第73話
文字数 1,934文字
控室に戻った東條と明日香は紙皿をちゃぶ台に置いた。
来栖沢の調べでパンくずの匂いはが青酸カリであることが判明されると、紙皿を洗い流し、念を入れてコンロで燃やす。そのままゴミ箱に捨てると危険だと判断したためだ。
ツバキと溝吉は驚いた表情を見せ、サムエルと紅平はどことなく怯えているように感じた。紙皿が見つかったことは彼らにとって計算外だったのだろう。
サムエルと紅平の犯行だと確信した東條は、二人をロビーに呼び出して青酸カリの件を問いただした。
当然シラを切るだろうと予想していた。サムエルに関しては逆上して絞め殺されるかもしれないとも考えられ、東條は警戒を怠らないように心がける。
だが、いざ切り出してみるとサムエルは暴れることもなく、ロシア語でまくし立て言い訳している。一方、紅平は想像通り知らぬ存ぜぬで一向にらちが明かない。
予見していたとはいえ、拍子抜け感は拭いきれないでいた。
もういいです、と東條は尋問を諦め、二人をロビーに残して控え室へ戻る。
すると、ドアを開けた途端にお腹が鳴った。
思えば朝から何も食べていない。一緒に行動していた明日香はもちろん、室内にいる来栖沢やツバキもそうだったらしい。
だが、溝吉だけは東條が居眠りしている間に、即席ラーメンを二個も平らげたそうだ。
東條はインスタント食品の眠る戸棚を前に立ったものの、手を伸ばすのを躊躇した。確かに腹は空いていたがエメラに使用された青酸カリの事を考えると――。
他のみんなもきっとそうなのだろう。溝吉は例外中の例外だ。
すると来栖沢は立ち上がってコンロにやかんを掛けると、棚からカップラーメンを無造作に掴み取り、東條を見やった。
「あんたは青酸カリを心配しておるのだろ? だったら話は簡単。ここの食べ物はすべて安全だ。どれも厳重にラッピングされておるからな。このカップ麺だってしかりだ。これだけビニールにしっかりと覆われていれば、毒物を混入できる訳が無い。無論、メーカーがグルでなければ、だがな。……やかんや湯沸かしポットのお湯もその都度捨てているし、まさか水道水に混入させるなんて現実的じゃない。仮にそうならとっくに全員がくたばっているだろう」にやりと唇をゆがめ、来栖沢はカップのビニールをはぎ取った。
来栖沢の説明には説得力があり、東條を納得させるには充分だった。確かにカップ麺以外のパンや冷凍食品もビニールで包装されている。少なくともここの食料に危険はないと思えた。
それでも東條は食べる気が起きなかった。悪い予感がしたからだ。根拠はないが鼻がムズムズして落ち着かない。元妻との喧嘩の時はいつもこうだった。
口論となったあの夜が脳裏に浮かんでくると、鼻のかゆみはさらに増していった。
やがてやかんが悲鳴を上げると、来栖沢は待ってましたとばかりに口笛を鳴らす。
カップの蓋をめくりちゃぶ台に置くと、ゆっくりお湯を注いだ。
かっちり三分経ったところで来栖沢は棚の引き出しから袋に入った割り箸を取り出すと、カップの蓋を全開し、不安がる東條を尻目に美味しそうな表情で麺をすする。
スープの香りが東條の鼻腔を刺激すると、来栖沢は満足げな顔をしながら親指を立てた。
その様子に安心感を憶えた東條は、途端に腹の虫が鳴いた。
冷凍庫を開けて中を物色すると、冷凍餃子のパッケージに目が止まり、明日香と初めて会ったおとといの夜を思い出し、苦笑いしてしまう。食欲のそそるそれを手にし、電子レンジを開けようとしたところで、バタンと背後から何かが倒れる音がした。
何事かと振り向いた瞬間――。
「きゃああああ!」
ツバキの悲鳴だった。
血眼になって喉をかきむしりながらうめき声をあげ、来栖沢はちゃぶ台に倒れ込んでいる。
明日香とツバキは部屋の隅で抱き合いながら目をそらしていた。東條は手にした餃子の袋を床に落とし、大急ぎで駆け寄った。
大丈夫ですかと背中をさするが、来栖沢は白目を剥きながら激しい痙攣を起こしていた。麺とスープの入り混じった胃液を吐き出している。
やがて痙攣が収まると、今度はピクリとも動かない。腕を取って脈を計ると、来栖沢の生命活動は既に停止しているのが確認できた……。
淀み切った空気を溶解したのは、またもこの男だった。
「なんてこっちゃ! 今度は先生がいてもうたやないか。食いすぎや食いすぎ」
ツバキの悲鳴で起き出したとみられる事情を知らないテレビマンは、的外れな推理をかます。
ちゃぶ台にこぼれたスープを慎重に嗅ぐと、鼻を突く胃液の匂いに混じり、微かだがアーモンド臭を感じ取った。
青酸カリに間違いない――東條はそう確信する。
時刻は四時二十七分。これで来栖沢夫婦はともに帰らぬ人となった……。
来栖沢の調べでパンくずの匂いはが青酸カリであることが判明されると、紙皿を洗い流し、念を入れてコンロで燃やす。そのままゴミ箱に捨てると危険だと判断したためだ。
ツバキと溝吉は驚いた表情を見せ、サムエルと紅平はどことなく怯えているように感じた。紙皿が見つかったことは彼らにとって計算外だったのだろう。
サムエルと紅平の犯行だと確信した東條は、二人をロビーに呼び出して青酸カリの件を問いただした。
当然シラを切るだろうと予想していた。サムエルに関しては逆上して絞め殺されるかもしれないとも考えられ、東條は警戒を怠らないように心がける。
だが、いざ切り出してみるとサムエルは暴れることもなく、ロシア語でまくし立て言い訳している。一方、紅平は想像通り知らぬ存ぜぬで一向にらちが明かない。
予見していたとはいえ、拍子抜け感は拭いきれないでいた。
もういいです、と東條は尋問を諦め、二人をロビーに残して控え室へ戻る。
すると、ドアを開けた途端にお腹が鳴った。
思えば朝から何も食べていない。一緒に行動していた明日香はもちろん、室内にいる来栖沢やツバキもそうだったらしい。
だが、溝吉だけは東條が居眠りしている間に、即席ラーメンを二個も平らげたそうだ。
東條はインスタント食品の眠る戸棚を前に立ったものの、手を伸ばすのを躊躇した。確かに腹は空いていたがエメラに使用された青酸カリの事を考えると――。
他のみんなもきっとそうなのだろう。溝吉は例外中の例外だ。
すると来栖沢は立ち上がってコンロにやかんを掛けると、棚からカップラーメンを無造作に掴み取り、東條を見やった。
「あんたは青酸カリを心配しておるのだろ? だったら話は簡単。ここの食べ物はすべて安全だ。どれも厳重にラッピングされておるからな。このカップ麺だってしかりだ。これだけビニールにしっかりと覆われていれば、毒物を混入できる訳が無い。無論、メーカーがグルでなければ、だがな。……やかんや湯沸かしポットのお湯もその都度捨てているし、まさか水道水に混入させるなんて現実的じゃない。仮にそうならとっくに全員がくたばっているだろう」にやりと唇をゆがめ、来栖沢はカップのビニールをはぎ取った。
来栖沢の説明には説得力があり、東條を納得させるには充分だった。確かにカップ麺以外のパンや冷凍食品もビニールで包装されている。少なくともここの食料に危険はないと思えた。
それでも東條は食べる気が起きなかった。悪い予感がしたからだ。根拠はないが鼻がムズムズして落ち着かない。元妻との喧嘩の時はいつもこうだった。
口論となったあの夜が脳裏に浮かんでくると、鼻のかゆみはさらに増していった。
やがてやかんが悲鳴を上げると、来栖沢は待ってましたとばかりに口笛を鳴らす。
カップの蓋をめくりちゃぶ台に置くと、ゆっくりお湯を注いだ。
かっちり三分経ったところで来栖沢は棚の引き出しから袋に入った割り箸を取り出すと、カップの蓋を全開し、不安がる東條を尻目に美味しそうな表情で麺をすする。
スープの香りが東條の鼻腔を刺激すると、来栖沢は満足げな顔をしながら親指を立てた。
その様子に安心感を憶えた東條は、途端に腹の虫が鳴いた。
冷凍庫を開けて中を物色すると、冷凍餃子のパッケージに目が止まり、明日香と初めて会ったおとといの夜を思い出し、苦笑いしてしまう。食欲のそそるそれを手にし、電子レンジを開けようとしたところで、バタンと背後から何かが倒れる音がした。
何事かと振り向いた瞬間――。
「きゃああああ!」
ツバキの悲鳴だった。
血眼になって喉をかきむしりながらうめき声をあげ、来栖沢はちゃぶ台に倒れ込んでいる。
明日香とツバキは部屋の隅で抱き合いながら目をそらしていた。東條は手にした餃子の袋を床に落とし、大急ぎで駆け寄った。
大丈夫ですかと背中をさするが、来栖沢は白目を剥きながら激しい痙攣を起こしていた。麺とスープの入り混じった胃液を吐き出している。
やがて痙攣が収まると、今度はピクリとも動かない。腕を取って脈を計ると、来栖沢の生命活動は既に停止しているのが確認できた……。
淀み切った空気を溶解したのは、またもこの男だった。
「なんてこっちゃ! 今度は先生がいてもうたやないか。食いすぎや食いすぎ」
ツバキの悲鳴で起き出したとみられる事情を知らないテレビマンは、的外れな推理をかます。
ちゃぶ台にこぼれたスープを慎重に嗅ぐと、鼻を突く胃液の匂いに混じり、微かだがアーモンド臭を感じ取った。
青酸カリに間違いない――東條はそう確信する。
時刻は四時二十七分。これで来栖沢夫婦はともに帰らぬ人となった……。