第39談 王道や主流を避ける心癖

文字数 3,285文字

おはようございます。

昨日の男子サッカーは残念でした。
日本は(私も)半世紀以上も前のメダルの話を持ち出しますが、相手は優勝経験もある強豪国。実力差は歴然ですし、メキシコにしたら(この言い方は嫌いですが格下の)日本に二度負けるわけにはいかなかったのでしょう。
準決勝の延長で休ませた若い久保と堂安もよほど疲れが溜まっていたのか、いつもの軽快な足さばきも封じ込められていた感じがしました。
相手の守備はさすがでしたが、一方で日本の攻撃には予選の時のような精彩さはなかったし、パスミスも多く、相手に与えたその隙が結局勝敗を分けることになってしまったようでした。
その一方で、女子バスケットボールは素晴らしい快挙! フランスを破って決勝進出を決めたのですから、もし決勝でアメリカに敗れて銀メダルになったとしても大金星です。
それにしても町田瑠唯選手の大活躍は見ているだけで気持ちいい。所狭しとコートを駆け巡り、オリンピック新記録の18アシストってすごいですね。一人だけマスクをして試合後のインタビューに応えていましたが、身長162cmで丸顔の可愛らしいルックスは私服だったら誰もバスケットの選手とは思わないでしょうね。でもこういう選手の活躍が、才能はありながら「自分は背が低いからバスケは無理」と諦めかけている子たちをどれだけ勇気づけることか。
コロナ禍で無理やり始めた感のあるオリンピックですが、勝ち負けに関わらずお互いを称え合うスケートボードの文化とか、少しでもプラスな感情が私たち……と言うより未来ある子供達の心や記憶に残れば、オリンピックに参加することを開催反対派の市民から責められながら戦ったアスリート達の努力や思いも報われることでしょう。

前置きが長くなりました。
ストラヴィンスキーの「火の鳥」を取り上げた第37談のアクセス数がいつもの初回のアクセスを大きく超えていたことで、このノベルデイズの常連さんにはジャズやロックよりクラシック音楽が好きな方が多いことをあらためて実感しました。
ところが、その内容は純粋な音楽ファンを裏切るようなオーディオの話。「なーんだ」とガッカリした人も多かったと思います。

日頃あまりクラシック音楽を聴かない私でも、バーンスタイン時代のニューヨーク・フィルと、ブーレーズが振るようになってからのその違いくらいはわかります。20代の頃、同じ「火の鳥」(バーンスタインでレコード化されているのは1919年版?)を聴いたときに驚いた記憶があります。もっとも録音の年代が10年以上違うので音質面では比較にならないのですが、ブーレーズの指揮はより緻密になって、バーンスタイン時代には味わえなかった繊細さを感じました。
私がクラシックや現代音楽をよく聴いたのは20代の頃で、年を取ってからは本当にたまにしか聴かないので、記憶の片隅にある情報を取り出さないと書けないと言うこともあり、そのあたりのことはあまり言及しませんでした。
死ぬ前にちゃんとしたオーディオルームでオーケストラの音を鳴らしたいと思いますが、私の場合クラシック音楽は(豊かな音を奏でる)オーディオとセットになっていて、自動車の車内7割、PC用オーディオ2割、iPhone1割となった今は正直聴く気にならないし、コンサートも長く遠ざかっているのが現実です。

クラシック音楽と書きましたが、Tさん(そのまま書いちゃいけないんですかね?)から頂いたファンレターへの返信に書いたことで、改めて自覚したことがあります。

今はすっかり氷解していますが、私は今年十三回忌を迎えた亡き父と少々確執がありました。
父もその親族もクラシックが大好きで、私が不良だった(笑)高校時代、伯父の家を訪ねると一つ年上の従姉はアップライトピアノで「幻想即興曲」を弾いてくれました。その従姉は名門女子高から慶應義塾大学に進学しましたが、私より一つ下の従弟は伯父と同じ京都大学に進学。一方で私には父と同じ東大は遙か遠く、父には7人の兄弟姉妹がいましたが、私は親族でただ一人大学に進学できなかった落ちこぼれとなりました。(苦笑)
中途半端な大学に行くくらいなら、と専門学校を選んだ人生に悔いはありませんし、後に留学先のニューヨークで大学進学(編入)を強く勧められたことでコンプレックスは消え去りましたが。

そんな私の父は、ベートーベンとモーツァルト、それにチャイコフスキーが大好きでした。父が家にいるときはベルリンフィルやウィーンフィルのシンフォニーの音がいつも流れていましたが、父は音楽鑑賞の時間を家族に邪魔されるのを嫌い、宝物であるレコードには絶対手を触れさせませんでした。
いろいろあって(その辺は省略w)父への反発が強くなった私は、父が全く聴かないバッハやヘンデルのバロック音楽からレコードを買い始めたのです。チェンバロの音色は春の草花のようでしたし、パイプオルガンのそれは深い海のようでした。
ところが私のレコードを父は鼻で笑いました。「いったいいつの時代の音楽を聴いてるんだ。バロックは古典に比べたらまだ未完成で未熟な時代だぞ」と。
時代のことを言ったら古典だって似たり寄ったりですが(笑)、私は反論するだけの知恵も力も持ち合わせていませんでした。

そして、その頃から父の影響の及ばないジャズを聴くようになります。「いつの時代かって言うなら今でしょ」という無言の反撃?(笑)
バッハをジャズにアレンジしたフランスのジャック・ルーシェ・トリオに始まり、ビル・エバンス、MJQ(モダン・ジャズ・カルテット)と、最初はピアノやヴィブラフォンを中心にしたものばかりでした。ヴァイブの名手ミルト・ジャクソンをピアノトリオに加えたMJQは、タキシードを着て演奏するような室内楽的な響きのジャズコンボでしたが、その辺りは最初にバロックに親しんだ名残だったかもしれません。

そして中学時代にロックの洗礼を受けます。ロックは私の心を解放してくれました。
クラシックファンにはプログレッシブロック・ファンも多いようですが、10代の頃は私もプログレ好きだったので、ナイス、キング・クリムゾン、E,L&P(エマーソン、レイク&パーマー)、イエスといったグループのメンバー達が好んでいたバルトークやストラヴィンスキーをよく聴くようになりました。また、ジャズの巨匠マイルス・デイビスやジョン・コルトレーンを聴くようになったのも、E,L&Pのキース・エマーソンの影響だったと思います。
と言うわけで、私のクラシック系のレコードコレクションは、バッハとヘンデルから、いきなりリスト、マーラー、ストラヴィンスキー、バルトーク、ラヴェル、ドビュッシー、それにホルストと、クラシックの主流派である古典のシンフォニーが欠けた歪なものになりました。

そんな人生経験が、私を自然と王道や主流派から遠ざけてしまうのではないかと思います。
今でも、アカデミー賞やグラミー賞や直木賞も、受賞を逃したノミネート作品の方が気になってしまいますし、本屋大賞でもそれは同じ。
芥川賞受賞作は毎回『文藝春秋』で読みますが、最近はあまりピンときたことがありません。尤も、最近の芥川賞受賞作は主流や王道とは言えないかもしれませんが。

その昔、『スターウォーズ』が初公開された頃に「あんな低俗で幼稚なスペースオペラ誰が見るか」(つくづく嫌なヤツですねぇw)と強がっていた私でしたが、訳あって二本目(ep.5)の『帝国の逆襲』を劇場に観に行くことになり、図らずもクライマックスで泣いてしまいました。
それ以来、スターウォーズファンの一人です。
……これって第31談に書いたプリンスとよく似てますね。

一度しかない人生。主流や王道を避けていたら勿体ない。
今まで避けていた池井戸潤も、読んでみたらすごく面白いかもしれません。

残された時間には限りがありますが、もう少し感性のアンテナの指向性を拡げて、人が良いというものを素直に受け容れてみようと思います。


老人は死なず、心はもっと広く豊かでありたいと願う日々
(2021.8.7)
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