第100談(最終話) 『ヒアアフター』と神秘体験

文字数 3,418文字

おはようございます。
今日は勤労感謝の日。そしてサッカー・ワールドカップのカタール大会で日本が強豪ドイツとの最初の試合に臨む日です。メッシを擁する優勝候補の一角アルゼンチンにサウジアラビアが快勝したような驚きを見せてくれることを願いたいですね。

さて、この『夢老い人の独り言』は1年半近く前にスタートしましたが、第100談を迎えた区切りの良い今回を以て最後にすることにしました。
最終談は初心に帰って映画の話を書かせていただこうと思います。

『すずめの戸締まり』を観に地元の映画館に足を運ぶ予定でしたが、気圧の低下で体調が思わしくないため、今日は諦めました。
新海誠監督作品は、殆ど一人で作り上げた『ほしのこえ』の時代からずっと観てきましたが、予告を見る限り『ほしのこえ』や『雲のむこう、約束の場所』など初期の作品を思い起こす部分もありそうですし、「新海誠の集大成」的な声も聞きます。楽しみですが、映画の敵は期待とネタバレなので、期待はほどほどに近々観てきます。

と言うわけで、話題にする映画は『すずめの戸締まり』ではなく、表題にある通りクリント・イーストウッド監督の『ヒアアフター』。

日本では2011年に公開されましたが、ロードショー公開中に東日本大震災が発生し、冒頭のシーンで津波が描かれていたために公開打ち切りとなり、後に発売されたDVDの収益の一部は義援金として寄付されたと言います。
スピルバーグ総指揮でイーストウッド監督とあって公開前から話題になっていたので、私も観に行くつもりでしたが、結局上映期間中に間に合わず、5年ほど経ってからAmazonプライムのオンデマンドで観ました。

とても真面目な作りの映画なので、Wikipediaに「ファンタジー・ドラマ映画」と説明されていることに違和感を感じますが、テーマが「死後の世界」とそれを感知することの出来る「霊能力」にあるために、

な人々からすると「非現実的なファンタジー」になってしまうのでしょう。

脚本はピーター・モーガン。
F1レーサーのニキ・ラウダとジェームズ・ハントを描いた『ラッシュ/プライドと友情』や同じロン・ハワード監督の『フロストxニクソン』、事故死に至ったダイアナ妃とエリザベス女王を描いた『クィーン』などの脚本、ロックバンドのクィーンを描いた『ボヘミアン・ラプソディ』の原案でも知られる人です。

リゾートで巨大な津波に襲われたフランス人マリーの臨死体験から始まり、双子の兄を亡くしたロンドンの少年マーカス、死後の世界を透視できる霊能力を持つが故に苦悩するアメリカ人ジョージ、それぞれの日常が描かれ、目に見えない糸に手繰り寄せられるようにロンドンで三人が出会う物語を、イーストウッド監督は奇を衒うことなく丹念に描いていきます。

ピーター・モーガンはイギリス人ですが、イギリスには霊の存在を信じる人が多いと言います。
18世紀のイギリスにはキリスト教ルーテル派の異端的牧師スウェーデンボルグ(スヴェーデンボリ)の説く「死後の世界」に基づいて「神智学協会」(その後改名)が生まれています。この世とあの世を行き来できると主張したスウェーデンボルグの『霊界日記』には、今日の目から見ると疑問を禁じ得ませんが。
一口に「神智学」と言っても様々な流れがあります。ユダヤ教的「神智学」もあれば、キリスト教的「神智学」。時代と共に錬金術と結びついたり、哲学と結びついたり変化してきましたが、今の時代にその名前を残すのは、18世紀までの神智学とは一線を画す、19世紀にアメリカで始まり東洋思想と結びついてインドに本部を置く「神智学協会」ではないでしょうか。
開祖の一人ブラヴァツキーの『シークレット・ドクトリン』は、やがて「神智学的なものを求める人々」のバイブルのようになり、20世紀のニューエイジブームやスピリチュアリズムに繋がっていきました。昨今の新宗教は少なからずその影響を受けていると思います。そのため、21世紀の今日では神智学=オカルト=怪しい思想として片づけられることが多いと思いますが、実はその思想の根幹は仏教(密教)やヒンズー教の影響を強く受けています。
私は以前に天台僧にして密教行者でもあった作家今東光先生のテキストで神智学について少しだけ学んだことがあります。密教的神通と神智学には相通じるものがありますが、密教をヒントに神智学が説かれたのならそれは当然のことですね。

以前にも書きましたが、「釈迦は霊魂を否定したから仏教は霊の存在を認めない」という通説が長い間日本の仏教界では信じられてきました。しかし、釈尊は「バラモンの魂は永遠にバラモンとして輪廻し続ける」という「不滅の霊魂」を否定したのであって、霊魂そのものについては「ある」とも「ない」とも語られてていないのが真相のようです。
以前に仏教の僧侶を対象に行った調査で、半数を超える出家僧が霊の存在を信じていないという結果が出たという話をご存じの方もいらっしゃるでしょう。ただ、これを宗派別に行ったていたらもう少し面白い結果が出たと思います。私自身が調べたわけではありませんが、天台(密教もありますが根幹は顕教)や曹洞宗などの僧侶と違って、密教を基盤とする真言宗の僧侶には霊の存在や神秘的な体験を信じる人が少なくないように感じていますので。
亡き方々の菩提を弔う僧侶の例に驚く方もいらっしゃるでしょうけれど、霊を信じるかどうか半分半分というのは、おそらく一般の方々も同様ではないでしょうか?

それでも、東日本大震災を契機に、特に被災地域の寺院住職の方には霊の存在や神秘現象を認める人が増えたという話もありますし、亡くなった方に会ったという現地の体験談は今も少なくないようです。
私の母は、生死の境を彷徨う手術中にあの世の手前まで行って来たと語ってくれました。
また、伯父をはじめ戦争から生還してきた方々は、亡くなった戦友と死後も対話していると聞かせてくれました。
私自身も小学生の時に、祖母の一周忌に同じ頃に亡くなったチロという白い飼い猫を抱いて立っている白装束の祖母の姿を昼下がりの玄関で目にしました。
15年前に父が亡くなった時は、その偲ぶ会の会場からずっと私の左斜め後ろに立って時々語りかけてくる父の存在を感じていました。

霊魂の質量が21グラムであるという説もありますが、本当のところどうなのでしょう?
物理的に霊魂の質量を図ることに私はあまり意味を感じませんが、実は私自身も密教修行の中で六神通の一端を垣間見たことが幾度かあります。その内容は密なるもの故文字にすることが出来ませんが、霊魂の存在に言及しなくても、命終えた人の思念が土地や物に紐付いていたり、この世の人の意識の中にすでに亡くなったこの世に存在しない方の「念い」が強く影響している例はいくつも体験してきました。

さて、映画の話に戻りましょう。
劇中には偽物の霊能者も現れます。霊能に限らず宗教もそうですが、その真実や真相は多くの人の目に見えないだけに、人の弱みにつけ込んで金を巻き上げる「偽物」が後を絶たないのでしょう。
マット・デイモン扮するジョージは自身の霊能力に悩んでいますが、映画を観たあなたは、そんなジョージを「ただの頭のおかしいヤツ」と片づけることが、登場人物たちの神秘的な体験を「ただの偶然や思い過ごし」と片づけることが、はたして出来るでしょうか? 
おそらく、小説という架空の物語にさえ、なんらかの真実を見出そうとするあなたなら、一笑に付すことなどできないはずです。もちろんフィクションだから「ファンタジー・ドラマ」とされてしまうのですが、現実世界でもこれに近いことや、もっと神秘的で不可思議な出来事に私は幾度も遭遇しています。

イーストウッド監督作の中では、オスカー受賞作の『許されざる者』、ジャズ界の伝説的天才チャーリー・パーカーの人生を描いた『バード』と並んで、特に好きな映画です。
イーストウッド嫌いでなく、この映画を未見の方は、是非ご覧になってください。

最後に一言御礼を。
この『夢老い人の独り言』、今日現在で113の☆(イイネ)、35,426PV、それに23件のファンレター……と自分の予想を超える反響を頂きました。
多くの方に読んでいただきましたことに深く感謝申し上げます。
今までありがとうございました。


老人は死なず、ただ去りゆくのみ
(2020.11.23)
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