第45談 言葉の持つ意味

文字数 1,725文字

おはようございます。

今日は13日の金曜日ですね。
とは言え、私にはそれを語れるようなエピソードもないので、最近感じた言葉のことをお話しします。

私の周囲からも、一人また一人と新型コロナウイルスの感染者(PCR検査で陽性反応が出た方)が出てきていています。幸い重症になった方はいませんが。
その一方で、人によってワクチン接種の強い副反応が現れてそれが数日に及ぶこともあります。
しかし、ワクチン以上に効果的な方法を私たちはまだ知りませんし、仮にワクチン接種しても感染の可能性がある以上、これからもマスクの着用と手指消毒といった感染症対策はずっと続けていくことになるのでしょう。

昨日のTVで、九州の山奥に一人暮らしをしているお婆さんのお宅が取材されていました。
周りには殆ど人がいないというのに、移動販売で訪れる豆腐屋さんとの接触のためなのか、テレビ局の取材が来ると知ってのことだったのか、85歳のその方はマスクをしていました。取材のクルーに指示されてマスクをしたというような不自然さがないことは、玄関に何気なく置かれていた手指消毒用のアルコールでわかりました。
日本はこんな山奥まで感染症対策を徹底されているのか……と海外の方々は驚くかもしれませんが、これはもう我々にとって日常の風景。
マスクを外して一人でクルマに乗っている人を批判的な眼差しで指さしたり、ZOOM会議でマスクを着用するように指示するような意味のわかっていない人もいるようなので、それはそれで困ったものですが。

こうした日常の出来事を「言葉」として小説や日記に書き留められることは、とても大切なことだと私は思います。

先日、とある小説投稿サイト(殆どの方はご存じかもしれません)では「新型コロナ」や「COVID-19」という単語を投稿できないということを、私は初めて知りました。
最近のことではなく去年の4月からのようなので、ちょうどその前後から小説を投稿し始めた自分がもしそのサイトを選んでいたら、投稿しようとしていきなり出鼻を挫かれたかもしれません。
ここノベルデイズでは、そんなことを全く考えたこともないほど、ごく普通に「コロナ禍」だとか「ワクチン接種」とか言葉を発していたわけですが、そのサイトでは投稿画面に「コロナ」と入力しただけで弾かれてしまうようです。

ある言葉を発信するリスクが高いからと言って、私たちの日常を大きく変えてしまった事象を表すその単語自体を使えないように制限するという理由が私にはよく理解できません。

言葉というのは時代を表します。時代と共に新しい単語が生まれ、時代と共に熟語の持つ意味も変化する。
私が子供の頃「一生懸命」と書いたら、×が付きました。「そこは生ではなく所、一所懸命が正しい」と。
しかし、今では辞書に「一生懸命」も「一所懸命の転」と併記されるようになりました。
例えば、「我慢」という仏教で戒める「慢」の一つ(元は自分は偉いと我を立てるという意味)が、耐え忍ぶという「忍辱」のような意味に置き換わってしまったように、その時代に暮らす人々の大半がそう認識すれば言葉の意味も変わっていくのでしょう。
だからと言って、真逆の意味に捉えている人が多い「徐ろ」が「突然」や「急」という意味にひっくり返ることはないと願いますが。(苦笑)

もし一年程度で収束していたら、「SARS」や「MARS」のように「新型コロナウイルス」や「コロナ禍」という言葉も忘れられていったのかもしれません。
しかし、これだけ長引くと「新型コロナ」の「新型」はもう忘れられ、「コロナ禍」が一つの時代になってしまいそうで、後世の人は「コロナ時代」とか振り返って呼ぶことになるのかもしれません。
そんなふうに振り返ることの出来る時代がいつになったら訪れるのか……それさえも判らないほど出口の見えない感染拡大が今も続いています。

それでも、私たちは言葉を制限されずに日常を綴ることが出来る。
もちろん自分の発する「言葉」には責任も伴うわけですが。

つくづくノベルデイズのありがたみを知って、講談社さんに感謝が湧いてきました。


老人は死なず、あたりまえと思っていたことにありがたみを感じながら仕事に向かう朝
(2021.8.13)
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