第23談 「利他」と「思他」

文字数 2,228文字

おはようございます。

今日は予告していた「利他(りた)」と「思他(した)」の話です。
「思他」というのは私が考えた造語ですが。

大乗仏教に「利他」「利他行」という言葉があります。
自分自身が悟りを得て解脱する(救われる)ことを目指す修行を「自利」の行とするなら、大乗仏教は他人の救済を優先する「利他」の善行功徳によって自身がこの世にあって菩薩に生まれ変わることを目指します。
他を思いやり、善き思いや善き行いを施すから「利他行」。

一方、コロナ禍で「利他主義」という言葉が注目されるようになってきました。
社会学には詳しくないので受け売りですが、利他主義(altruism)という言葉は、利己主義(egoism)の対概念としてフランスの社会学者オーギュスト・コントによって造られた造語だそうですね。
「利他主義」は「社会通念に照らして、困っている状況にあると判断される他者を援助する行動で、自分の利益を主な目的としない行動」と定義できる……とWikipediaにあります。(^^;
すみません。間違っていたらどなたか訂正してください。

キリスト教にも「だれでも、自分の利益ではなく他人の利益を追い求めなさい」と聖書に説かれているようですが、私は詳しくはないので言及しません。
その深い意味や行動哲学は置いといて、ある意味で利他的な考え方や価値観は、どの宗教にも共通する「共通善」と言えるかも知れません。
一つ確かなことがあります。
何らかの宗教を持つ人は、他の幸福のために自分の何かを犠牲にすることを厭わないものですが、何も信仰を持たずに「利他」を行動に移すことはとても難しいということ。
よほど、精神的にも経済的にも余裕がないと、人はみな自分のことで精一杯です。

さて、そこで私が考えたのはもう少しハードルを下げて、自分だけでなく人のことを少し考えてみようというもの。
それを勝手に「思他」と名付けました。

利己主義は、自己の利益を重視し、他者の利益を軽視、無視する考え方を指します。
「私利・私欲」の優先し、自分さえ良ければいいという利己的な考え方はいつの時代にもあるわけです。

ちょっと前までは……
道ばたに煙草の吸い殻を捨てる。
酒を飲んでクルマを運転する。
病院や役所など公共の場で悪態をつく。
……などの迷惑行為はあちこちで見られました。

今でも、病院で文句を言ってる爺さんをよく見かけますが、最近は病院に「迷惑行為は警察を呼びます」なんてポスターが貼られています。

不法投棄、危険運転、暴行、痴漢行為などの犯罪行為は誰もがしてしまうことではありません。

しかし、例えば……
・救急車が来ても道を空けない。
・優先席に堂々と座り、その席を必要としている人に譲らない。
・無理に割り込まれたことに腹を立てて相手の車を強引に追い越してしまう。
・身障者用の駐車スペースにクルマを駐めてしまう。
……なんて、思い当たる方も少なくないのでは?

或いは……
・ コロナ禍で土台となって働いている医療関係者や清掃業者やその家族を阻害したり排除する。
・ ウイルスに感染した人や感染疑いのある人(或いはワクチンを打った人)に社会的制裁を加える。
・ 匿名のインターネットで芸能人や犯罪者(容疑者)の家族や時には被害者さえも叩く。
・ SNSやブログなどインターネットで嘘の情報を拡散する。
……これらは、よほどの社会的影響を与えない限り罪にはなりません。

ずいぶん以前に、ある銀行が経営的に危ないと嘘の情報をネットで拡散し、不利益を与えたとして罪に問われたケースもありましたし、SNSでのバッシングも悪質な場合は検挙されるようになってきました。

自分の日々の行動の中でちょっとだけ想像力を働かせる。
・これを行ったら、目の前の人がどうなるか。どう思うか。
・これを行わないことで、誰かが困らないか。

「利他」や「利他行」ほど積極的なものでなくても、他を思う「思他」の心……つまり、他の気持ちや他の視点を思い描く想像力が働けば、少しは利己的な行動を抑えることが出来るように思います。
原発事故の被害で避難した子供を「放射能」と言っていじめようなこともなくなるのではないかと。

一方で、自分の人生を顧みると、利他とは真反対の行動で人を迷わせたり傷つけたりしてきたことも沢山あったと反省するばかり。
日々失敗だらけで、穴があったら入りたいどころか、深く深く穴を掘って潜っていたい気持ちにさえなります。
そんな私ですが、以前に書いたように自ら死を選ぼうとしたときには、何人かの人の顔が浮かんだことで思い止まりました。
その出来事を先輩に話したときに「あなたはそれだけ愛されてるんですよ」と言われました。

「愛」とは他を強く思う心……と私は書きました。
愛ほど強くは思わなくても、少しでも相手(他)を思うことが出来れば、差別やいじめも減少するように思います。自分が死んでしまいたいと思ったときにも、家族や友人・周りの方のことを想像することが出来れば、私のように思い止まる人もいるかもしれません。

「思他」なんて新しい言葉を作らなくても「利他」を拡散していけば良いんじゃない? と家族からは言われました。
私が「造語」を作るのにうんざりしているのかもしれませんが。(笑)

でも、「利他」が難しいと思う方は、他の気持ちや立場を想像して相手を思う心を働かせる「思他」を心がけてみてはいかがでしょうか?
サイコパスの人にどこまで届くか分かりませんが。

老人は死なず、ただ思うのみ
(2021.7.22)
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