第65談 世代間ギャップにひとことを
文字数 2,453文字
こんにちは。
日曜だからと言うわけではありませんが、昼下がりの呟きです。
本日のお題。
古代エジプトにも「近ごろの若者は……」と記された粘土板があったとかなかったとか?
世代間ギャップというのはどんな時代にも生まれてしまうものかもしれません。
我が家は親と子——と言っても子供達はアラサーですが——の間で比較的会話の多い家庭ですが、それでも度々世代間のすれ違いは起こります。
昔と違うのは、親が子供に対して「近ごろの若いもんはなってない」と力で押さえつけようとするよりも、「だからジジイはだめなんだよ」と若い世代から、親の世代がダメ出しされることが多いことでしょうか?
その場でダメ出しするよりも後から言われることの方が多いのは困りますが。
先日、気づいたことがあります。
私たちのようにある程度経験を積んだ世代は、会話のキャッチボールを望んでいるのですが、こちらが投げたボールを相手が投げ返してこないときは、すでにそのギャップが生まれているということ。もちろん、ギャップの原因は世代だけではありませんが。
例えば、売れっ子のJ-POPシンガーが「自分は洋楽から学んだ」と発言しているシーンをテレビで観ながら、親子で語り合うシーンを想像してください。
親「僕たちの世代は洋楽中心だったんだよね。みんな洋楽を聴いてたし。バンドも洋楽のコピーばっかりだった」
子「へぇ? そうだったんだね。僕らはあんまり洋楽聴かないけど、昔は洋楽しかなかったんだろうね」
親「そうなんだよ。ラジオがメインだったけど、洋楽のヒット曲ばかり聴いてたし、バンドでもレッド・ツェッペリンとかクリームをコピーしたんだ」
子「J-POPのミュージシャンでも、藤井風とかヒゲダン(Official髭男dism)は洋楽好きらしいよね」
親「彼らみたいな最近のアーティストはJ-POPでも洋楽みたいなアフタービートが気持ちいいよね」
子「アフタービートって言葉よく聴くけど、何が違うの?」
親はこんな会話を期待しているのですが。
実際にどうなるかというと。
親「僕たちの世代は洋楽中心だったんだよね。みんな洋楽を聴いてたし。バンドも洋楽のコピーばっかりだった」
子(へぇ? それがどうしたの? 洋楽聴いてたのが偉いの? 英語とか何歌ってるのか判らないし……)
親「昔はラジオがメインだったけど、洋楽のヒット曲ばかり聴いてたし、バンドでもレッド・ツェッペリンとかクリームをコピーしたんだ」
子(ラジオっていつの時代だよ。今もラジオはあるけどさ。昔はそれしかなかったってことじゃないの? 親父はいつもそうやって昔のバンドの自慢話してマウント取ろうとするけど、親父くらい演奏できるヤツ、ユーチューブ探せば小学生でもいるよ)
「洋楽」を「小説」に置き換えても良いかもしれません。
「ゆとり世代」という言葉は嫌いですが、ちょうど私の子供たちはその年代になります。
そのせいかどうか判りませんが、相手が自信を持って話し始めると、「マウントを取りに来た」とか「自慢話をはじめた」と思ってしまうようです。
「新人類」とか「バブル世代」とか「団塊ジュニア世代」とか「ポストバブル世代」とか、マスコミは特定の世代を一括りにして差別したがりますが、実際に環境は時代と共に変化しますし、子供は当然育った時代の影響を受けます。
だから世代間のギャップはあって当たり前。
私の子供たちが若い世代の子を批判したり、自分たちの世代を卑下することもありますし。
私は「三無主義」と言われたポスト団塊世代です。
三無主義は、無関心・無気力・無感動の「三無」でした。
団塊世代の先輩からよく言われました。
「お前らの世代は何考えてるかわからん。もっと堂々とはっきり自分の意見を言えよ」
ほんの数年の違いでしたが、戦後十年経ってから生まれた私たちは、彼らから見ると甘っちょろい根無し草のように見えたのかも知れません。
実際、私たちの世代の多くは、先輩たちがゲバ棒を振り回したり火炎瓶を投げる姿を少し醒めた目で見ていました。
でも、二年下から施行された新教育指導要領で教育を受けた後輩達からこう言われたことがあります。
「先輩たち、なに熱くなってるんですか? そんなことに何の意味があるんですか?」
私たちは、母校のよき伝統を後輩達に受け継いで欲しいと、卒業前に各教室を回って説いていたのですが、そのときは一年生との世代間ギャップに愕然として「近ごろの若いもんは……」と友達とともに呟きました。
それが中三の時。(笑)
きっと、相手の気持ちを想像して、ひとこと加えるといいのかもしれませんね。
親「僕たちの世代は洋楽中心だったんだよね。みんな洋楽を聴いてたし。バンドも洋楽のコピーばっかりだった。でもJ-POPも多種多様になったから、今はあんまり洋楽は聴かないでしょ?」
子「そうだね。英語とか、なに歌ってるのか判らないし」
親「なるほどね。そう言えば、ビートルズの歌詞で英語の勉強してた友達がいたなぁ」
子「それもありかもね。実はさ、ヒゲダン(Official髭男dism)がスティービー・ワンダーの話をしてたから、この間ユーチューブで観てみたんだ。今は教科書にも載ってるくらいだから、歌詞をちゃんと見てみようかな?」
親「歌や演奏はどう感じた?」
子「缶コーヒーのおじさんって思ってたけど、なんかすごい引き出しの多い人なんだね。ジャズみたいな曲もあったし」
親「彼は11歳の時にシンガーソングライターとしてモータウンと契約してるんだ。その頃から天才って呼ばれてたみたいだよ。自分も後から聞いた話だけど」
子「知らなかった。11歳ってすごいね」
親「今みたいにユーチューブみたいなメディアがなかった時代だから尚更ね」
なんて感じに展開できるかな。
なかなか理想通りにはいきませんが、少し心がけてみたいと思います——言われた相手の気持ちを想像してひとこと加えてみる。
また長くなってしまいました。
老人は死なず、今頃になって若い頃の自分はコミュ障だったと思い出す……
(2021.10.10)
日曜だからと言うわけではありませんが、昼下がりの呟きです。
本日のお題。
古代エジプトにも「近ごろの若者は……」と記された粘土板があったとかなかったとか?
世代間ギャップというのはどんな時代にも生まれてしまうものかもしれません。
我が家は親と子——と言っても子供達はアラサーですが——の間で比較的会話の多い家庭ですが、それでも度々世代間のすれ違いは起こります。
昔と違うのは、親が子供に対して「近ごろの若いもんはなってない」と力で押さえつけようとするよりも、「だからジジイはだめなんだよ」と若い世代から、親の世代がダメ出しされることが多いことでしょうか?
その場でダメ出しするよりも後から言われることの方が多いのは困りますが。
先日、気づいたことがあります。
私たちのようにある程度経験を積んだ世代は、会話のキャッチボールを望んでいるのですが、こちらが投げたボールを相手が投げ返してこないときは、すでにそのギャップが生まれているということ。もちろん、ギャップの原因は世代だけではありませんが。
例えば、売れっ子のJ-POPシンガーが「自分は洋楽から学んだ」と発言しているシーンをテレビで観ながら、親子で語り合うシーンを想像してください。
親「僕たちの世代は洋楽中心だったんだよね。みんな洋楽を聴いてたし。バンドも洋楽のコピーばっかりだった」
子「へぇ? そうだったんだね。僕らはあんまり洋楽聴かないけど、昔は洋楽しかなかったんだろうね」
親「そうなんだよ。ラジオがメインだったけど、洋楽のヒット曲ばかり聴いてたし、バンドでもレッド・ツェッペリンとかクリームをコピーしたんだ」
子「J-POPのミュージシャンでも、藤井風とかヒゲダン(Official髭男dism)は洋楽好きらしいよね」
親「彼らみたいな最近のアーティストはJ-POPでも洋楽みたいなアフタービートが気持ちいいよね」
子「アフタービートって言葉よく聴くけど、何が違うの?」
親はこんな会話を期待しているのですが。
実際にどうなるかというと。
親「僕たちの世代は洋楽中心だったんだよね。みんな洋楽を聴いてたし。バンドも洋楽のコピーばっかりだった」
子(へぇ? それがどうしたの? 洋楽聴いてたのが偉いの? 英語とか何歌ってるのか判らないし……)
親「昔はラジオがメインだったけど、洋楽のヒット曲ばかり聴いてたし、バンドでもレッド・ツェッペリンとかクリームをコピーしたんだ」
子(ラジオっていつの時代だよ。今もラジオはあるけどさ。昔はそれしかなかったってことじゃないの? 親父はいつもそうやって昔のバンドの自慢話してマウント取ろうとするけど、親父くらい演奏できるヤツ、ユーチューブ探せば小学生でもいるよ)
「洋楽」を「小説」に置き換えても良いかもしれません。
「ゆとり世代」という言葉は嫌いですが、ちょうど私の子供たちはその年代になります。
そのせいかどうか判りませんが、相手が自信を持って話し始めると、「マウントを取りに来た」とか「自慢話をはじめた」と思ってしまうようです。
「新人類」とか「バブル世代」とか「団塊ジュニア世代」とか「ポストバブル世代」とか、マスコミは特定の世代を一括りにして差別したがりますが、実際に環境は時代と共に変化しますし、子供は当然育った時代の影響を受けます。
だから世代間のギャップはあって当たり前。
私の子供たちが若い世代の子を批判したり、自分たちの世代を卑下することもありますし。
私は「三無主義」と言われたポスト団塊世代です。
三無主義は、無関心・無気力・無感動の「三無」でした。
団塊世代の先輩からよく言われました。
「お前らの世代は何考えてるかわからん。もっと堂々とはっきり自分の意見を言えよ」
ほんの数年の違いでしたが、戦後十年経ってから生まれた私たちは、彼らから見ると甘っちょろい根無し草のように見えたのかも知れません。
実際、私たちの世代の多くは、先輩たちがゲバ棒を振り回したり火炎瓶を投げる姿を少し醒めた目で見ていました。
でも、二年下から施行された新教育指導要領で教育を受けた後輩達からこう言われたことがあります。
「先輩たち、なに熱くなってるんですか? そんなことに何の意味があるんですか?」
私たちは、母校のよき伝統を後輩達に受け継いで欲しいと、卒業前に各教室を回って説いていたのですが、そのときは一年生との世代間ギャップに愕然として「近ごろの若いもんは……」と友達とともに呟きました。
それが中三の時。(笑)
きっと、相手の気持ちを想像して、ひとこと加えるといいのかもしれませんね。
親「僕たちの世代は洋楽中心だったんだよね。みんな洋楽を聴いてたし。バンドも洋楽のコピーばっかりだった。でもJ-POPも多種多様になったから、今はあんまり洋楽は聴かないでしょ?」
子「そうだね。英語とか、なに歌ってるのか判らないし」
親「なるほどね。そう言えば、ビートルズの歌詞で英語の勉強してた友達がいたなぁ」
子「それもありかもね。実はさ、ヒゲダン(Official髭男dism)がスティービー・ワンダーの話をしてたから、この間ユーチューブで観てみたんだ。今は教科書にも載ってるくらいだから、歌詞をちゃんと見てみようかな?」
親「歌や演奏はどう感じた?」
子「缶コーヒーのおじさんって思ってたけど、なんかすごい引き出しの多い人なんだね。ジャズみたいな曲もあったし」
親「彼は11歳の時にシンガーソングライターとしてモータウンと契約してるんだ。その頃から天才って呼ばれてたみたいだよ。自分も後から聞いた話だけど」
子「知らなかった。11歳ってすごいね」
親「今みたいにユーチューブみたいなメディアがなかった時代だから尚更ね」
なんて感じに展開できるかな。
なかなか理想通りにはいきませんが、少し心がけてみたいと思います——言われた相手の気持ちを想像してひとこと加えてみる。
また長くなってしまいました。
老人は死なず、今頃になって若い頃の自分はコミュ障だったと思い出す……
(2021.10.10)