第79話

文字数 1,907文字

 そんな二人のやり取りを横目に、東條はテレビに視線を合わせる。有名俳優の主演する刑事ドラマで、一度も観たことはない。
 物語も中盤に差し掛かったところで、主役の刑事がメモを取るシーンが映し出されていた。
 ――そういえば……。
 そのシーンをきっかけに、東條は倉庫の前に落ちていた朱色カバーの手帳を思い出す。早速ポケットから取り出してしばらく読み進めていくうちに、来栖沢栄太が書いたと思われる記述があった。おそらく彼の手帳とみて間違いない。内容はほとんどが仕事のスケジュールか、他愛もない日記のような文章が綴られていた。
 ――倉庫に運び入れる際に落としたのだろうか? それにしてはさっきまで誰も気づかなかったのは明らかにおかしい。誰かがワザと置いたと考えるのが自然だ。
 何かヒントになるような事柄が書かれていないかページを丹念にめくっていく。
 すると最後の方のページに気になる記述をみつけた。
 『……あのメールは最後のチャンスかもしれない。闇カジノで作った借金で首が回らなくなって早半年、ついに取り立てが家まで押しかけて来るようになった。自分が悪いとはいえ、総額一億六千万円なんて大金、しがない歯科医師には土台払いきれるほどの金額ではない。最初は自分だけでこのゲームに参加するつもりだったが、まさか光江との連名だったとは思いもよらなかった。これも運命だと思って二人で来てみたが、まさかこんな事態になろうとはな……』
 手帳を持つ手が思わず震える。まさか来栖沢がギャンブルにハマり、借金返済のために夫婦そろってイノセント・ゲームに参加していたとは。
 驚愕の事実に動揺を憶えるが、怯むことなく先を読み進めた。
 『……光江の命が奪われた。もとはと言えば私が借金を作った上、強引に連れてきたせいだ。自分の悪行を棚に上げるつもりはないが、やはり犯人が憎い。状況的に大沼が殺したことは確かだ。後はどうやって復讐を遂げるかについてだが……』
 それから先には来栖沢の秘密や如何にして犯行に及んだかが綴られていた。
 腰痛は演技であったこと。
 皆が寝静まっている間にこっそりと起き出して、溝吉に容疑をかけるためにロープを拝借したこと。
 大沼のいるトイレに行き、個室に立て籠もる大沼に「君を信じているから」と油断させておびき出したこと。
 そして背後からロープを回し、絞め殺したこと……。

 思い返せば来栖沢光江が映写室で死体となって発見された時、夫である来栖沢栄太は腰痛をものともせず、一目散で現場に向かった。あの時はショックで腰の痛みどころではないのだろうと勝手に解釈したが、腰痛がフェイクだったとすれば合点がいく。

 さらに読み進めていくと、手帳の最後にはこう記されてあった。
 『……東條君の推理で大沼が無実だったことが判り、私は自責の念に苛(さいな)まれた。だが、もっと最悪だったのは、犯行をあいつに見られたことだ。奴は私の後をつけていたらしく、トイレから出てきた私を脅してきやがった。仕方が無くあいつの命令を利かざるをえない立場に追いやられるはめに。あいつは……』
 そこでページが破られている。以降のページはただの白紙で何も書かれていない。

 手帳を閉じて明日香に渡すと、彼女はページをめくりながら、感嘆の声を上げた。続いてツバキ、溝吉の順に回し読みをすると、皆、落胆の色を浮かべる。
「……大沼を殺したのは先生やったんかいな。しかし腰痛が芝居やったなんて、すっかり騙されたわ。しかしワイに容疑を掛けるためにロープを盗むやなんて、あのやぶ医者もえげつないのう」
 溝吉はいきり立ち倉庫の方に顔を向ける。明日香も辛そうな目で赤色の首輪をさすっていた。

「……それにしても、あいつとは誰なのかしら?」ツバキは不安の目で東條に訊ねる。
「判りません。しかし来栖沢先生は誰かに犯行を目撃され、それをネタに脅されていたのは間違いありません。きっと破り取られたページには脅迫者の名前が書かれてあったのでしょう」
「手記に会った『奴の命令』とは何だったんやろな?」溝吉は憮然としながら膝を掻く。
「今となってはそれも知り得ないところです。……その命令が実際に行われたかどうかすらも……」東條はうつむき加減でいった。
「とにかく大沼殺しの犯人が判ったんや。それだけでも収穫アリやな。……今さら腹の足しにもならへんが」
 確かに溝吉の言う通りである。今ごろになって大沼殺しの犯人が判明したところで、何の役にも立たないだろう。
 それより問題なのは、彼に下されたとされる命令の内容だ。

 来栖沢を脅迫した人物の狙いは一体何だったのか? その人物が他のメンバーを手にかけたのだろうか?
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