第98談 カルト宗教と宗教二世問題

文字数 2,719文字

こんばんは。
ほぼ週刊サルミ新聞です。(笑)

週末を前に一時期1ドル150円を超えた急激な円安が突然140円台まで一気に5円以上円高に転じました。政府・日銀は沈黙していますが、再度の市場介入ということに間違いないでしょう。
私は経済に関してはズブの素人ですが、この市場介入は、喩えて言うと「船底に穴が空いて浸水し続けている日本丸という船に全く手を着けず、強力なポンプで強引に水を船外に吸い出しているだけ」のように見えます。そのうちポンプを動かすエネルギーも尽きてしまえば日本丸は沈没してしまうのでは?
円安が進み始めたとき、1ドル170円くらいまでいくかと思いましたが、このままでは180円、或いは200円くらいまで行ってしまうのかもしれません。
テレビでは脳天気に外国人観光客の爆買いが報じられていますが、円安に乗じて海外(特に隣国)の人々が日本の不動産を爆買いしているのではないかと心配になります。

さて、今日は少しセンシティブな問題について書かせていただきます。

国会では旧統一教会問題が連日議論されていましたが、そのきっかけになった安部元首相の襲撃事件の実行犯が統一教会信者の二世であったために「宗教二世」ということがあちこちで語られるようになりました。そんな絶妙なタイミングで出版されたのが『「神様」のいる家で育ちました〜宗教2世な私たち〜』です。
ズバリ宗教二世の若者の赤裸々な日常と葛藤を描いた漫画ですが、連載していた某社のウェブサイトが(某宗教団体からの圧力で?)突然公開停止された後に、単行本として出版に踏み切った文藝春秋社には拍手を送りたいと思います(講談社の方すみません)。

日本で信仰を語ることはタブー視されてきました。そのせいか多くの人がカルト宗教とそうでない宗教の区別が付きません。例の事件以来、宗教、特に二世の問題が多くの人の話題に上がるようになりましたが、オウム真理教事件の時と同様に「宗教=悪」と、宗教に対する最低限の知識もないままに十把一絡げに批判し、「宗教のある家に生まれてきた子は不幸でああり、宗教のない家に生まれた(私たちは)幸せだ」というような声にはちょっとした違和感を感じます。

実は、私の母方の祖母は「Sの家」という新興宗教の信者でした。神仏混合の悪く言うとご都合主義的な宗教で、私はあまり好きではありませんでしたが。

家族と同居していた祖母は私が小三の時に亡くなりましたが、私が祖母から教わったことはいくつもあります。

——食物やそれを作ってくれた沢山の人々、命を捧げた生き物への感謝を忘れない
——身体の不自由な人や困っている人を見たら恥ずかしがらずに手を差し伸べる
——朝起きたとき、夜眠るとき、そして何かを頂いたときは先ず先祖に感謝の祈りを手向ける
——「有り難い」「勿体ない」「(神様や仏様の)お陰」という言葉

それが「Sの家」の教義なのか、祖母が育った明治時代の教育や家庭で自然に身につけたものなのかはわかりません。
しかし、幼少期に祖母から植え付けられた価値観は、今も自分の中に生き続けています。だから若い頃は座席を譲ることに抵抗はなかったし(今は譲られる側ですが)、この歳になっても食事を残すことが出来ないのですが。

その一方で私の父は唯物論者で「宗教は迷信」と一刀両断に切り捨てていました。
中学に上がる頃から、私は母が祖母から引き継いだ「Sの家」とは距離を置くようになりました。
それは父の影響と同時に、社会科の先生から「マルクスは宗教はアヘンであると言った」と聞かされた影響もあったと思います。
宗教は非科学的。宗教に頼るのは弱い者。集団で祈ることは怖ろしい……そんなふうに周囲の人に話していました。でも、一周忌に祖母の幽霊を目撃したことで、霊の存在だけは信じていましたし、供養する方法には興味を持っていましたが。

正直な話、宗教を完全否定した父よりも宗教を信じていた祖母の方が幸せだったように思います。
そのお陰で私も成人した後に自ら信仰を求めるようになった訳ですが、その話はプロパガンダになりかねないので止めておきます。

有り難かったことは、幸い祖母も母も私たち兄弟に宗教を強いることがなかったことです。

宗教と聞くと、かつての父や10代の頃の私のように全否定する人は少なくありません。
ましてやカルトとそうでない宗教の境目は遠くから眺めていると判りにくいでしょう。
これは私の経験値ですが、具体的な見返りない布施や寄附を信者の収入の2割以上要求する教えはカルトに近いと思います。
そして、悪魔だ、悪霊だ、祟りだと言って信者を脅したり、ごく普通の社会活動を制限してしまう教義や、政治や権力に信者の信仰心を利用したり、他宗教や自分たちと異なった考え方や価値観を認めず、その宗教の信者以外の人々を徹底的に排除・攻撃する宗教も。
しかし、カルトではない宗教も世の中には沢山あるのです。目立たないからあまり話題にも上りませんが。

宗教以外にも、自己中心的ではない利他的な価値観を子供に教える方法はあるでしょう。しかし、そうした情操教育の場が日本は極めて少ないように思います。一方、カルトでない真面目な宗教であれば、刹那的な快楽や自己中心的な考え方で子供を精神的根無し草にすることなく、(私が祖母から教わったように)幼少期の価値観や人格の形成にプラスになると私は信じています。キリスト教や仏教系の幼稚園などもそうかもしれませんね。

但しそれは幼少期に限ってのこと。少なくとも中学に上がる頃にはちゃんと子供に選択させてあげることが重要ではないでしょうか?
信仰を持つ者は、自分の子供にも一人の人間として信教の自由を与えてあげる。それができなければ自らの信教の自由さえ否定することになってしまうと思うのです。

件のマンガですが、全ての宗教の実体や詳細を知っているわけではありませんが、とてもリアルに描写されていると感じました。悩んで投稿された二世の方に私はシンパシーを感じましたし、取り上げられた宗教一世の信者さんが反省すべき点は少なくないと感じています。
でも、どうやらマンガの内容を全く認めない宗教もあるようですね。
宗教も会社と同じように社会の一角を構成する集団ですが、悲しいかなT教会に限らず反社会的な宗教が多いのも事実です。
こうしたメディアの目を通して自らのあり方を見返り、自省と自浄に目覚めていかなければ、これからの時代に宗教は生き残っていけないのではないでしょうか?

本来、悩み苦しむ人々を救済することが宗教の目的なのですから。


老人は死なず、近頃は「亀の甲より年の功」と「老害」の間で反省したり苦悶することばかり
(2020.10.23)
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み