第43談 スティーブとジョージと私

文字数 2,477文字

おはようございます。

今日はMacintosh前史としてスティーブ・ジョブズやジョージ・ルーカスの話をする予定でしたが、後でお話しする理由で半分違う話題になります。

スティーブ・ジョブズのことはタップリ語りますが、ジョージはジョージでもルーカスではなく所ジョージ。
スティーブ・ジョブズと所さんと私には共通点があります。それは生まれが同じ1955年であること。
ビル・ゲイツも同い年ですが、それはまたの機会に。

昨日のNHK「ファミリー・ヒストリー」のゲストは所ジョージさんでした。
早生まれの所さんは私より1年先輩(佐野史郎さんとか高橋恵子さんもそうですね)になりますが、ほぼ同じ世代。テレビ画面でお父さんの若い頃、戦時中の写真を見るとものすごく昔の時代に見えますが、年齢は大正生まれの私の父が一つか二つ上のはずです。
所さんのお父さんが整備兵として中国にいらした頃、私の父は千葉にあった東京帝国大学の第二工学部で助教授だった糸川英夫先生の元で学んでいたはずですが、終戦間際は食糧難でテニスコートを芋畑にしてジャガイモを育てていたという話も聞きました。

いきなり時代が飛びますが、所さんが宇崎竜童さんのところにデモテープを持って行ったのが21歳の時とのことでしたから、ちょうど私が溜池のクラウンレコードでアシスタント・ミキサーとして働き始めた頃です。
所さんも私も、まだ先がどうなるのか判らない日々を送りながら、親に心配をかけていたのは間違いないわけで、そんなところになんとも言えぬ親近感を覚えました。

その頃の私はすでに専門学校も卒業し、大貫妙子さんのファーストアルバムでマルチトラック・レコーダーのオペレーターをしたり、西郷輝彦さんの収録時には生まれたばかりの赤ちゃん(辺見えみりさん)の写真見せてもらいながらお寿司をご馳走になったり……と、デビュー前の所さんよりはほんの少しだけ恵まれていたかもしれません。しかし、正規雇用は遥か先のアルバイト待遇で、とても食べていけるだけの給与は貰えず、それでも電車やバスがない時間に仕事が終わると領収書不要(ある意味良い時代でした)のタクシー代を頂けたので、そんなときはその封筒をポケットに入れて1時間以上かけて溜池から三田の自宅まで歩いて帰りました。

その同じ年に、海の向こうでは(この言い回し、時代を感じますね)、私たちと同じ1955年生まれのスティーブ・ジョブズはApple Computer Companyを創業し、翌年には革命的なコンピューターAppleⅡを発表して時代の寵児(ちょうじ)として持て囃されるわけです。
Oh! なんという格差!

ただ、彼は金持ちの子供でも、天才エンジニアでもなく、ごく中流の家庭に育ちながら、人とは違う独特の嗅覚とセンスで成功の道を自ら切り拓いたのですが。
父親はシリア人留学生で、大学で知り合ったガールフレンドとの間に生まれた彼を養育することが出来ず、生後すぐにスティーブをジョブズ夫妻のもとに養子に出します。スティーブは、物心つく頃に自分の育ての親が実の親でないことを知って悩みます。それが彼を若くして人並み外れた行動へと導いたのかも知れません。
スティーブの両親は彼を手放した後で結婚しますが、宗教の違いからすぐに離婚し、母親は後に別の男性と結婚して女の子を授かります。そのスティーブの妹が、後に作家となるモナ・シンプソン。彼女はスーザン・サランドンやナタリー・ポートマンが出演した映画『地上より何処かで』の原作者としても知られています。
兄はコンピューターで、妹は小説でと、全く異なる環境で生まれ育ちながらそれぞれに才能を発揮するわけですが、お互いが血を分けた兄妹だということは、彼らが成功を収めた後に知らされたそうです。

災い転じて福と為す……の諺通り、若くして人生の苦渋を知ったジョブズは成功への階段を(山師的な強引さがあったとは言え)登り始め、一方で同じ年に生まれた私は、所さんがTVで人気者になる姿を横目で見ながら(ほんとは殆どテレビを見なかったんですけど)小さなスタジオでコツコツと働き、ジョブズが天才エンジニアのスティーブ・ウォズニアックと共に開発したワンセット百万円もするAPPLE Ⅱに憧れを抱きながら、やっとワンボードマイコンでコンピューターの世界に足を踏み入れた。それが1970年代後半。


(当時一式百万円近かったApple Ⅱ)


(秋葉原でキットを買って組み立てるワンボードマイコン=当時はもっとチャチでした)

ほんの数年でその差はさらに拡がり、私が留学生としてニューヨークに渡る1980年には、ジョブズは2億5,600万ドルもの個人資産を手にしていました。

それから40年が過ぎ、所さんは芸能人として成功を収め、定年を迎えた私は細々と第二の人生を歩み始めたところです。
一方でスティーブ・ジョブズは亡くなって今年でちょうど10年。すでに伝説の人になっています。
同じ年に生まれても、人生はずいぶんと違うものですね。

では、誰が一番幸せなのか? それは比べられるものではありません。
資産総額は笑ってしまうほど桁違い。所さんの資産がジョブズの遺産の1万分の1くらいなら、私はそのまた1万分の1くらい。
でも、人間の幸せはお金では買えません。

ということで、今日はおしまい。

それで、前回予告したオーディオ・ビジュアルの話ですが、こちらではなくnoteに書かせていただくことになると思います。

インターネットでの発信をビジネスとしている長女のアドバイスもあって、今後自分の本業に関わる話を展開するため、昨日noteに新装開店しました。
作者のページから繋がっているTwitterでも告知していますが、名前は全く同じ加藤 猿実(Tarumi Kato)ですので、よろしければ覗いてみてください。
まだ古い動画が2本上がっているだけで、閑散としていますが。

今回はMac前史に繋がるAppleの創始者スティーブ・ジョブズの話になりましたが、この続きはnoteで。


老人は死なず、思えば遠くへ来たもんだ
(2021.8.11)
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み