者の仕事に就いた。
その当時は温厚な高齢男性だった。
頭が少し固いものの、指導歴が長く音楽性に共感が持てた。
だが、その指揮者が2年前に突然脳梗塞で逝ってしまった。
後任として就任したのが山口岳だった。
都内の高校で音楽教師をしている。
元々は社会の教師だったのが、音楽好きが嵩じて後に音楽教師の免許も取得したと言う変わり種だ。
学生時代にオペラに傾倒し、その後自費で何曲もCDを出している。
高校で合唱部の顧問をしているらしいが、コンクールで入賞した事は一度もない。
入賞どころか予選突破すら無いと言う話だ。
他に指導経験も無く、実績も無いのに何故彼が合唱団の後任に着任したのかと言えば、前任者の親戚筋だった事から、強引に自薦してきた結果だった。
教育委員会の後押しもあったとの噂もある。
以来、独裁者のように君臨している。