第55談 間違った恥の文化

文字数 2,482文字

こんにちは。

先日書いた障害者に関する話の続きになります。
2千字を超えてしまいますが、今回は言わせてください。

私も、私の家族も、パラリンピックやパラスポーツを見ることに抵抗はありません。それは私だけでなく、妻に重い障害を持つ従兄弟がいることも関係していると思います。積極的にパラスポーツに関わろうというレベルには程遠いですが、それでも関心を持っているだけまだ良い方かなと思います。
障害者と一括りにするのは危険です。みんな一人一人違いますし、正しく理解することができなければ、単なる同情では寄り添うことなどとても出来ません。障害者の中でも、何かスポーツができるような人は一握り。ましてパラリンピックに出られるようなパラアスリートは超エリートです。本人の偏見や障害に負けない意志の強さに加えて、家族や周囲のサポートは不可欠ですし、一歩踏み出すためには経済力も必要です。
一方、現実に目を向ければ、障害者の多くはスポーツどころか人前に出ることさえ難しいのです。特に日本では。

ロンドンの時だったか、パラリンピックの時期に、「(手や脚の欠損を)画面に映さないで欲しい」「気持ち悪い」と話していた学生達に街で遭遇しましたが、案外それが障害者と接する機会の少ない日本人の本音なのではないかと思いました。

日頃思っていることですが、日本人は村八分的な排他思想と、行き過ぎた……つまり間違った恥の文化をずっと持ち続けていると私は感じています。そんな前時代的な価値観に、西洋的な合理主義や個人主義を無理解のまま持ち込んだために、他人のことなど自分には関係ない……と他人に関心を持てなくなった人が多いのではないでしょうか。

テレビでは相変わらず、日本好きの外国人の姿を微笑ましく報道していますが、その一方でイギリスのとある団体(チャリティーズ・エイド・ファンデーション)が毎年行っている「世界の人助けランキング」で、日本は114カ国中で最下位とか?
「基本的に日本人は他人を信用しないので、他人と関わろうとしない人が多い」という分析が日本の脆さを浮き彫りにしています。

必要とする人が目の前に立っていても平気で優先席に座っていられる人。救急車が来ても道を空けない乗用車。混んだ電車の中で無防備な女性や少女を狙う痴漢。相変わらず横行するあおり運転。交通ルールを守らない自転車。病院の受付で怒鳴り散らす老人。そんな日常の風景を目にすると、確かにそうだろうなと頷けます。
およそ「おもてなし」とは正反対ですが、怖いのは、日本人の多くが「自分たちは世界で最も人に優しい人々」だと思い込んでいること。それは特に私たち高齢者に多いと思います。なにしろ、日本の技術は世界一と思い込み、バブルをもう一度と願う人が多いのですから当然かもしれませんが、当に2020東京五輪はそんな思い違いから招致したイベントではないでしょうか。
復興五輪どころか、五輪被害からの復興はさぞ大変なことでしょうし、売却される不動産はほぼ中国の物になると思いますが。

話を戻しましょう。
「間違った恥の文化」と私が思うのは、例えばこんなところ。
「子供が五体満足に生まれてこなかったら世間様に顔向けできない」と私の親の世代の人はよく言いました。裏を返せば、子供が五体のどこかに欠損や異常を持って生まれてきたら世間から隠しておきたい……ということになるのです。
障害を持って生まれてきた子には何の罪もないのに、親が「恥」という罪を背負わせてしまう。障害は身体などの目に見えるものだけでなく、知的障害だったり精神障害だったりもします。心療内科やカウンセリングに比較的抵抗なく行けるようになったのはここ10〜20年のことです。犯罪者の家族や親族、さらに犯罪被害者、特にレイプ被害者までもが、本人に咎があるわけではないのに「世間様に顔向けできない」という「間違った恥の文化」の犠牲になります。

日本という巨大な村社会では、人と違う人間は、障害者であれ、被害者であれ、感染者であれ、和を乱す存在として村八分にされる。小さな村の時代は「村」を「安心安全」に統治するために必要なことだったのかもしれません。そして、そのために生まれたのが、自浄作用として自らを村八分にする「間違った恥の文化」なのではないかと……そんな風に考えています。

自慢にはなりませんが、私はサルモネラ菌の集団食中毒に二度感染した稀有な体験を持っています。一度は二十代の時に仕出し弁当で、もう一度は三十代の時に旅館の夕食で遭遇しました。
二度とも新聞に載り、二度とも入院する羽目になり、二度とも死ぬかと思うほど苦しみました。
もう20年近く前のことですが、職場で食中毒の話題が出たときにその体験を話しました。夏場の食べ物には気をつけようね……と言う意味でしたが、一世代上の指導的立場の方から叱られました。「あなたには恥という感覚がないの? そういうことを人前で話せる神経が理解できない。一度でもそんな経験をしたら恥ずかしくて口にできないのが普通だろう」と。

新型コロナウィルスに感染した人も、ひた隠しにする人が多いのが私は気になっています。
芸能人のように実名で報道されてしまう人はともかく、あまり世代に関係なく、感染した人は他人に知られないようにとても神経をすり減らしているようなのです。完治して人に感染させるリスクがなくなっていてもずっと続くようで、なんともストレスの多い話です。
癌も以前はそんな感じでした。50代以上は二人に一人とか言われるようになって、ずいぶんハードルが下がりましたが。

前にも書きましたが、私はコロナ禍での2020東京オリンピック・パラリンピック開催には反対でした。
でも、今はこんな風に考えています。パラアスリートの姿を通して障害者への理解が少しでも深まり、村八分的偏見に満ちた「間違った恥の文化」に一石投じることが出来たのなら、少なくともパラリンピックは意義あるスポーツイベントだったと言えるのではないかと。


老人は死なず、障害も個性のうちと思える社会を心から望む
(2021.9.8)
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