第72談 リアリズムと世界観

文字数 1,797文字

おはようございます。

一昨日、やっと『DUNE』を観てきました。

実は、『DUNE』を語る前に、映画やドラマのリアリティやリアリズムを語るつもりでした。

きっかけの一つは、先日完結したNHKの朝ドラ『おかえりモネ』。
まるで劇映画のような清原果耶さんのリアルな演技に感動したこともありますが、架空の島を舞台にした架空の人物の物語なのに妙にリアリティを感じる、良い意味で朝ドラらしくないドラマでした。

もう一つは、『MINAMATA』。
観た直後は史実(事実)との違いに一瞬引っかかってしまい、あとで客観視して自分が引っかかった「こだわり」を逆に意識したこと。
かつて、『ブレードランナー』を映画館で観たときに、自分が思い描いていた原作の世界観とのあまりの違いに違和感を感じ、あらためてもう一度観てリドリー・スコット監督の描く世界観に浸ることが出来て、はじめてお気に入りになった二十代の頃を思い出しました。
映画に感じるリアリティって何か? きっとそれは人によっても、時期によっても、経験によっても、ずいぶん異なるものです。

そして三つ目は、リアリティをあまり語る必要がない2本の映画。
かなり気に入った『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ』に続いて、ダニエル・クレイグが探偵役で、ボンドガールのアナ・デ・アルマスと共演している『ナイブズ・アウト』(スター・ウォーズ最終章のライアン・ジョンソン監督)をオンデマンドで観て、面白かったし、私はかなり気に入ったのですが。
映画の紹介サイトに投稿された感想や評価を読むと、『007 』も『ナイブズ・アウト』にもリアリティを求める人が多いことに少し驚きました。
殺しのライセンスを持つスパイや、大金持ちの老人を巡る殺人事件なんて、それ自体が非現実的ですから……と言いたくなったのですが、評価が厳しい人たちはきっとその世界観に没入できなかったんでしょう。

私は監督で映画を選ぶ派ですが、ここ数年は『DUNE』のヴィルヌーヴ監督と、『メメント』以来20年フォローしているクリストファー・ノーラン監督の新作は欠かしません。

ドゥニ・ヴィルヌーヴというフレンチ・カナディアンの映画監督を知ったのは、テレビの情報番組(確かZIP!?)の「時計仕掛けのオレンチ」というコーナーで、俳優の斎藤工さんが『複製された男』を紹介した時でした。
日本では2014年の公開ですから、今から7年前ですね。

主演のジェイク・ギレンホールは『遠い空の向こうに』や『ドニー・ダーコ』の頃から割と親しみを感じていた俳優でしたし、奥さん役のメラニー・ロランは当時一推しの女優さんだったので、すぐに映画館に足を運びました。
地元の立川・昭島では上映館がなかったため、どこか忘れてしまいましたが都内の単館上映の映画館だった筈です。
この『複製された男』は良く出来た怖い映画でしたが、私の苦手な生き物が登場したことで顔を引きつらせながら映画館を出ることになりました(苦笑)。

しかし、それ以来この監督が気になって、『プリズナーズ』と『ボーダーライン』はオンデマンドで、『メッセージ』と『ブレードランナー2049』はロードショーで観ました。劇場で観た、好きなSF小説の映画化と好きな映画の続編はどちらも期待以上でした。
その後オンデマンドで『静かなる叫び』も観てますから、ヴィルヌーヴ監督作の半数以上を観たことになります。

と言うわけで、13作目の『DUNE』は前評判が良かっただけに、ものすごく期待していましたから、期待を醒ますのに少し時間が必要でした。
映画の敵は期待とネタバレですから。

さて、乾燥は? 違った。砂の惑星ですが乾燥じゃなく感想です。(苦笑)
いやはやなんとも……ヴィルヌーヴ監督の世界観に圧倒されました。
その場の空気や息苦しさや臭いまで感じさせる画作りや場面作りは、自然科学的検証とかリアリズムなんて軽く吹き飛ばしてしまいますね。突っ込みどころ以前に、突っ込む気にならないと言ったらいいでしょうか。それも観る人の価値観や感性できっと異なるでしょうけれど。

私はこう感じました。
そこに描かれた世界に「美」を感じられたら、それは娯楽作品であっても同時に芸術なのだと想います。

それ以上の説明は不要かな……と。


老人は死なず、DUNEの続編を観るまでは死ねない
(2021.11.9)

追伸:拙作「彼女の名前は、」の内容をかなり改訂しました。
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